可能性は売ってない

クラブのガラス戸を開けると、いつもの音がした。

がらっ。

蛍光灯の白い光。
ゴムマットの匂い。
壁に貼られた体験会の案内。
レーンの白い線。
カン、と剣の当たる音。

いつものクラブ。

でも、空気は少し重かった。

三枝コーチは受付机の前で、クリアファイルをいくつも広げていた。体験会の申込リスト、チラシの残り、商店街の会場図、そして隅に置かれた賃料改定のお知らせ。

隠されてはいない。

隠しても仕方ない、という顔をしていた。

白石先輩は壁際でマスクを拭いていた。

小学生たちはいつもより静かにフットワークをしている。子どもは空気を読む。読まなくていい空気まで読む。大人が「大丈夫」と言いすぎると、逆に大丈夫じゃないことに気づく。

三枝コーチが俺たちを見た。

「お、来たね。今日は練習半分、準備半分」

「半分って、どっちが重いんですか」

俺が言うと、三枝コーチは少し笑った。

「両方」

「最悪の半分ですね」

いつもの軽口。

でも、目の下の疲れが濃い。

赤羽はすぐにマスクの棚へ向かった。

「俺、防具数えます」

「助かる。慎太郎、サイズごとに分けて」

「はい」

俺は三枝コーチの机の上を見た。

チラシの束が、少し乱れている。

俺が作った見出しが、何枚も重なっている。

『可能性は売ってない。でも、体験はできます。』

何度見ても恥ずかしい。

でも、今は恥ずかしさより、足りなさが目についた。

チラシはある。

でも、置いてあるだけでは届かない。

学校で配る。
商店街に貼る。

それでも、誰かに届くかはわからない。

俺が走っても、世界はすぐには変わらない。

クラブの家賃は下がらないし、赤羽の父親の転勤が消えるわけでもないし、昨日の言葉がなかったことにもならない。

それでも。

何もしないよりは、ましなのかもしれない。