可能性は売ってない

体験会の準備は、予想以上に地味だった。

フェンシングの体験会と聞くと、剣を持って「アレ!」で突撃、みたいなわかりやすい場面を想像するかもしれない。

実際は違う。

マスクを何個用意するか。
防具のサイズが合わない子にはどうするか。
小さい子が剣を振り回さないように、どこで線を引くか。
商店街の会場スペースにレーン代わりのテープをどれだけ貼るか。
雨が降ったら室内に移すのか。
保険はどうなっているのか。
チラシのQRコードは読み取れるのか。
誰が受付をやるのか。
誰が説明をするのか。
赤羽が暴走したら誰が止めるのか。

最後の項目だけ、なぜか全員が俺を見た。

「なんで俺なんですか」

三枝コーチはホワイトボードに『赤羽制御』と書きながら言った。

「青山くん、最近慎太郎へのツッコミが安定してきたから」

「ツッコミは役職じゃないです」

「クラブ運営に必要な人材は幅広いんだよ」

「人材の使い方がおかしい」

赤羽は隣で不満そうに腕を組んだ。

「俺、暴走しないし」

白石先輩が短く言った。

「する」

「先輩、即答やめてください!」

「事実」

「事実が一番刺さる!」

「フェンシングだから」

「そういう刺さるじゃない!」

俺はホワイトボードを見た。

『受付』

『防具説明』

『フットワーク体験』

『ミニ突き体験』

『赤羽制御』

赤羽制御だけ、妙に現実味がある。

三枝コーチはマーカーを置いて、俺たちを見た。

「体験会は、クラブ存続のために大事です。でも、来てくれた人に無理に入ってもらう会じゃない。フェンシングを知らない人に、ここにあるものを少し見てもらう会」

「ここにあるもの」

俺が繰り返すと、三枝コーチはうなずいた。

「剣だけじゃなくてね。足を動かす楽しさとか、音とか、距離とか。あと、練馬のこのクラブの空気」

空気。

汗と柔軟剤とゴムマット。
蛍光灯の唸り。
ガラス戸のがらっとした音。
小学生たちの足音。
白石先輩の短い言葉。
赤羽の無駄に大きい声。
三枝コーチの軽口。

それら全部を、どうやって体験会で見せればいいのか。

赤羽は両手を握って言った。

「俺、フットワーク体験やります!」

「慎太郎は声を三割」

三枝コーチが言う。

「三割だと届かないです」

「君の三割は普通の人の八割」

「そんなに?」

「そんなに」

白石先輩が言った。

「最初から近づきすぎると、相手が逃げる」

赤羽は少し黙った。

「……フェンシングの話ですか?」

「半分」

白石先輩は俺のほうをちらっと見た。

その目は、いつも通り眠そうだった。
でも、俺はわかった気がした。

赤羽だけの話じゃない。
俺の話でもある。

近づきたいから、前足だけ出すと崩れる。
離れたいから、後ろ足だけ逃げても崩れる。

距離は作るもの。

最近、白石先輩の言葉が頭の中に残りすぎる。