可能性は売ってない

でも、黒瀬との試合になると、その空気が少し変わった。

「赤羽、黒瀬。五本」

相手コーチが言う。

赤羽はにっと笑った。

「見てろよ、朔。黒瀬に勝つ」

そう言って、マスクを被った。

俺は何も言えなかった。

勝つ、と言い切れるのが赤羽らしいと思った。
でも、その声の中に、いつもの軽さだけじゃないものがあった。

三枝コーチが腕を組んで見ている。
白石先輩は黙っている。

「プレッ」

赤羽が構える。
黒瀬も構える。

二人の剣先が、細い線みたいに向かい合う。

「アレ!」

赤羽が出た。

速い。

やっぱり速い。
最初の一歩で距離を詰める。
相手に考える時間を与えない。

でも、黒瀬は下がらなかった。

ほんの少し、剣先をずらす。
赤羽の剣が外れる。
黒瀬の剣先が赤羽の胴に触れる。

ピッ。

「ポイント、黒瀬」

赤羽はすぐに構え直した。

二本目。

今度は赤羽が少し待つ。
待つ、といっても、赤羽基準だ。一般的には「我慢している犬」くらいの待ち時間である。

黒瀬が前に来る。

赤羽が払う。
カン。
踏み込む。

ランプが光った。

「ポイント、赤羽」

赤羽の肩が少し上がる。

よし、と言った気がした。

三本目。
四本目。

二人の試合は、俺の試合とは別の競技みたいだった。

距離が細かい。
足が止まらない。
剣先が見えたと思った瞬間には、もう別の場所にある。
金属音が短く鳴る。
ランプが光る。

赤羽は前へ出る。
黒瀬はその前進をずらす。
赤羽はもう一度押す。
黒瀬は待つ。

赤羽の速さを、黒瀬は怖がっていない。
むしろ、その速さを利用しているみたいだった。

四対三。

黒瀬がリードしている。

赤羽はマスクの下で大きく息をしていた。
肩が上下する。
右手の指が、剣のグリップを握り直す。

「アレ!」

最後の一本。

赤羽が前に出る。
今までより速い。

黒瀬が下がる。
赤羽が追う。

届く。

そう思った。

たぶん赤羽もそう思った。

剣先が伸びる。
黒瀬の身体が半歩だけ横へずれる。
赤羽の剣が有効面をかすめる。

ランプはつかない。

次の瞬間、黒瀬の剣先が赤羽の胴に入った。

ピッ。

「ポイント、黒瀬。五対三」

終わった。

赤羽が止まった。

ほんの一秒。
一秒にも満たないかもしれない。

でも、俺には長く見えた。

赤羽が負けた。
赤羽も負けるんだ。

そんな当たり前のことが、今さら胸の中に落ちた。