可能性は売ってない

ロッカーで制服に着替えると、ジャージの匂いがまた自分の服に移った気がした。昨日より濃い。たぶん、今日の分が追加されたからだ。

帰り際、三枝コーチが受付の机から一枚の紙を取った。

「青山くん」

「はい」

「これ、仮入部届」

差し出された紙には、クラブ名と、名前を書く欄と、保護者のサイン欄があった。

俺は紙を見た。

「……入部するとは言ってないです」

「うん。だから仮」

「仮でも、けっこう強い字面ですね」

「見るだけなら無料」

「商売みたいに言わないでください」

「クラブ運営は現実だからね」

三枝コーチは軽く笑って、紙を俺のほうへもう少し近づけた。

「持って帰って考えて。捨ててもいいし、机に置いてもいいし、親に見せてもいい」

「捨ててもいいんですか」

「紙はね」

その言い方が少し引っかかった。

紙は捨ててもいい。

じゃあ、何は捨てないんだ。

赤羽が俺の横から紙を覗き込んだ。

「朔、名前書く欄あるぞ」

「見ればわかる」

「青山朔って、字面かっこいいよな」

「書類の名前欄で褒められても困る」

「俺、赤羽慎太郎って書くとスペース足りなくなるんだよ」

「それは知らない」

「慎太郎の『慎』がでかい」

「字のバランスの話かよ」

白石先輩がスポーツバッグを肩にかけながら言った。

「慎太郎の勢いに全部乗ると疲れるから」

「半分だけ聞けばいい、ですよね」

「そう」

白石先輩は俺を見た。

「でも、自分が悔しいと思った分は、ちゃんと聞いたほうがいい」

短い言葉だった。

答えじゃない。

でも、考えるための取っかかりみたいなものだった。

俺は仮入部届を受け取った。

紙は思ったより薄かった。なのに、指先に変な重さがあった。