可能性は売ってない

――体験会当日の朝、商店街はいつもより早く起きていた。

練馬さくら大根通り商店街のふれあい市。

名前だけ聞くと、のんびりしたイベントに思える。
実際は、わりと戦場だった。

テントの骨組みが立つ音。
段ボールを運ぶ人。
八百屋のおばさんが玉ねぎを並べる声。
パン屋の店先から漂う甘い匂い。
花屋の田端さんが鉢植えを移動させる音。
肉のこばやしの前では、小林さんがのぼりを出していた。

「お、青山くん。早いな」

「おはようございます」

「慎太郎は?」

俺は腕時計を見た。

集合時間を五分過ぎていた。

「……まだです」

「珍しいな」

小林さんはそう言った。

珍しい。

そう、珍しい。
赤羽は遅刻するタイプじゃない。

俺はスマホを見た。

通知はない。
メッセージもない。

胃のあたりが、少し重くなった。

テントの下では、三枝コーチが会場図を見ながらテープを貼る位置を確認していた。白石先輩は防具をケースから出し、サイズごとに並べている。俺は受付用の机にクリップボードと同意書、色分けした順番札を置いた。

赤羽はいない。

三枝コーチは平静な顔で言った。

「慎太郎なら来るよ。たぶん」

俺は思わず返した。

「その“たぶん”、信用していいやつですか」

三枝コーチは少し笑った。

白石先輩がマスクを並べながら言った。

「青山、受付は始められる」

「はい」

俺はうなずいた。

赤羽がいない。

それでも、机は出せる。
同意書は並べられる。
体験会の説明も、できる。

赤羽がいなくても、俺は動ける。
でも、それと、赤羽がいなくていいは同じじゃない。

その一文が、胸の中に落ちた。

痛いほど当たり前で、今までうまく言えなかったことだった。