可能性は売ってない

「じゃあ、次。軽くアタックの練習」

三枝コーチの声で、俺は剣を握り直した。

フルーレは今日も軽い。

軽いのに、持ち方を考えると急に重くなる。白石先輩が昨日言った「軽いものほど、力むと重くなる」という言葉が、今さらじわっと効いてきた。物理とか言っていたけど、たぶんあの人はわざと少し哲学っぽく言っている。眠そうな顔で油断させてくるタイプだ。

赤羽が俺の正面に立つ。

「じゃ、昨日の続き。一本勝負」

「基礎を少しって話は?」

「これも基礎」

「絶対違う」

三枝コーチは少し考えてから、うなずいた。

「まあ、一本だけ。青山くん、昨日のポイントがどういうものだったか確認しよう」

「どういうものって」

「身体でわかるほうが早い」

嫌な予感がした。

赤羽はマスクを被った。俺も被る。

視界が格子になる。世界が網目越しになる。音が近くなる。

昨日と同じ。

でも、昨日とは違う。

昨日の赤羽は、体験者に合わせていた。たぶん。いや、今思えばかなり手加減されていた。あれで俺は「当てた」と思ったのか。思った。笑った。ちょっと楽しいとか言った。過去の自分、無防備すぎる。

三枝コーチが声を上げる。

「プレッ。アレ!」

ピーッ!

赤羽が動いた。

速い。

昨日より速い、と思う間もなかった。

一歩、前。剣先が見えた。反応しようとした瞬間、胸元に軽い衝撃。

ピッ。

ランプが光った。

「……え?」

「一本、赤羽」

終わった。

あまりにもあっさり終わった。

俺の足はほとんど動いていない。剣も出ていない。考えた瞬間には、もう当たっていた。

赤羽がマスクを外す。

「もう一本」

「一本だけって言っただろ」

「今のは挨拶」

「挨拶で人を突くな」

三枝コーチが笑いをこらえながら言う。

「青山くん、今の見えた?」

「……剣先が、途中から消えました」

「消えてない。君の目が追えてないだけ」

「厳しい現実」

「でも、わかったでしょ。昨日のポイントがどういうものだったか」

わかった。

わかってしまった。

昨日のあれは、赤羽が本気じゃなかったから起きた。俺がすごかったんじゃない。俺の足が特別だったんじゃない。赤羽が合わせてくれて、その隙間に偶然、俺の剣先が入っただけだ。

まぐれ。

赤羽が昼休みにあっさり言った言葉が、今になって腹の中に落ちた。

「もう一本やろう、朔」

赤羽が言う。

「今度はさっきより、ちょっとだけ準備して」

「準備って何を」

「足。後ろ足で床押して。剣先は俺の胴から外さない」

「注文が多い」

「初心者向けセット」

「どこがだよ」

俺はマスクを被り直した。

悔しい、と思った。

いや、まだ違うかもしれない。

びっくりした。ムカついた。恥ずかしかった。赤羽が速すぎて意味がわからなかった。昨日の自分が少し調子に乗っていたみたいで腹が立った。

それらをまとめたら、たぶん「悔しい」になる。

認めるのは、少し癪だった。

「プレッ。アレ!」

今度は、赤羽の肩を見た。

昨日、肩が沈んだ気がしたから。

赤羽が前に出る。

俺は剣先を向けたまま、後ろへ下がろうとした。

でも、足がもつれた。

「うわ」

体勢が崩れた瞬間、また胸元に衝撃。

ピッ。

「赤羽」

「朔、足!」

「わかってる」

「後ろに下がるとき、前足から引いちゃった」

「言われても足が納得してない」

「足と会議して」

「議題が多すぎる」

赤羽は笑っていたけど、馬鹿にしている感じではなかった。

それが余計に悔しい。