退魔? いいえ、お話を伺うぐらいです

「ちっ、違う!」
 否定する声をだすより先に、頭をぶんぶんと激しく振った。声がぶわーんとわたしの顔の前で揺れた気さえする。
 嫌だ! バレたくない! 妄想癖女だなんて思われたくない。特に、眼前の北畠翔太には。せっかく一緒のクラスになったのに……いや、そんな、わたし何を考えてるんだ!
「今、妄想してるみたいにさ――」
「妄想なんかしてないっ!」
 ガガガっとイスを引きながらその場で立ち上がる。机上で積み上がった本に、腕があたった。バサバサっと本が崩れる。
「ぎゃあーーーっ!」
 わたしは瞬殺されたモブ役みたいな絶叫をあげ、自分の上半身で本を覆い隠す。弁慶ミーハーであることも知られたくない! て、これもマズい行動になっちゃう?
「おまえ、先祖から何か受け継いでねえ?」
「なぬ?」
 おばあちゃんのことを思い出す。わたしは空想の血を受け継いでいる! 空想癖。妄想女だ。
 即座に顔に血がのぼった。今、ぜったいに顔が真っ赤だ。否定しろ! 首を横に振れ!
 そう思うほどに、何が何だか分からなくなって、よけいに混乱してきた。
 気づいた時には、北畠翔太がすぐ目の前にいた。澄んだ瞳がわたしに向けられていて、――目が合う。
 ハッとするように、時間が止まった気がした。呼吸さえ止まっちゃった感じ。ほぼ仮死状態。でも、目を逸らすことができない。どくんどくん。脈打つわたしは生きている、きっと、たぶん。
 やっぱ北畠翔太って、男なのに綺麗な顔してるなあ……。まつ毛長いし。
 先ほどの慌てっぷりが、凪いだ海面みたいに静まってきた。
「落ち着けよ」
 穏やかな口調で北畠翔太から言葉をかけられた。碧色の瞳に吸い込まれそう。なんだろう、運命的な出会いみたいな……え? えっ!? 落ち着きを束の間取り戻したはずの呼吸が、急アクセルでばくばく暴れだす。ちょっと、ない、ない! わたしはこういう人は嫌いなはずなのに。
「深呼吸。ハイ、吸ってぇー」
 北畠翔太が深呼吸の音頭を自然な流れでとってきた。
 反射的に、言われたとおりにわたしは息を吸う。
「吐いてぇー」
 はああ、と息を吐く途中でわたしは気づく。あああああ。わたしの息が北畠翔太に吹きかけられている……瞬時に息を止めた。せき止められた呼気が口のなかで爆発した。わたし、朝ごはん餃子だった。お母さん、ふざけんなぁあああっ!
「ぶぇわっ!」
「うわっ、何だよ!」
「もう大丈夫だからっ」
 わたしの前から去ってなんて言えない。そんなことを声高に叫んだら絶対に嫌われる。おまけに、あなたが今見たわたしのことは忘れて、そんなことも頼めるはずがない。じゃあ、どうすればいい? とにかく、この場からわたしが去ればいい? ぅらいっ?(Right?)
 机上の本を寄せ集めて本棚にしまおう。そうして、すぐにこの図書室から出よう。
 それなのに……、
「しゃあねぇな、手伝うよ」
 わたしの返事を待たずに、北畠翔太が本を何冊か手に取った。え、思っていたよりも親切だ。深呼吸といい。キュンがじゅわーっと五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染みわたる。お酒みたい? 飲んだことありませんけど。
「や、別に手伝ってもらわなくても」
「これ、」
 歩きだしていた北畠翔太が振り返った。
はにかんだ笑顔をわたしに向ける。とっても素な感じ。カッコつけてない方がカッコいい。
「俺も読んだから、どこの棚にあったかすぐに分かるんだよ」
 やわらかい眼差しを向けてくれる彼に後光(ごこう)がさすのを感じた直後、彼がニヤリと不敵な笑いをした。
「片付け終わったら、俺の質問に答えろよ」
 『後光』訂正! 嫌なやつっ!





