可能性は売ってない

昼過ぎ、参加者が少し途切れた。

三枝コーチが水分補給を促し、白石先輩が防具のベルトを直している。

赤羽はペットボトルを持って、商店街の自販機の横へ歩いた。
俺は少し遅れてついていった。

同じ場所だった。

こないだ、俺たちが喧嘩した場所。

夜ではなく昼なのに、あの日の言葉がまだ残っている気がした。

赤羽は俺に気づいて、ペットボトルのキャップを開ける手を止めた。

「朔」

「こないだ」

俺は言った。

言えた。

心臓が跳ねた。

でも、ここで止まったら、また全部崩れる。

「言いすぎた」

赤羽は黙った。

俺は続けた。

「勝手に変えたとか、無責任とか。あれ、違った」

喉が乾く。

水を持ってくればよかった。

でも、今は飲んだら逃げる気がした。

「勝手に誘ったのは、本当だろ」

赤羽が小さく言った。

「うん。勝手だった」

俺はうなずいた。

「でも、続けるって決めたのは俺だ」

赤羽の目が少し動いた。

「仮入部届を出したのも、正式入部届を出したのも、体験会のチラシを作ったのも、商店街を回ったのも、山浦さんにメール送って怒られたのも、俺だ」

「最後のやつは、入れなくても」

赤羽が少しだけ笑った。

笑った。

俺は、その小さな笑いに助けられた。

「だから、赤羽がいなくなっても、俺は続けると思う」

赤羽の顔が、ほんの少し固まった。

その顔を見て、俺は慌てて続けた。

今度は逃げない。
ここで終わらせたら、また同じことになる。

「でも、いなくなってほしくない」

赤羽が顔を上げた。

「俺は、赤羽がいなくても大丈夫になりたいんじゃない。赤羽がいてもいなくても、自分で前に出られるようになりたい。でも、今はまだ、お前が隣にいたほうが前に出やすい」

言い終わってから、耳が熱くなった。

暑い。

とうとう本人に向かって言ってしまった。

人生、油断すると知らない方向へ転がる。

赤羽は少しだけ口を開けて、それから笑った。

「それ、褒めてる?」

俺は息を吐いた。

「半分」

「半分かよ」

「残り半分は、うるさい」

「そこはいつも通りだな」

「いつも通りは大事だろ」

「変わらないものも大事」

「コロッケの話みたいに言うな」

赤羽はペットボトルを握ったまま、しばらく黙った。

それから、真面目な顔で言った。

「俺、残りたい」

声は大きくなかった。
でも、まっすぐだった。

「ここで続けたい。練馬で、フェンシング続けたい。朔と、もう一本やりたい」

胸の奥が、少し熱くなった。

もう一本。

それは、赤羽らしい言葉だった。

俺は赤羽の父親がいるほうを見た。

「じゃあ、それを父さんに言えよ」

赤羽は黙った。

俺は言った。

「前に出るの、得意なんだろ」

赤羽は苦笑した。

「簡単じゃねえよ」

「知ってる」

今度は、ちゃんと言えた。

赤羽は俺を見た。

「朔」

「何」

「さっきの、もう一回言って」

「何を」

「隣にいたほうが前に出やすいってやつ」

「二度と言わない」

「保存したかった」

「脳内から削除しろ」

「無理」

「不便だな、お前の脳」

赤羽は笑った。

俺も、少し笑った。

仲直り、という言葉は、たぶん大げさじゃない。
でも、全部が元通りになったわけではない。

赤羽の父親はまだそこにいる。
大阪の話も消えていない。
クラブの家賃問題も、魔法のようには消えない。

でも、俺たちの距離は少し戻った。

届きそうで届かない距離から、隣へ。

いや、隣と言っても、赤羽は距離を詰めすぎるので油断はできない。

相棒にも適正距離がある。