あなたは、この人と恋をしたことがありますか

「そもそもこのゲームは乙女ゲーム――つまり、明らかにターゲットは女性なんだよね」
 今は多様性が謳われている時代だ。でもやっぱりメインターゲットは女性だろう。何せ、乙女ゲームというのは多くのイケメンと画面越しの恋愛を楽しむゲームなのだから。
「例えば怪異に何かしらの目的があるとして。だとしたら、その怪異のターゲットも女性なんじゃないかなって思うんだよね。だって怪異のターゲットが男性なのに乙女ゲームで何かを起こすんだとしたら、コスパが悪すぎるでしょ」
「じゃあ、その怪異が、自分の目的を果たすために、ゲームに棲みついて利用してたってこと?」
「……うん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね。そこまではわかんないや」
「なるほどね」
 頷きながら、炭酸の抜けたジンジャーエールに口をつける。
 怪異。そのターゲットにされている女性。そして何かの線引きの基準となっている、結婚。
 今まで出てきた情報を、炭酸の抜けたジンジャーエールとともに喉に流し込めば、弱い刺激がぱちぱちとはじけた。同時に、調査をしている最中に浮かんで来た疑問を思い出す。
「あのさ」
「うん?」
「なんで急に、ゲームの調査を始めようなんて言い始めたの?」
「……え?」
 それまでスマホ画面に落とされていた視線がこちらに向けられる。マツエクが施された鬱蒼とした森のような睫毛の間から、丁寧に研がれた剃刀のような瞳が覗く。え、と怯むが、見間違いだったのかもしれない。瞬きの間に、視線はいつもの春風のようなあたたかいものへと戻っていた。間違いか、それか光の加減だな、と自分に言い聞かせる。
 紗奈とはそれなりに長い付き合いだが、あんな視線を真正面から向けられたことはない。わずかに開いたブラインドから車のライトが零れている。これの所為か、と思った。
「それは、あのカフェで言った通りだよ。蛍がいなくなっちゃったのと、何か関係があるかもしれないって思ったの。確証はないよ。蛍があれをやってたかどうかっていうのも、全然覚えてないっていうか、何のゲームをやってたかなんて知らないし」
 アプリゲームは、基本的にスマホ画面だけで完結する。
 ひどく狭い世界だけで完結してしまうのだ。私も紗奈が大学時代にどんなゲームをやっていたのかは、知らない。知っているのは好きだとしきりに語っていたタイトルや、よくグッズを買っていたキャラクターだけ。それだって、内容については朧げだ。せいぜいが魔法使いが出てくるんだったな、とか全員がアイドル設定だったな、とかその程度。紗奈が、蛍のゲーム事情を知らなかったとしてもおかしくはない。
「実はずっと、このゲームに変な噂があるのは知ってたの。だから蛍がいなくなっちゃったあと、少し調べたりしてたの。でもね、それが原因で蛍がいなくなっちゃったかもしれないって考えるのは、怖かったんだ。……だって、全然ゲームに興味のないふたりに、ゲームをすすめたのはあたしだったから」
 紗奈から渡された、ゆめであについての資料を思い浮かべる。SNSのスクショ画面や、note記事、Wikipediaからニコニコ大百科のページまで。その内容は多岐に渡っていた。調べるのには、多くの時間を要したことだろう。
 調べてわかったことは、ネットという巨大な海の中で、自分が必要とする情報を見つけることは難しいということだ。まして、それが違和感を憶えるものというものなら尚更。多くの情報に目を通して、そこからおかしいと思うものを見つけ出さなければいけない。一朝一夕にはできないだろう。
 でも、紗奈は「かもしれない」という憶測だけで、その情報を集めていた。
 たったひとりで。
 きっと、長い時間をかけていたんだろうということは、容易に想像はできた。
「そうだったんだ。……ごめん、何も気づかなくて」
「いや、言ってなかったのはあたしだから。むしろごめんね。……あたしがひとりで調べる勇気がないからって巻き込んで」
「ううん。むしろ言ってくれて良かったよ。蛍だけじゃなくて、紗奈までいなくなったら、私だって嫌だから」
 会話に一区切りがついたところで、空になったお皿を店員さんが下げてくれる。その背中を見送ってから、紗奈が口を開いた。

「やっぱり、怖くてもちゃんと調べなきゃダメだよね。……あたし、覚悟決めたよ」
「……紗奈?」
 紗奈はずっとちゃんと調べてくれている。情報をうまく探せていないのも、ろくな推理ができていないのも、全部私の方だ。そう言おうとすると、「あたし、今度の週末に蛍のおばさんの家に行ってくるよ」と紗奈が微笑んだ。
「え、蛍の?」
「うん。……比較的、蛍のことを気にかけてくれてたおばさん。ほら、蛍が住んでたアパートを解約するときに来てくれたおばさんがいたの、憶えてない?」
 両親を幼い頃に亡くした蛍は、親戚の家を転々としたという。そのおばさんというのは、蛍が小学校高学年のときに一緒に暮らしていたという女性だった。ほとんどの親戚が無関心を貫く中、彼女だけが蛍の失踪に心を砕いてくれた。それなのにもかかわらず、ほんの少しの間しか一緒に暮らしていなかったのは、彼女が夜の仕事をしていたからだったという。親戚の中で、水商売をしている人間が子どもを育てるのは不適切ではないか、という声が上がったらしい。口々にそう言っても、誰も蛍のことを大して面倒見なかったというのに。
 理不尽。その三文字を頭に浮かべたことを、口の中に広がるコーヒーにも似た苦さとともに思い出した。
「憶えてる。でもなんでその人のところに?」
「蛍の持ち物を、あの人が持って帰ったでしょ?」
「うん、そうだったね」
 バイト代が振り込まれていた銀行口座の通帳。印鑑。パスポート。年金手帳。そういった重要書類から、蛍がずっと昔から大切にしていたというテディベアまで。家に置いておけるものは、その人が引き取ってくれた。
 
「スマホも、渡したの」
 
 そう言われて、紗奈が言いたいことを理解した。
 中身を見ようとしているんだ。
 蛍はパソコンは持っていたけど、タブレット端末は持っていなかった。だからアプリゲームは全部、スマホでプレイしていた。ゆめであをインストールしていたとするなら、スマホだ。
「だから、それを確認しようと思う。やっぱり、ちゃんとあたしが確認しないと、だから」
 その言葉からは、紗奈の懺悔のような後悔のような色が滲んでいた。ずっと、思っていたんだろう。考えていたんだろう。蛍が失踪したのは、自分がゲームをすすめた所為なんじゃないか、と。
 私はそれに気づけなかった。紗奈の親友を名乗っておきながら。
「だから、行ってくるね」
 私はそう微笑む紗奈に対して、「気を付けてね」としか言えなかった。