可能性は売ってない

「……俺、中学の卒業文集」

「ん?」

「将来の夢、空欄だった」

なぜその話をしたのか、自分でもわからなかった。

東京ノースのきれいな建物を出て、電車を待つまでの短い時間。
五対〇で負けて、赤羽も負けて、黒瀬の「まだやってたんだ」が耳に残っていて。

そんな中で、急に昔の空欄を思い出した。

「空欄?」

赤羽が聞く。

「なりたいもの、なかったから。適当に書くのも面倒で」

「先生に怒られなかった?」

「怒られた。『高校で見つけよう』って言われた」

「いい先生じゃん」

「先生としては模範解答だろ」

「朔としては?」

「プレッシャー」

赤羽は少し笑った。

「俺、書いたよ」

「何を」

「フェンシング」

俺は赤羽を見る。

「それ、将来の夢なのか」

「うん」

「職業名じゃなくない?」

「細かいな」

「文集の欄はたぶん職業を書く想定だろ」

「じゃあ、フェンシングで何かする人」

「ざっくりすぎる」

赤羽は空を見上げた。

駅のホームの上、春の空は薄く青かった。
遠くで電車の音が近づいてくる。

「でも、俺はそれでよかった。選手でも、コーチでも、何でも。フェンシングって書いたら、なんか自分が前に出られる気がした」

前に出る。

赤羽らしい言葉だと思った。

「朔は?」

「俺?」

「今なら、何か書く?」

俺はすぐには答えられなかった。

五対〇。
何もできない負け。
黒瀬の静かな強さ。
赤羽の悔しい笑顔。
次は勝つ、という声。

それらが全部、胸の中でうまく並ばない。

「……空欄のままかも」

俺が言うと、赤羽は笑った。

「じゃあ、まだ欄、取っておけよ」

「何その助言」

「いつか書くかもしれないだろ」

「文集、もう提出したんだけど」

「心の文集」

「急に詩人になるな」

赤羽は笑った。

電車が来た。
ドアが開く。

俺たちは乗り込んだ。

帰りの電車は、行きより静かだった。