退魔? いいえ、お話を伺うぐらいです

「この度はお世話になりました。数々のご無礼、この弁慶めが死してなお未熟だったと、どうかお許しください」
「それって、もう」
 言いかけて、わたしは続く言葉をためらう。
「黄泉の国へ帰ります」
 美晴も、宮園葵も、そして弁慶までもが消えてしまう。弁慶の姿が滲んで見えるのは涙のせいだろうか。
「ご心配には及びませぬ。ただ、帰るだけです」
 ――ありがとう。
 弁慶の心の声が聞こえた気がした。わたしも胸のうちで、『ありがとう』と呟く。
 心の声が届いたのか、弁慶が微笑を浮かべる。ゆっくりと頷いてくれた。
「胸の奥でつかえていたものをすべて吐き出せました。あなた方のおかげです」
 厳しい時代を生き、今、まさに永遠の眠りにつこうとしている。いや、転生するための準備期間に入るのだろうか。
「人としての大事な心構えを学びました。希美殿と翔太殿の言霊は来世でも忘れません」
 弁慶がもう一度、わたしと北畠翔太に穏やかな目を向ける。どこか晴れ晴れとした顔つきだった。
 しかし、弁慶がほほをぴくりとさせた。
 北畠翔太に向き直り、
「そなた、ひょっとして既に……」
 と問いかけるのを、北畠は顔を横に振って制した。
 弁慶はじっと北畠を見つめ、「さようか」と悲し気に漏らす。
 二人の間にどのような感情が交わされたのか。それを聞く前に、弁慶の体が美晴のときみたいにぼんやりし始めた。
「戦のない世……難しいのかもしれませぬが、いつか、いつの日か実現することを楽しみに、それがしは眠りにつきます」
 透ける弁慶の輪郭に拍車がかかる。声が間遠に、小さくなっていき、
「さらば――」
 弁慶の言葉が途切れた。その姿もまた、消えていた。





「――戻ってきたか」
 気づくと、庭先に、夕陽に照らされた禿頭のおじいさんがいた。随分と派手な服を着ている。
「じーちゃん」
 北畠翔太が、ホッとしたのか、その場でしゃがんだ。カラオケなんて行ってんなよ、と恨みぶしを口にしている。
「まあ、結果オーライじゃな」
 ひゃひゃひゃ、とおじいさんが北畠翔太の頭頂をぺしぺし叩き、いきなりわたしの方を振り返った。顔だけがくるりと後ろに回ったみたいに。
「ひっ」
 後退(あとずさ)ったわたしに、おじいさんはにっとスマイル。こう言っては失礼かもしれないが、ご年齢のわりに真っ白で綺麗な歯並びだった。
「怨霊傾聴師がそろったのは何百年ぶりじゃろな。これからよろしくの。結界を張り直しておくれ」
 おじいさんは、わたしのことをつぶさに聞かずに、家の中に引っ込んだ。
「わたし、おじいさんに自己紹介しなくていいのかな?」
「たぶん、じーちゃんはうすうす感づいていたんだろう。というか、じーちゃんの手の上で踊らされていた気さえするよ」
 そんなものなのかしら。終わってみると、凄くあっさりした気分だ。
 わたしは自分の手を見て、続けてキョロキョロと庭を眺めた。もう宇宙空間みたいな暗闇はない。北畠翔太と目が合う。
「本当だったの、さっきの?」
「たぶんな」
 北畠翔太は他人事のように、うーんとノビをする。
 夢の中にいたみたいに、余韻をひきずっている。
「一条の旦那さんって、一条が弁慶に打撃喰らわせているのをしばらく放っておいたよな。暗闇で俺たちの言霊を聞いてたのって、弁慶がブスブスやられていたときだろ」
 言われてみたらそうだった。
「やっぱ、自分を殺した人を許すなんて、簡単にはできないんじゃない?」
「だから怨霊かあ」
 まだ言い足りない雰囲気を北畠翔太が醸しだした。わたしは「で?」と、彼の言葉を促し、ハッとする。
 美晴としゃべっていた際の感覚が甦ったのだ。きゅううと涙が目の奥に集まってくる。
 彼はそんなわたしに、優しい目を向けてくれた。
「俺さ、オヤジのカタキをとるって意気込んで怨霊を、弁慶を召喚したんだ」
 それは初耳だった。カタキってことは、お父さんは……。
「もー、とにかく怨霊に復讐したい一心だった」
「「それって」」
 わたしと北畠翔太の言葉が重なった。
 恥ずかしいのか、彼の頬に薄い朱色がさす。
 言っていいよとわたしが促すと、彼は自分自身を諫めるように呟いた。
「俺も怨霊と変わらないよな。祟りは起こせないけど」
 わたしは、んんんんと唸る。
 お父さんが亡くなっているのだから、そうだね、と簡単には相槌(あいづち)を打てなかった。
 それに、何となくだが、彼は他にも抱えている業がある気がする。この場の雰囲気を和らげるために、()えてそのことを言わないようにしているフシがあった。これは、交渉士としてのカンかもしれない。
 しばらく思考してから、わたしは彼に言った。
「大事な人を殺されたら、わたしだって平気でいられないよ。でも、何だろう、さっきのことを経験すると、……ごめんやっぱ何て言っていいのか分からない。今すぐに結論づけなくてもいい気がする。白黒はっきりさせるのって窮屈じゃないかな?」
 北畠翔太がぽけーっとした顔つきでわたしを見た。
「おまえ、凄いな。見かけによらず」
 な。
「ちょっと、見かけによらずって!」
 むう、と頬を膨らませるわたしに、北畠翔太が何気ない感じで言葉を放った。
「おまえが来てくれなかったら、俺は生きて戻れなかったよ。ありがとう」
 見つめ合った後、北畠翔太がテレたように視線を遠くの夕空に滑らせた。
 軽薄なリア充だと思っていた北畠翔太は、そこにはいない。
 彼はどこまでも、真っすぐで、想いに一途な男子だった。
「こちらこそ。ありがとう」
 わたしも北畠翔太にならい空を見上げた。
 いつもなら気が塞いで、景色が灰色に染まる時間帯だ。
 それなのに、今のわたしはそうならなかった。
 世界はオレンジ色の光に溢れていた。とても、とっても綺麗だった。
 わたしは、す、と腕を伸ばす。天の雲をつかむみたいに、上へ、上へと。
 希望の光をさぐり当てるように、力一杯に背と腕を伸ばした。
 ふと、『希美』という名前が誇らしく感じられた。
 希望の『希』。
 名づけてくれてありがとう、お父さん、お母さん。
 そんなふうに、さっくり言い切れるほどの物わかりの良い娘には、なかなかなれそうもないけど、だけど今のわたしは、自分の名前が希美であってよかった。そう、心から思えました。





