可能性は売ってない

――体験会二日前の夜、クラブでは最終確認が続いていた。

三枝コーチは保護者同意の用紙を用意していた。
白石先輩はSNS用の投稿文を確認している。
赤羽は小学生たちにフットワークの見本を見せていた。
俺は受付の流れを紙に書いていた。

『名前を書く』

『年齢を書く』

『保護者の確認』

『防具サイズ』

『順番札』

地味だ。

非常に地味だ。

でも、こういう地味なものがないと、当日たぶん混乱する。

赤羽が暴走する。
赤羽化する。

それは避けたい。

白石先輩が俺の紙を見た。

「順番札、色分けしたほうがいい」

「色?」

「小学生、番号だけだと失くす。色のほうがわかる」

「なるほど」

「あと、赤羽に持たせない」

「なぜ」

「配る勢いで全部渡す」

「想像できます」

赤羽が遠くから反応した。

「聞こえてますけど!」

「声は三割」

三枝コーチが言う。

「体験会前から制限されてる!」

赤羽の声がクラブに響く。

いつもの赤羽。

でも、俺と目が合うと、少しだけ声が引っ込んだ。

その変化が、痛い。

練習後、赤羽が俺の近くに来た。

「朔」

「何」

短く返してしまった。

赤羽は少しだけ黙った。
俺も黙った。

謝るなら今だ。

こないだは言いすぎた。

たぶん、赤羽も何か言おうとしている。

届きそうで、届かない距離。

でも、その瞬間、三枝コーチが呼んだ。

「慎太郎、防具倉庫の鍵、こっち置いといて」

「あ、はい」

赤羽がそっちへ行く。

タイミングはまた消えた。

いや、消したのは俺だ。

俺は自分の足元を見た。

フェンシングのレーンなら、白い線がある。

今はない。

だから余計に、どこまで踏み込んでいいのかわからない。

白石先輩が横から言った。

「止める距離にいたのに、止めなかったな」

俺は顔を上げた。

「今の、フェンシングの話ですか」

「半分」

「残り半分が痛いです」

「痛いなら、見えてる」

白石先輩はそれだけ言って、マスクを棚に戻した。

答えはない。

いつも通りだ。

でも、考える場所は置いていく。

ずるい。