シンデレラ・スキャンダル

「綾乃? 龍介さんとの写真が撮られたってことだよね? お兄ちゃんって」

「も、もどらなきゃ……」

「綾乃」

「時間が……戻らないと……優くん、栞ちゃんのことお願い!」

「綾乃さん!」

「綾乃! 待って! もう龍介さんがっ」

 肩に置かれていた手を振り払って、わたしは一目散に出口に向かってかけ出した。背後で、優くんの悲痛な叫び声が聞こえる。その時、廊下の向こうから、大勢の足音と、聞き慣れた低い声が響いた気がした。

 心臓が鷲掴みにされる。会いたい。一目だけでいい。でも、会ってしまえば、全てが終わる。わたしは耳を塞ぎ、非常階段の重い扉を押し開けた。ガンッ、と閉ざされた扉の向こうに、彼の気配を置き去りにして。


 長い通路を抜ければ、外の道にはシャンパン色のイルミネーション。その美しさに一瞥(いちべつ)もくれることなく、息が続く限り走った。頭の中で鳴り響く、聞こえるはずのない電話機のコール音。食道を込み上げてくる吐き気。頬を突き刺す、凍えそうな海風。(まぶた)の裏に浮かび上がるあの写真。

 ホテルの部屋に戻れば、何度目かわからないコール音が鳴り響いていた。机や椅子に躓き、足を取られながら部屋の中を進み受話器を上げる。

「は、はいっ……」

 息が切れる。電話の向こうに息遣いが届く事のないように通話口を押さえて、何度も静かに深い呼吸を繰り返す。冷たい風にさらされていた手が熱を持ち、脈を打つ。

「……なに、してた?」

「な、にも」

「スマホを部屋に置いたまま、どこに行ってた?」

「ア、アウトレットでふらふらして」

「……今日、幕張でライブだっただろ?」

 その言葉に、心臓が凍りついた。引きちぎれそうなほどに空気が張り詰める。針で突いたら、今にも弾け飛びそう。感情のない声は、一気にわたしを崖の際に追い詰める。

 会っていない。龍介さんと会っていたら、ここに戻ってきていない。

「会ってない」

「どうなるかわかってるでしょ?」

「会ってない。本当に……だから、なにもしないで」

「……スケジュール、変更した。明日、日本に戻るから。早めに子供つくろう」

「卓也、それはっ」

「大丈夫。子供がいれば変なこと考えなくなるよ。今だって不自由ないだろう? 余計なことは考えなくていい」

「卓也、待っ……」

 電話が途切れる音は、いつ聞いても苦しさを増幅させる。

 ハワイでの日々も、日本での日々も、全てが輝いていた。ステージの上とは違う彼がいた。

 本当に、本当に何気ない日々だった。テレビを見て、ご飯を作って、食べ終わったらソファに寝転がって。彼のトレーニングの真似をして、でも、全然できなくて笑われて。彼がピアノを弾きながら歌う姿を見ていた。隣に座って一緒にピアノを弾くと、そこに彼の美しい言葉が飾られていく。瞼を閉じれば、彼が微笑んでいる。

 彼の歌声を思い出せば、自然と涙が溢れでる。


『——綾乃がいるから、俺は歌える。前よりもっと強く。前よりもっと思いを込めて』


 龍介さんに会いたい。