 翌日登校すると、美晴と葵の席はなくなっていた。
 彼女たちの机が片付けられたのではない。
 最初から、『一条美晴』、『宮園葵』という女子が存在していないことになっていた。
 クラスメイトに尋ねても、
「一条美晴? 誰?」
「宮園ぉ、地味で存在が薄い? はぁ?」
 そんな返事が返ってくる。
 美晴に告白してフラれた男子は、
「誰そいつ? つうか、美晴なんて子に俺コクってねえよ」
 と返答する始末だ。
 先生にも問い合わせたが、返事は同じようなものだった。
「うちにそんな名前の生徒はいない」
「勉強しすぎで疲れてるのか? あ、そんなに勉強熱心じゃないな、おまえは」
 しかも、だ。
 地震の記録が消えていた。被害のあった物や人、事柄、すべてが初めからなかったことになっていた。人々は地震の記憶さえとどめていない。
 弁慶ブームも終わっていた。デフォルメ化された弁慶の缶バッヂ『べんけー様』をつけている人は皆無だ。映画やドラマ、関連本もしかり。
 でも、でも――――……弁慶の生きざまと想いを、わたしは忘れることはないだろう。


 放課後の誰もいない教室で、わたしは窓ガラスをじっと見つめていた。探していた。
 あの日、消さなかった文字を。

『 す』

 美晴が窓ガラスに息を吐きかけて(←思えば、霊なのに息を吐けるなんて!)、キュッキュと書いた右上がりの文字。
『殺す』と書いたけど、わたしは〝殺〟だけを消した。
 結果、『 す』だけを窓ガラスに残した。うけけと笑いながら、結局は消さなかったのだ。ごめんね、美晴。
 その残像を見つけたいな……って、さすがに無理か。
 今だったらその空白にどんな文字を描くだろうか。
『愛す』
 ふむう。やっぱり違う気がする。悔しいけど、わたしにはまだまだかな。
『灯す』
 いいかもしれない。
 希望の明かりを、これからも灯し続けよう。
 今日よりも明日が平和でありますように。
 弁慶や、美晴たち夫婦が祈ったように。
 目をこらして窓に近づき、ガラスにほっぺをあてる。斜めから下から、角度を変えながら文字の痕跡を探す。
 時間を忘れてその作業に没頭していたときだった。

