あなたは、この人と恋をしたことがありますか

 紗奈が用意してくれた資料を確認してみると、たしかにところどころ不自然な部分がある。ゲーム内でのバグのような不具合から、人がいなくなるもの。掘り進めていけば、他にもあるような気がした。それくらい、インターネット上に転がっている情報の中には、不穏なものがいくつかある。でも、どれが真実で、どれが虚実かはわからない。
 情報の精査も含めて、とりあえず、それぞれで調べてみよう。調査を進めて、何か進展があったら報告しよう。そう言葉を交わしてカフェの前で別れると、時刻は夕方に近くなっていた。
 空が、薄紅色に化粧している。
 土曜日の夕方という、休みにかまけて少しのんべんだらりとした空気が漂うホームのベンチに腰掛ける。買ったばかりのミネラルウォーターを傾けながらぼうっとしていると、キャリーケースを転がした女子大生三人組が、楽しそうにおしゃべりをしながら近くに座った。どうやら旅行先からの帰りらしい。三人はスマホを覗きながら、「あそこのソフトクリームが美味しいかった」とか「やっぱりあの美術館に寄ってみれば良かった」「名物が食べられたから良かったじゃん!」とか、めいめい好きなことを話している。
 その賑やかな会話を聞いていると、喉の奥から不意に自分自身の大学生時代のことが瞼の裏に蘇ってきた。

 私が大学生だったのは、もう十年以上前の話だ。当時は上京したてで、周りには家族も友達も誰もいなくて、どうにも寂しくて、早く地元に帰りたい帰りたくて仕方がなかった。
 キャンパスが都内の一等地にあるというだけで、他には何も特徴のない平凡な私立大学。高校の先生にすすめられてとりあえず進学しただけだったから、特に何も期待はしていなかった。そもそも大学に進学したのだって、高校卒業してからすぐ仕事をするのが嫌だったから。モラトリアム期間を延長したかったから。ただそれだけ。大したモチベーションもない。都会に出てやりたいこともない。良かったことといえば、本をきっちり発売日に購入できることくらいだった。
 漫然と過ごしていれば、適当に時間は過ぎるだろう。大学受験をさせてもらって、決して安くない入学金と学費を払ってもらっている以上、途中で学校を辞めてしまうのはしのびない。とりあえず四年間を耐え忍んで、卒業したら、それと同時に地元に帰って、家業を継ごう。
 そう思っていた。
 そんな時に出逢ったのが、紗奈と、それから蛍だった。
 紗奈は附属の小学校から中学、高校、大学と内部進学をした――学内で言うところのエリート組だったが、何を思ったのか講義室の隅で読書をする私に向かって「ねえ、履修どうする?」と話しかけてきたのだ。今、考えても、どういうことかはわからない。その紗奈に連れられるようにして、ある日、やってきたのが蛍だった。
「えっと、ハジメマシテ。春上蛍(はるがみけい)です。……その、葉村さんとは第二外国語の選択が同じで……」
「やだ! 紗奈でいいって言ったじゃん。紗奈って呼んでよ!」
「……えっと、紗奈さんとは第二外国語が同じで、そんでここに連れてこられました……」
 そういえば、蛍も紗奈から声を掛けられたときのことは、どういうことだったかわからないと言っていた。気が付けば、紗奈に攫われ、食堂で昼食をしていた私のもとにいたらしい。
 蛍も私と同じで地方出身で、上京したばかりで周りに頼れる人はいなかった。親族や友達も近くにいないという。私と、同じだった。同じ年。学年。大学。そして、似たような境遇。お互い、紗奈がいなければ出逢うこともなかっただろうに、打ち解けるのは一瞬だった。
 私たちは瞬く間に仲良くなった。もちろん、紗奈も一緒に。
 三人でヒーヒー言いながら徹夜でレポートを作成し、度重なる試験に疲弊し、慣れない酒で泥酔して。あとは、紗奈が好きだというゲームを三人で楽しんで、蛍が好きな映画を端から端まで観た。ときには旅行をしたこともあった。出逢って数年だというのに、私たちは紛れもなく無二の親友だった。いや、私たちは三人いるんだから、無二というのはおかしいかもしれないけど。
「就職しても遊ぼうね」
「地元に帰っても、ちゃんと東京に来るんだよ?」
「紗奈と蛍がうちの方に来ても良いんだけどね」
「それも良いねぇ。旅行の延長って感じで」
 私たちは、大学を卒業してからも変わらないと疑っていなかった。
 
