可能性は売ってない

母さんは夕飯のあと、入部届を見て少し目を丸くした。

「正式に入るの?」

「たぶん」

「たぶんで入部届出すの?」

「人生はたぶんでできてるらしい」

「誰の言葉?」

「赤羽」

「ああ、あの声の大きい子」

母さんの認識が正確すぎた。

「クラブ、大変なんでしょ?」

俺は手を止めた。

「知ってるの?」

「商店街の人から少し聞いた。家賃の話」

練馬の情報網、侮れない。
西武線より速いかもしれない。

母さんは入部届を見たまま言った。

「なくなるかもしれないところに入るの、不安じゃない?」

「不安」

即答してしまった。
俺にしては珍しく、正直だった。

でも、そこで終わらなかった。

「でも、なくなるかもしれないから、入らないっていうのも、なんか違う気がする」

母さんは少し黙って、それからボールペンを取った。

「そっか」

それだけ言って、保護者サイン欄に名前を書いた。

大人のサインは早い。

俺が何日も足踏みしている場所を、母さんは十秒で渡っていく。

「無理はしないでね」

「うん」

「でも、やるならちゃんとやりなさい」

「急に昭和みたいなこと言う」

「令和でも言うことはある」

母さんは笑った。