「おまえ何してんの? 希美」

 げ……。
「つうか、(なに)勝手に、下の名前でわたしのことを呼んでるの」
 表情をぷくりとさせるも、わたしの声は(とが)らない。
 北畠翔太が口にしてくれた「希美」は、聞き心地が良かった。耳が、心が、じん、とくる。胸が風船みたいに膨らんで、温かくなって、幸せだった。
「ちょっと、だったらわたしも北畠……を下の名前で呼ぶからねっ! 翔太!!」
 すぐに顔が赤らんだ。
 それは翔太も同じだった。子どもみたいに頬を真っ赤にさせている。意外とかわいいじゃないか。
「で、希美は何やってたの? 窓ガラスにぴとーっとほっぺたくっつけてさ」
「うるさい。翔太にはカンケーないでしょ」
 ぷいと顔をそらす。本当はカンケー大ありなのに。
 そのとき、気まぐれな夕陽が、窓ガラスに今まで映っていなかった文字を浮かばせた。

『 す』

「あ」
 刹那(せつな)、熱い感情が押し寄せてきた。
 慌てて口もとを手でおさえる。

 でも、無理だった。激しい息が漏れた。涙が止まらない。
 嫉妬するほど美しい美晴の顔が、窓ガラスに映った気がした。すぐに、涙で視界がぼやける。
 翔太がわたしの気持ちに寄り添うように、静かに隣りに立ってくれた。
 ちょっとだけ肩が触れる距離。遠くもないけど、触れ合うまではいかない。
 それでもわたしが意識するにはじゅうぶんな間隔と感覚だった。
 不思議と気持ちが鎮まる。ドキドキもあるのに、今の彼からは安らぎも得られた。
 どちらからというわけでもなく、気づくと肩が触れ合っていた。
 頭の中が沸騰しそうになったわたしは、窓から校庭を見渡した。生徒たちがサッカーボールを追いかけている。土埃が舞っていた。その埃さえもが、夕陽を浴びてキラキラと輝いていた。
「一条は旦那さんと幸せに暮らすよ、来世で」
 来世、と口にするとき、翔太が寂しそうだったのが気になるも、わたしは「うん」と頷いた。
 翔太の肩に頭をすり寄せたい衝動にかられる。いくら何でもそんなことはできない。
 わたしはわざと大きく伸びをした。んんー、っと。
 そうして、美晴の顔を脳裏に浮かべる。

 ――嬉しかったよ。一番仲の良い友だちって言ってくれたこと。あたし、絶対にその言葉を忘れない。

 美晴の声が甦る。
 わたしも忘れないから。
「翔太」
「何だよ」
 そっけなく応答した翔太は、少ししてから、
「しょうがねえな」
 と、ぎこちない音頭でわたしの頭をトントンしてくれた。
 その勢いを借りて、彼の肩にちょっとだけ頭を触れさせた。
 彼からは校庭の匂いがした。悪くないなと思った。
 あの日のように夕陽が、黄昏が世界をオレンジ色に染めていた。
 美晴、いつかまた会おうね。
 それが来世でも、絶対に。

「あのさ、希美」

 え? 
 翔太が真面目なトーンでわたしを呼んだ。
 こんな状況でわたしを呼ぶそのタイミング、声色。ひょっとしてコクハ――
「おれ、部活行ってもいい? ボール蹴ってるあいつら見てたら我慢できなくってさ」
「……」
 飾り気のない翔太。これはこれで、……いいのかな?
 今回だけは許そう。
 わたしは翔太の腕を軽くつねってから、おまけで足をちょこっと蹴った。復讐じゃないよ。
「痛っ」
「行っといで」
 翔太はさんきゅーと満面の笑みをわたしに向けた。机下に置いてあるサッカーボールを手にして駆けだす。
 途中で誰かの机に足をぶつけ、ゴンっと大きな音と、「だあっ、痛ぇ!」と声があがる。
「ぷっ」
 その時だった。
 翔太がふいとこちらを向いた。あろうことか親指を突き出し、わたしにウインクをかました。
 忘れていた感情がぶり返す。こいつのこういうところ、大嫌い。
「希美、」
 何ですか、と冷めた感情を翔太に投げつけようと……。
「また一緒に、祟りを鎮めような。で、結界を張り直そうな」
 全然カッコつけずにはにかんだ笑顔をつくって、翔太は言った。どこまでも一本気で、まっすぐな感情が通っていた。
 わたしは返事のかわりに、キュンときた感情を噛みしめながら両腕をあげた。
 そのまま大きな、大きな、丸をつくる。
                                     ~Fin~