可能性は売ってない

――練習が終わる頃、外はすっかり夕方になっていた。

クラブの窓の向こうで、商店街の明かりが少しずつ点き始める。ガラス戸に反射した蛍光灯の白と、外のオレンジ色が重なって、レーンの端が少しだけ夕焼けみたいに見えた。

制服に袖を通すと、汗が冷えて少し肌寒かった。春の夕方は、昼間よりずっと正直だ。油断すると寒い。赤羽みたいに暑苦しい人間の近くにいると忘れるけど、季節はまだ四月だった。

ロッカーを出ると、赤羽がバッグを肩にかけて待っていた。

「こばやし行く?」

「行く前提なんだな」

「練習後のコロッケまでが――」

「フェンシング。聞いた」

「よし、復習できてる」

「テストに出るのか」

「練馬版では出る」

赤羽はそう言って笑った。

白石先輩もバッグを持って、少し後ろを歩いていた。

「先輩もこばやしですか?」

赤羽が聞くと、白石先輩は首を横に振った。

「今日は帰る」

「えー」

「えーじゃない」

白石先輩は俺を見た。

「青山」

「はい」

「今日の距離、忘れるな」

「はい」

「でも、覚えすぎるな」

「……どういうことですか」

「考えすぎると、また重くなる」

軽いものほど、力むと重くなる。
距離も、たぶん同じ。

俺はうなずいた。

白石先輩はそれ以上言わず、クラブの外へ出ていった。

赤羽が隣でぼそっと言った。

「先輩、朔に教えるの上手いよな」

「赤羽の擬音よりは」

「俺だって上手いし」

「ビュッとスッで?」

「今日はちゃんと言葉使っただろ!」

「三割?」

「それはコーチ!」

赤羽はそう言って笑った。
でも、少しだけむくれた感じはまだ残っていた。

俺はバッグの紐を持ち直す。

「……お前も、見てたじゃん」

「え?」

「俺が止まったやつ。赤羽が先に言った」

赤羽は一瞬きょとんとして、それから顔を明るくした。

「だろ! 俺、見てた!」

「声がでかい」

「朔が止めたから!」

「負けたけど」

「負けたけど、止めた」

赤羽は胸を張った。

子どもっぽい。
でも、悪くなかった。

こいつは俺を前に引っ張る。
白石先輩は、俺が崩れない距離を教える。
三枝コーチは、軽口を言いながら練習メニューで足を壊しにくる。いや、壊してはいない。たぶん鍛えている。たぶん。

それぞれ距離が違う。

近いから見えるものもある。
離れているから見えるものもある。

俺はまだ、その距離の取り方をよく知らない。