 でも。
 そろそろ卒業だというときに蛍がいなくなった。
 前触れは一切なかった。
「この映画、観たかったんだよね。でも就活ぎりぎりまでやってたから、観てなくてさ。ねえ、明日か明後日か、ふたりの都合が良ければ行かない? まだ、新宿のバルト9でやってるらしいんだ」
 そう言って、私たちを映画に誘った蛍が、待ち合わせ場所に来なかった。
 彼女は至極几帳面な性格をしていて、今まで待ち合わせに遅れることなんてなかった。遅刻するのは、いつだって紗奈。しばらく待って――それこそ遅れてきた紗奈と合流してから、一人暮らしの蛍の部屋に行くと、そこはもぬけの殻だった。
 一口コンロにはたまねぎがたくさん入ったカレー鍋。保温状態の炊飯器。ベランダの洗濯ピンチには、数枚のTシャツがつるされていた。リビングのローテーブルには、彼女が出かけるときに手放さなかったウォークマンと、スマホが置きっぱなしだ。よく使っていた自転車の鍵も玄関に放り出されている。
 その光景はまるで、ちょっとそこのコンビニに行ってくる、というようだった。
「蛍?」
 万が一のときのために、と預かっていた合鍵を手の中で転がしながら、紗奈が部屋という部屋を開けていく。とはいっても、大学生が独り暮らしをするような家だ。開けられる場所なんて、トイレと浴室くらいしかない。でも、どこにいなかった。しばらく待ってみても、帰っては来ない。
 その日の夜。私たちは警察に通報した。
 だが成人した女性がひとりいなくなったところで、大した対応はしてくれない。加えて、すでに両親を亡くしていた蛍は親族との縁が薄かった。誰も、彼女のことを率先して探してくれなかった。

 
「紗奈」
 蛍がいなくなって、一週間が過ぎた夜。大学近くのファミレスで私はもうひとりの親友に、ひとつの決意を表することにした。
「私、蛍のこと探すよ」
「でも、地元に戻るんでしょ? こっちに出てくるのだって大変じゃない?」
 私の実家は新幹線か飛行機でないといけない場所にある。東京と行き来をするのであれば、時間も交通費も馬鹿にならない。
「大丈夫」
「本当に? 私、蛍だけじゃなくてあなたまで無理するのは嫌だよ」
「ほんとに大丈夫なの。あのね、向こうに帰るの、ちょっとやめることにしたから」
 え、と驚く紗奈に、もう一度、念を押すように「だから大丈夫だよ」と言った。あの日に飲んだ、やけに薄いメロンソーダの味は、ずっと舌に残っている。

 一週間のうちに、思い知った。
 私たちにとって大切な人は、誰かにとってはどうでも良い人だ。一生懸命に探してくれるわけがない。私たちの親友のことを、一生懸命に探してくれる人は、いなかった。
「家族には、もうちょっとだけ東京にいたくなったって言ったの。そしたら、良いよって」
「そう……」
「だから、蛍を捜そうと思う」
 そうして、私はウェブライターになった。もともと文章を書くのも読むのも好きだったから、ちょうど良かった。裕福ではないけど、食うに困らないくらいの稼ぎはある。それにライターは、時間の融通がきくから、捜索に時間を割きたい私にとっては都合が良かった。仕事と仕事の合間を縫って、捜しに行ける。土日や祝日であれば、紗奈も一緒に行ってくれる。
 事件や事故が起きたという場所。自殺志願者が多いという場所。あるいは、女性が多く集うと噂の宗教団体まで。正直、蛍が生きているかはわからない。ネットには、失踪時間が長ければ長いほど、生存している確率は低いと書いてあった。希望を持つな、とも。それが捜している人間や、帰りを待つ人間のことを想っての言葉であることは十二分に理解している。でも、呑み込めなかった。
 蛍が生きていても、死んでいても。どちらであっても、自分たちの目で確認しない限り、納得なんてできない。それは私と紗奈、ふたりとも同じ考えだった。

 あれから、結局、もう八年経った。すでに蛍は親族によって失踪宣言され、法的には死亡したことになっている。それでも諦められなかった。

 紗奈が都市伝説の話を持って来たのは、捜し方を変えないといけないかもしれないと薄々感じていたときだった。
 オカルト。怪談。
 その線は考えたことがなかった。何せ、蛍がオカルトに対して、否定的な意見を持っていたからだ。でも思いつく限り、考えていった方が良いに決まっている。その方が、蛍の行方にも繋がるはずだから。
 私や蛍は、紗奈にすすめられるままに、いろんなソシャゲをやっていた。紗奈は特に、スマホでできる恋愛シミュレーションゲームやイケメンがたくさん出てくる内容のものが好きだから、私たちが選ぶゲームも自然とそういう類のものが多かった。
 だから、蛍が件のゲームをやっている可能性はゼロじゃない。
 調べる価値は大いにある。むしろ、闇雲に探すよりもずっと効果的な気がしてきた。

 これは蛍の行方を見つめるための、ひとつの捜索記録だ。