可能性は売ってない

俺はマスクを被った。
世界が格子になる。
商店街が四角に区切られる。

赤羽が向かい側に立つ。

マスク越しでも、赤羽が笑っているのがわかった。

「朔」

「何」

「一本」

「勝手に決めるな」

「もう決まってる」

「そうだった」

三枝コーチの声がした。

「アレ!」

赤羽が前に出た。

いつもの速さ。
いや、少し抑えている。

体験会のデモだから、危なくないようにしている。

でも、赤羽は赤羽だ。

一歩で空気が近づく。

昔の俺なら、ここで下がりすぎる。

怖いから。
遠ければ安全だと思って。

でも、遠すぎると自分も何もできない。

俺は一歩下がった。

剣先を外さない。

赤羽がさらに来る。

俺はもう一歩下がる。

下がりすぎない。

届きそうで、届かない。

赤羽の剣先が近い。

怖い。

でも、怖いのは悪くない。

俺は赤羽の剣先だけを見なかった。

肩。
足。
間。

赤羽の前足が床を噛む。

来る。

思った瞬間、俺は剣を横に出した。

カン。

金属音。

赤羽の剣が外れる。

ほんの少し。

たぶん、赤羽ならすぐに戻せる。

でも、そのほんの少しが、今の俺には全部だった。

俺は後ろ足で床を押した。
前足だけで落ちない。
身体を前へ。
腕を伸ばす。

ランジ。

ピッ。

ランプが光った。

一瞬、商店街が静かになった。

本当に静かになった。

肉のこばやしの油の音まで、少し遠くなった気がした。

俺のランプだった。

三枝コーチの声がした。

「ポイント、青山」

俺はマスクの中で息を止めた。

赤羽も止まっていた。

それから、赤羽がマスクを外した。

汗で前髪が額に張り付いている。

悔しそうで、嬉しそうな顔だった。

「今の、まぐれじゃないな」

俺もマスクを外した。

心臓がうるさい。

赤羽ほどうるさい。困る。

「たぶん」

「そこは言い切れよ!」

赤羽の声が、久しぶりに十割近かった。

俺は少し笑った。

「まぐれじゃない」

言えた。

その言葉が、自分の中にちゃんと残った。