私のもとに「ちょっと奇妙な話があって」と言ってきたのは、親友だった。
奇妙な話って何、と訊く前に、カランという音が鳴る。テーブルに置かれたお冷の中からだった。
密やかな音量であるはずなのに、店の中で響いているBGMを覆ってしまうような気がした。だけど、気がしただけ。私以外、誰も気にしていない。
お冷に口をつける。先ほど、入店したと同時にウェイターさんが置いてくれたそれは、つめたくて、すうっと喉を通り抜けた。
気を取り直し、友人に向き合う。
「奇妙な話っていうのは?」
「あのね」
何かを誤魔化すように人好きのする笑みを浮かべて、友人――葉村紗奈がクリアファイルを鞄から取り出す。そのクリアファイルは紗奈が少し前までハマっていたソシャゲのキャラクターグッズだった。ミルクティーを思わせる少しウェーブした髪に、ルビーがそのまま嵌め込まれたかのような瞳。小さく形の良い唇は、熟したいちじくのような色をしている。筋肉質な体躯が纏っているのは、王子様とも見紛うような豪奢な衣装。
見る人が見れば、ソシャゲのSSRのイラストをそのままグッズにしたんだな、とわかるだろう。
かくいう、私もわかる。
大学時代、たまたま同じ学科になった紗奈に何が好きかと尋ねられ、「本が好きだよ。ラノベも純文学もなんでも好きで、なんでも読む」と返した結果、「じゃあ、これもやってみなよ!」とノベルゲームをすすめられた。そのゲームはかなり前にサービス終了してしまったが、あのゲームをきっかけに様々なソシャゲに手を出した。どれも独自の世界観とキャラクター、そして奥深いストーリーで構成されていて、そこから目が離せなくなってしまい、結果、ソシャゲの魅力に引きずられてしまった。
RPGからノベルゲーム、着せ替えゲーム、リズムゲーム、エトセトラエトセトラ。
正直、いくつ手を出したかわからない。社会人になって、時間がなくなり、数をいくつかに絞ってプレイするようにはなったものの、それでもまだ数個のソシャゲを同時並行している。新作が出ると言われればチェックも欠かさない。ソシャゲはいまや、手ごろな暇つぶしで、気分転換で、趣味になった。まあ、それは紗奈もきっと同じだろう。
クリアファイルのキャラクターは、記憶が間違っていなければ、彼女の推しだったはず。「絶対に使わない! 死んでも使わない!」と言っていたが、使うことにしたらしい。人の好みなんてすぐに変わる。私だって同じだ。
祭壇に飾られるだけだったクリアファイルは、本来の用途通り、書類を挟んでいるらしい。その中に挟まれていた、数枚の紙が差し出される。
パラパラとめくってみると、SNSのスクリーンショットや、個人ブログを印刷したもの、大手掲示板サイトの抜粋まである。共通項が見出せない。「これは?」と訊けば、紗奈はお冷で喉を軽く潤してから口を開く。
「だいぶ前……えっと、今が2025年だから、7年前か。2018年の6月にサ終したソシャゲについての話なんだけど」
この資料を見て、と紗奈は一枚の紙を指さす。その上部には、明朝体の淡い色合いの文字で「夢の中で運命の婚約者と出逢って、」と書かれている。その下には、それぞれ系統の異なるイケメンが微笑んでいた。
ゆめのなかでうんめいのこんやくしゃとであって、
これがソシャゲの名前らしい。イラストを見たところ、ジャンルとして女性向け恋愛シミュレーションゲーム──いわゆる、乙女ゲームだろう。
乙女ゲームとは、主人公(=プレイヤー)が魅力的な男性キャラクター(攻略対象者)たちとの恋愛やストーリーを楽しむ恋愛シミュレーションゲームやノベルゲームのこと。最近では、悪役令嬢が乙女ゲームの世界に転生してしまった、という内容の作品も人気だから、プレイしたことがなくとも、雰囲気はわかるという人も多いだろう。
乙女ゲームには、途中でストーリーが分岐して攻略対象を中心に進むものもあれば、メインストーリーとは別に個別でそれぞれのキャラクターと疑似恋愛を楽しめるものもある。
ゲームの概要を見る限り、このゲームは後者らしい。
夢の中で運命の婚約者と出逢って、ともう一度、タイトルを舌の上で転がす。
知らない名前だ。
記憶を遡ってみても、思い当たらない。
「これがどうかしたの?」
「それがね、やばい都市伝説があるらしいの」
そう言われて、上手い反応をしようとしたが、ふーんというだいぶ適当な声が出てしまった。しまった、と思い、タイミングよくサーブされたレモネードを一気にストローで啜る。紗奈への誤魔化しのために飲んだつもりだったが、存外、喉が渇いていたようだ。ごきゅり、と喉が鳴る。
まだ五月にもなっていないが、空は真夏の様相をしている。散った桜がアスファルトの僅かな隙間にねじこまれているのに、空に掲げられた太陽はこれでもかと言わんばかりに光と熱を発散していた。おかげで、暦はまだ夏になっていないのに、毎日が暑い。
灼熱地獄だ。
そんな中で紗奈に「どうしても会って話したいことがある」と呼び出された。紗奈から指定されたのは、私の家と彼女の家のちょうど中間に位置する駅のカフェ。真ん中、とはいっても別の県に住んでいる私たちは、それぞれが一時間近くをかけて集合した。それなのに、したかった話がソシャゲで囁かれている都市伝説なのはいただけない。もっと違う話かと思っていたのに。有益な話かと思っていたのに。
そう思っていたが、
「あのね、そのソシャゲには呪いがあってね。……人が消えるんだって」
という紗奈の言葉で、「え」という母音が自分の口から零れた。
「人が、消えるんだって」
繰り返されたその言葉。それは小さな波となって、私の鼓膜を揺らした。さざめきだった。
ありえないよ、だってただのソシャゲでしょ。
そう言おうとして、口を開いたが、声は出なかった。
「もしかしたら、関係あるかもしれないなって思ったの。蛍のことと」
「……ん。そうかも、しれないね」
「それに、関係なかったなら、適当にネタにすれば良いんじゃないかなって。あなた、小説投稿サイトで小説書いてるんでしょ?」
「うん」
「情報収集は、あたしも手伝うからさ。これ、ちょっと調査してみようよ。蛍のことと、繋がるかもしれないし。ね?」
わたあめのように優しくて柔らかくて甘い声とともに、紗奈は私に数枚の書類を握らせる。私は複数回頷きながら、それを大事に受け取った。
