可能性は売ってない

体験会開始まであと十分、というところで、商店街の向こうから声がした。

「遅れてすみません!」

赤羽の声だった。

その声を聞いた瞬間、肩の力が抜けた。

同時に、腹が立った。

人を安心させておいて腹立たせる能力が高すぎる。

俺は顔を上げた。

赤羽が走ってくる。

ジャージ姿で、大きなバッグを肩にかけている。息が少し上がっている。髪も少し乱れている。

そして、その隣にスーツ姿の男の人がいた。
赤羽の父親だと、すぐにわかった。

「父さん。ここ、俺のクラブ」

赤羽がそう言った。

父親は少し疲れた顔をしていた。
スーツの襟元がきちんとしているのに、目の下にうっすら影がある。朝から家で何か話し合ってきたのかもしれない。

赤羽は気まずそうに言った。

「家で話してたら、父さんが……その、見せろって」

父親は三枝コーチに向かって頭を下げた。

「赤羽慎太郎の父です。いつもお世話になっています」

三枝コーチはいつもの軽口をしまって、丁寧に頭を下げた。

「こちらこそ。三枝です。今日はお忙しい中、ありがとうございます」

「いえ。息子が、ここまで言う場所なので」

その言葉に、赤羽の肩が少し動いた。

ここまで言う場所。

赤羽は、家でどれだけ言ったんだろう。

残りたい。
ここで続けたい。

それを言ったのか。
言えなかったのか。

わからない。

でも、父親がここにいるということは、少なくとも何かは前に出たということだ。

俺は赤羽と目が合った。

赤羽は少しだけ眉を下げた。

遅れて悪い、と言いたそうだった。

俺は言おうとした。

遅い。

いや、そうじゃない。

こないだは。

でも、受付机の前に親子が一組近づいてきた。

タイミングというやつは、こちらが弱っているときほど逃げ足が速い。

「すみません、これって今から参加できますか?」

母親らしい人がチラシを持っていた。

俺は反射で前に出た。

「はい。大丈夫です。こちらに名前と年齢を書いてください。最初は剣を持たずに、足の動きからやります」

声は大きくない。

赤羽みたいに商店街全体へ飛んでいく声ではない。

でも、目の前の人には届いた。

白石先輩がちらっとこちらを見た。
三枝コーチが少しだけうなずいた。
赤羽は、父親の隣でそれを見ていた。