シンデレラ・スキャンダル

「わたしも……何も、聞いてなかったから」

 彼の黒目がちな瞳と目が合う。そして、彼はマスクを下にずらして微笑むと軽く頭を下げる。

「長谷川、龍介です」

「……長谷川さん」

「なんか新鮮。苗字で呼ばれること最近ないから」

「あ、わたしは綾乃です。松嶋 綾乃です」

「綾乃ちゃん、ね。俺は龍介でいいよ」

「龍介さん?」

「うん」

 屈託のない笑顔とは、きっとこういうものを言う。目を奪われてしまいそうになりながらも、わたしは慌てて首を横に振る。見惚れてる場合じゃない。

「あ、あの、龍介さん……ありがとうございます。飛行機でも、先ほども。助けていただいて。わたし、きちんとお礼も言わずに」

「良かった。帽子被ってなかったら、わからなかったかも」

「あ、そうでした、帽子。お返ししなくちゃ」

 わたしが帽子に手をかけると、龍介さんが制するように帽子に手を置く。

「いいよ、あげる」

「え? でも」

「帽子ならいっぱい持ってるから」

「いや、でも」

「似合ってるし……それに目印になるから」

「……めじるし、ですか?」

 突然出てきたその単語に、わたしはポカンと口を開けたまま。彼はマスク越しに悪戯っぽく笑うと、わたしの帽子のつばを軽く指で弾いた。

「そう。これ被ってれば、綾乃ちゃんがどこにいてもすぐ見つけられるでしょ? 迷子になっても安心。すぐに助けられるよ」

 まるで子供に言い聞かせるような、当たり前の口ぶりで。

(……なんなの、この人)

 本気なのか冗談なのか分からない。けれど、その言葉が妙に胸の奥に温かく残って、わたしは何も言い返せなくなってしまった。どちらかというと悪役の方が似合いそうなのに、助けに来るなんて、ヒーローみたいなことを言う。

 帽子を素直に受け取れば、わたしのお礼の言葉に彼がもう一度似合うねと言ってくれる。今日初めて出会った人と、こうしてもう一度出会い、名前を知り、その名前を呼ぶ。不思議に思うのに、どうしてかわたしの胸はいつもと違う音を立てる。