可能性は売ってない

夕方、クラブに戻って防具を片付けた。

商店街から古いビルの一階へ、荷物を運ぶ。
ガラス戸を開けると、いつもの匂いがした。

汗。
柔軟剤。
ゴムマット。

今日一日外に出ていたせいか、その匂いが少し懐かしかった。

三枝コーチは受付机の前に立ち、体験会の参加者リストを見た。

赤羽、白石先輩、俺、小学生たち、そして少し残っていた保護者が集まる。

三枝コーチは言った。

「正直、これで全部解決したわけじゃない」

クラブの中が少し静かになる。

三枝コーチは続けた。

「家賃の問題は残ってる。交渉もこれから。協賛も、確定したわけじゃない。今日一日で、魔法みたいに全部が元通りになるわけじゃない」

赤羽は黙って聞いていた。
俺も聞いていた。

それでいいと思った。

全部解決しました、なんて言われたら、逆に信用できない。

世界はすぐには変わらない。

でも。

三枝コーチは少しだけ笑った。

「でも、交渉する材料はできた。新しく入りたい子もいる。地域情報誌の記事も出るかもしれない。商店街から協賛の話も出た。少なくとも、ここを畳むって決めるには、まだ早い」

赤羽が一歩前に出た。

「つまり?」

三枝コーチは、少しだけ間を置いた。

わざとだ。

大人の演出だ。

「続けます」

赤羽が叫んだ。

「よっしゃあ!」

「声」

俺が言った。

ほとんど同時に、白石先輩も言った。

「声」

三枝コーチも言った。

「声」

小学生たちまで言った。

「声!」

赤羽は両手を上げたまま固まった。

「全員で!?」

俺は笑ってしまった。

クラブの中に笑いが広がる。

蛍光灯が少し唸っている。
床には今日使ったテープの切れ端が残っている。
マスクはまだ全部片付いていない。

完璧じゃない。

でも、ここは続く。

少なくとも、続けるために前に出る。

俺はその場所に立っていた。

正式部員として。
相棒の隣で。

可能性は売ってない。

だから俺らは、それを買わずに、つくることにした。