「おまえ、空想って得意?」
 片付けが終わると、さっきとは微妙に違う聞き方で訊かれた。
 どう答えれば妄想癖がバレないだろうか。得意じゃないって言えばいいだろうか。そうしたら、さっきは何やってたのと再質問されちゃうだろうし。言い逃れることは可能だろうか。
 脳をフル回転させていたら、わたしの返事よりも先に、北畠翔太は興味深いことを口走った。ちょっと深刻そうな表情で。影がさす感じの顔つきも……悪くない。
「俺さ、空想が得意な奴を探してるんだ。探してるというか、いたらいいなみたいな感じだけど」
「へぇー? どうして?」
 すると今度は、北畠翔太が答えあぐねた。あれこれと考えをめぐらしている様子だ。
 これってひょっとして形勢逆転? 
「ん、んん、と、理由はちょっと……というか、もし少しでもピンと来たら、素直にそうだって言って欲しいんだけどさ。怨霊傾聴師って聞き覚えない?」
「ひは?」
 怨霊、何それ? というよりも、ヤバ系では、北畠翔太って……。
 心情が素直にわたしの顔にあらわれたようだ。
「あ、いや、別にその……怨霊うんぬんって言うよりは、まあ、祟りと交渉する感じで」
 祟りと交渉? ヤバすぎる。
 わたしは北畠翔太から一歩距離を置いた。物理的には一歩だけど、心理的には百歩くらい。カッコいいと思ったわたしが馬鹿だった。潮がひくように、心に満ちていたものがさぁーっと逆流していく。
「え、あ、おまえヒイてね。俺、別に霊をどうこうちゅうか、結界がさ」
 霊? 結界? ヒク。ヒキます。わたしはさらに二歩、三歩とさがる。
「いや、違うんだよ。あ、違うというんじゃなくて、このままじゃ現世がヤバいから」
 真剣な眼差しでわたしに訴えてくるも、そのシリアスさが逆に怖かった。
 現世がヤバい? あなたがヤバいです! わたしは周囲に視線を走らせる。
 右も左も、前も後ろも、わたしを助けてくれる人はいない、誰もいない図書室だ。
「俺さぁ、なんつーか、今まで必死になって何かをやり遂げたことないんだよ。あ、サッカーはそれなりにやってるけど、それってガキの頃から当たり前にやってたから自分の中では必死感が乏しくてさ……って、待てよ、聞いてくれよ!」
 逃亡をはかろうとしているわたしに気づいた北畠翔太が、ずりずりっとわたしに近づく。彼の匂いまで分かるくらいに……え、わりといい香り、って、わ、壁ドン直前みたい!
「こんな外見だから熱血クン似合わないだろうけど、それでも俺は、先祖から受け継いだこの血を、どうにかしたいんだ。初めてなんだ、こんな気持ちになったのは」
「……」
 もうダメだ。このヒトには絶対にかかわっちゃいけない。だったら、もうこれしかないよね。最終奥義、遁走!
 いちもくさんにその場から逃げだした。
 図書室のドアから抜け出て廊下を駆けていくわたしの背中に向けて、北畠翔太が声を張りあげた。
「怨霊がらみでちょっとでもピンと来たら、俺に声かけてくれ! 頼む!」
 怨霊にピンとくるわけないっ! 
 廊下から階段にさしかかるや、階段は静かにおりましょうにケンカを売るように、わたしは全力疾走する。





 最悪の誕生日になってしまった。
 下校途中、わたしはふうーっと長い息を吐いた。
 何よりも空想にふけっている顔を見られたのが痛い。たぶん変な顔になっていた。
 あれからずっと、北畠翔太はわたしのことをチラチラと見てきた。彼がクラスでわたしの妄想癖を言いふらさないか、話題にしないか、とても心配で、学校にいる間は生きた心地がしなかった。
 しかも、怨霊とか口走っているし。
 人は見かけによらない。まさに北畠翔太のことだ。
 美晴ともあまりしゃべる気が起きなくて、帰りのホームルームが終わるなりさっさと教室を出た。今は、おばあちゃん家に向かっている。電車で二〇分ぐらいのところ。
 おばあちゃん家の最寄り駅で降りると、ようやく緊張が解けた。
 この町はわたしが住むところよりも静か。マンションがあまり建っていない、古い一戸建てが多いエリアだ。
 歩道に転がっていた小石を蹴る。ちょっとむしゃくしゃしていた。小石は浮きながら飛んでいき、ゆうゆうと前方を歩いているネコにぶつかりそうになる。
 ぶしゃあああっ!
 怒ったように鳴くネコと目が合った。
 お母さんの言葉をふいと思い出す。
 ――あんたって、ときどきネコみたいな目をしてじっとしてるわね。おばあちゃんみたい。
 それ、絶対に、おばあちゃんが空想の世界をさまよっていたときの目だ。
 おばあちゃん家に着く。持ってきた鍵でドアを開けると、自分の家とは違う匂いをかいだ。幼少時の思い出をくすぐる匂い。結構好き。でも今日は余韻に浸ることなく、さくっと上がり框を越えておばあちゃんの部屋へと突き進む。
 ――希美が十八歳の誕生日を迎えたら、この箱を開けさせるように。
 わたしは、今まさに、その箱を開ける寸前まで来た。
 さあ、何が入ってる? 
 今日は嫌なことがあったから、せめて箱の中身はわたしを喜ばせるものであってほしい。マネー? 我ながらゲンキンだ、ひひひひ。
 ドキドキしながら、おばあちゃんの畳の部屋の、目星をつけていた襖を開ける。
 あった。
 片手で持てるほどの木製の箱だ。





