生活は、何事もなかったみたいに続いた。
朝起きて、講義に出て、夜は寮に戻る。
ただ、その途中で、何度か、
同じところに引っかかる。
説明できるほどの違和感じゃない。
でも、放っておけるほど小さくもない。
気づけば、いつも柊先輩のことを考えている。
講義の合間。寮の廊下。
ベッドに腰を下ろしたとき。
そのたびに、あの低い声とか、
視線を合わせない癖とか、
短く区切る話し方が浮かぶ。
距離が縮んだ、というほどの実感はない。
でも、前よりも近い場所にいる気がしていた。
それがどういう感情なのかは、まだ分からない。
分からないままでも、悪くないと思っていた。
日常は変わらず続く。
講義に出て、サークルに顔を出して、夜は課題を片づける。忙しさの中にいる方が、余計なことを考えずに済む。
*
数週間後、サークルの合宿があった。
泊まりがけで、練習と打ち上げを繰り返すだけの、よくある行事だ。
正直、楽しかった。
身体は疲れるけど、周りに人がいて、笑い声が絶えない。時間が詰まっている感じが、性に合っていた。
夜、布団に入ってからも、
誰かの話し声や、笑いがしばらく続いていた。
スマホが震えたのは、その最中だった。
画面を開く。
表示された名前を見て、一瞬、息が止まる。
柊先輩だった。
メッセージは、短い。
「たすけて」
一行だけ。
最初に浮かんだのは、
驚きよりも、別の感情だった。
――送ってきてくれた。
それも、初めてのメッセージだ。
胸の奥が、じわっと温かくなる。
すぐに、別の記憶が重なる。
共同リビングで、罰ゲームの話が出た夜。
困ってもいないのに「困ってる」と送るのは嫌だ、という柊先輩の言葉。
だから、あのとき決めた。
本当にゲームに巻き込まれたら、形だけ送る。
返事はいらない。そういう約束だった。
だからこれは、きっと、あの約束の延長だ。
「たすけて」というメッセージの意味にも理屈が通る。返信したい気持ちが、強くなる。
今、何してますか。
どうしました。
どんな言葉でもよかった。
でも、約束は約束だ。
少し残念に思いながら、
それでも、どこか浮かれたまま、既読をつける。
画面を伏せて、スマホを置く。
この続きは、合宿が終わってからでいい。
直接、顔を見て話せばいい。
そう思えるくらいには、この一行が、これから続くやり取りの始まりに思えていた。
*
合宿が終わって、寮に戻る。
荷物を置いてから、特に用事もないのに、廊下を一度歩いてみる。三〇三号室の前には、誰の気配もなかった。
時間を変えて、もう一度歩く。
それでも、様子は変わらなかった。
その日も、その次の日も、
柊先輩の姿を見ることはなかった。
たまたまだろう、と思う。
忙しい時期なんだろう、と。
それで、済ませられる程度のことだった。
それから数日が過ぎても、柊先輩の姿はなかった。
生活の中で、名前を聞くことも減っていく。
気に留めるほどのことじゃない。
そう思える程度には、日常は問題なく回っていた。
朝起きて、講義に出て、夜は寮に戻る。
ただ、その途中で、何度か、
同じところに引っかかる。
説明できるほどの違和感じゃない。
でも、放っておけるほど小さくもない。
気づけば、いつも柊先輩のことを考えている。
講義の合間。寮の廊下。
ベッドに腰を下ろしたとき。
そのたびに、あの低い声とか、
視線を合わせない癖とか、
短く区切る話し方が浮かぶ。
距離が縮んだ、というほどの実感はない。
でも、前よりも近い場所にいる気がしていた。
それがどういう感情なのかは、まだ分からない。
分からないままでも、悪くないと思っていた。
日常は変わらず続く。
講義に出て、サークルに顔を出して、夜は課題を片づける。忙しさの中にいる方が、余計なことを考えずに済む。
*
数週間後、サークルの合宿があった。
泊まりがけで、練習と打ち上げを繰り返すだけの、よくある行事だ。
正直、楽しかった。
身体は疲れるけど、周りに人がいて、笑い声が絶えない。時間が詰まっている感じが、性に合っていた。
夜、布団に入ってからも、
誰かの話し声や、笑いがしばらく続いていた。
スマホが震えたのは、その最中だった。
画面を開く。
表示された名前を見て、一瞬、息が止まる。
柊先輩だった。
メッセージは、短い。
「たすけて」
一行だけ。
最初に浮かんだのは、
驚きよりも、別の感情だった。
――送ってきてくれた。
それも、初めてのメッセージだ。
胸の奥が、じわっと温かくなる。
すぐに、別の記憶が重なる。
共同リビングで、罰ゲームの話が出た夜。
困ってもいないのに「困ってる」と送るのは嫌だ、という柊先輩の言葉。
だから、あのとき決めた。
本当にゲームに巻き込まれたら、形だけ送る。
返事はいらない。そういう約束だった。
だからこれは、きっと、あの約束の延長だ。
「たすけて」というメッセージの意味にも理屈が通る。返信したい気持ちが、強くなる。
今、何してますか。
どうしました。
どんな言葉でもよかった。
でも、約束は約束だ。
少し残念に思いながら、
それでも、どこか浮かれたまま、既読をつける。
画面を伏せて、スマホを置く。
この続きは、合宿が終わってからでいい。
直接、顔を見て話せばいい。
そう思えるくらいには、この一行が、これから続くやり取りの始まりに思えていた。
*
合宿が終わって、寮に戻る。
荷物を置いてから、特に用事もないのに、廊下を一度歩いてみる。三〇三号室の前には、誰の気配もなかった。
時間を変えて、もう一度歩く。
それでも、様子は変わらなかった。
その日も、その次の日も、
柊先輩の姿を見ることはなかった。
たまたまだろう、と思う。
忙しい時期なんだろう、と。
それで、済ませられる程度のことだった。
それから数日が過ぎても、柊先輩の姿はなかった。
生活の中で、名前を聞くことも減っていく。
気に留めるほどのことじゃない。
そう思える程度には、日常は問題なく回っていた。