「これだけ?」
 思わず呟いた。
 箱には、手紙と、お祭りで着るような古いハッピしか入っていなかった。
 へ? へ? 孫への未来のおこづかいなんかを期待していたのに。
 ちょっと投げやりな気分で、ぞんざいに手紙を読み始める。
 すぐに目が一つの言葉を拾った。

『怨霊傾聴師』

 え!? というよりも、げっ!?
 ――怨霊傾聴師って聞き覚えない?
 北畠翔太の綺麗な顔が頭の中でぽっと浮かぶ。碧色の瞳。振り返った時のはにかんだ笑顔。女の子みたいに長い睫毛。ピュアな表情。
 ほっぺたが熱くなる。きゅ、と胸の奥で何かがしぼられる感じがした。
 でも同時に、怨霊とか結界とかと口走っていた顔つきも思い出す。必死を通り越して悲壮感みたいなのが滲んでいた。
 いや、それよりも……と、わたしはおばあちゃんの手紙を読むことに集中する。銭に繋がる情報を期待している自分がいた。うん、あさましい。でも、しょうがない。お金なくっちゃオシャレできないのです。
 それで、手紙の内容をいくつかにまとめると、こうだった。

 〇非業の死を遂げた怨霊の祟りを鎮める怨霊傾聴師なる者がいる。能力別に、召喚士と交渉士がいて、遥か昔は二人が協力して祟りを鎮めていた。
 〇おばあちゃんはそのうちの交渉士である。我が家では、一世代を飛び越えた隔世(かくせい)遺伝でその血・能力が受け継がれている。事前に怨霊がいた世界を空想することで、怨霊が何を不満に思っているかを探るのが鍵となる。
 〇江戸時代の初期に優秀な二人の怨霊傾聴師が、現世に強力な結界を張った。それによって大きな祟りは弱小化され、現在に至る。
 〇いざとなれば怨霊を消す呪文もあるが、それは奥の手。気軽に使ってはいけない。何故ならば――。
 〇結界が徐々に弱まってきている。特に最近は雲行きがあやしい。一人で対応するには限界が来た。【結界が破れ、怨霊が解き放たれるとき、十八歳の男女が現れ、現世を救う】との言い伝えがある。十八歳の女は希美だよ。(←軽い感じで書かないで欲しい)もう一人の召喚の能力を持つ十八歳の男を見つけて現世を救って欲しい。
 手紙の最後には次のように結ばれていた。

『もしも私が命を失うことがあれば、それは結界が限界に達したことを意味する。つまりは、怨霊に〝殺された〟ということ。
 希美にこれほど危険なことを託すことは、とても辛い。できればおばあちゃんの代で、きちんと結界をむすび直したいと思っている。だけど、もしものときは……、おまえは希望。遺志を継いで現世を救っておくれ』


 綺麗な字で書かれていたが、最後の方のわたしに語りかける字は少し乱れていた。手紙にあるように、『辛い』感情を、そこからわたしは読みとった。
 手紙をそっと畳に置く。
 右の頬がぴくぴく動いた。
 心がぐらぐらし、平静を保てない。ついでに地面も揺れている。地震なんてもう慣れっこだ。
 お金のことなんて一切書かれていない。いや、それよりも……北畠翔太が口にした単語がおばあちゃんの手紙の中にはバンバン出てきた。
 怨霊傾聴師、血、祟りと交渉、結界、現世。
 北畠翔太の真っすぐな目が思い返される。
 そんな、本当なの? この手紙に書かれていることって真実?
 わたしは、手紙と一緒に入っていた古そうなハッピを手に取る。背中側に『祓』と禍々しい漢字が書かれている。これをおばあちゃんも、そのまたおばちゃんも着たっぽい。そして怨霊と対峙してきた……。
 そんなことってある? まるでファンタジー小説だ。
 でも、わたしは空想が得意。幻想の中では声まで聞こえてくるぐらい。おばあちゃんが言うには、それが怨霊を鎮める鍵になる。
 え、わたし信じてるの? 手紙の内容を受け入れちゃってるの?
 結界が破れかけていると書かれているけど、最近のこの地震の多さは、ひょっとして……。
 もし本当だったら、ここに書かれている召喚士が北畠翔太だ。
 しかもおばあちゃんは怨霊に殺されたことを暗示している。空想中に亡くなったのは、実は、おばあちゃんは怨霊を説得しようとし、そのまま――。
 手紙に書いてある『怨霊を消す呪文』を唱えればよかったのに。でも、おばあちゃんはそれをしなかった。だって、だって、それをしたら、それは、そんなことは、

〝できるわけないじゃない〟

 長く、太い、息を吐く。涙が零れる。
 感極まって、感動で泣いているわけじゃない。
 どうして、わたしが! だ。
 勝手にそんなことをわたしに押しつけないで欲しい。ただでさえ予備校で忙しいのに。しかも、希望って。『希』はわたしが一番嫌いな漢字!
 まただ。目の前が灰色の景色に変わっていく。
 こんな現実、嫌だ。嫌です。