◇
ホテルの部屋の前に着くと、中からテレビの音が微かに聞こえた。すべてを遮断して闇に堕ちていこうとする心を奮い立たせる。目を閉じれば、検見川の浜の夕陽がよみがえる。息を吐いて、ドアに手を伸ばし、ゆっくりと開く。中に進むと、ソファに座ってテレビを見ている卓也がいた。
「どこに行ってた?」
「……海」
「目の前だからって……もう冷えるからやめなさい。妊娠したら海なんか絶対に行くなよ」
そう吐き捨てるように言ってから、たくさんの箱や袋が置かれたベッドを指さした。そこには高級ブランドの紙袋や箱がベッドから溢れんばかりに並ぶ。
「綾乃、ほら。ネックレスに指輪にバッグ、新作の洋服も。時計も綾乃が可愛いって言ってたところのやつ、買ってきてあげたよ。限定品らしくて、手に入れるのに時間かかったけど」
「卓也」
「人気みたいだな。他の子からもこれがいいって言われたよ」
「……卓也は……わたしのこと好き?」
ずっと聞きたかった。別れて、再び一緒にいるようになってから、ずっと。でも聞く勇気も、自分から好きだと言う勇気もなくて、わたしはただ卓也と一緒に過ごしていた。
目を少しだけ見開いてわたしを見つめる卓也は、次の瞬間、人の良さそうな顔を歪めてバカにしたように笑う。
「それを俺に求めるなんて、綾乃はまだまだ子供だね」
もう、期待はしない。でも、ちゃんと向き合わないとなにも伝わらない。だから、どんなにバカにされても、酷い言葉を返されても、わたしは卓也と向き合わなきゃいけないんだ。
「わたしのことを好きじゃないなら、あなたの子供は産めない」
「……なに言ってんの?」
「できない」
「俺の子供を産めば将来は安泰だよ。それなのに産まないって……俺がどれだけ金持ってるか知らないわけじゃないだろ?」
「卓也……」
「女が他に何人いようと、結婚したとしても、子供の母親にはちゃんとするよ。子供さえ産んでくれたら、現金で初めにそれなりの額は払うし、それとは別に養育費や生活費だって」
「わたし、卓也のこともう好きじゃないのよ?」
「……だから、なに? あいつのことが好きだって言いたいの? また、その話させる気?」
「違う! 卓也、ちゃんと考えて。お互いに好きじゃないのに、愛もなにもないのに、子供を授かるなんて……子供を産んだらお金が手に入るって……わたしはそんな風に考えることなんてできない」
龍介さんのことを思い出すと、胸の真ん中が熱くなり、手に力がみなぎる。卓也から距離を取り、目の前にある瞳を強く見返した。
「わたし、ずっと……卓也に釣り合う大人の、イイ女になるにはって考えてたの。卓也がどれだけ遊んでも笑顔で迎えて、曖昧な関係も受け入れて、わたしも卓也には関心がないふりをして、いろんな人と遊んで恋愛に慣れてる大人のイイ女なんだって思い込んで、それが正しいんだって思ってた。それが大人になるってことなんだって」
「おい、綾乃……」
「でも、違った。本当はずっと苦しかった。曖昧な関係も、自分じゃない自分でいるのも。わたし、やっとどうしたいか分かったの。こんな関係は望んでない。わたしが欲しいものじゃない。愛情もないのに子供だけ産むなんて……そんな関係、絶対嫌よ!」
もう、卓也と以前のような関係に戻ることはできない。だって、今はもう自分がなにを思っているかわかるから。自分がなにを大切にしたいかわかるから。だから——。
「わたしは、真っ直ぐ生きていきたいの。これ以上……」
龍介さんが教えてくれたもの。それが、この胸の真ん中にある。
真っ直ぐ生きることも、真面目に一生懸命になることも、夢を追いかけることも、そして人を愛して慈しむことも、間違ってなんかいない。格好悪いことなんかじゃない。それは尊いことだと。
「これ以上、自分が可哀想だと思うようなことはしない。間違ってるってわかったまま、進むようなことはしない!」
瞼を閉じれば、そこにはハワイの青い空と、龍介さんの笑顔がある。誰にも奪えない、わたしだけの光。その光がある限り、わたしはどこにいても、一人じゃない。だから、わたしは前を向いて歩いていきたい。胸を張って生きていけるように。彼がいなくても、彼にもらったものを胸に抱いて。
ホテルの部屋の前に着くと、中からテレビの音が微かに聞こえた。すべてを遮断して闇に堕ちていこうとする心を奮い立たせる。目を閉じれば、検見川の浜の夕陽がよみがえる。息を吐いて、ドアに手を伸ばし、ゆっくりと開く。中に進むと、ソファに座ってテレビを見ている卓也がいた。
「どこに行ってた?」
「……海」
「目の前だからって……もう冷えるからやめなさい。妊娠したら海なんか絶対に行くなよ」
そう吐き捨てるように言ってから、たくさんの箱や袋が置かれたベッドを指さした。そこには高級ブランドの紙袋や箱がベッドから溢れんばかりに並ぶ。
「綾乃、ほら。ネックレスに指輪にバッグ、新作の洋服も。時計も綾乃が可愛いって言ってたところのやつ、買ってきてあげたよ。限定品らしくて、手に入れるのに時間かかったけど」
「卓也」
「人気みたいだな。他の子からもこれがいいって言われたよ」
「……卓也は……わたしのこと好き?」
ずっと聞きたかった。別れて、再び一緒にいるようになってから、ずっと。でも聞く勇気も、自分から好きだと言う勇気もなくて、わたしはただ卓也と一緒に過ごしていた。
目を少しだけ見開いてわたしを見つめる卓也は、次の瞬間、人の良さそうな顔を歪めてバカにしたように笑う。
「それを俺に求めるなんて、綾乃はまだまだ子供だね」
もう、期待はしない。でも、ちゃんと向き合わないとなにも伝わらない。だから、どんなにバカにされても、酷い言葉を返されても、わたしは卓也と向き合わなきゃいけないんだ。
「わたしのことを好きじゃないなら、あなたの子供は産めない」
「……なに言ってんの?」
「できない」
「俺の子供を産めば将来は安泰だよ。それなのに産まないって……俺がどれだけ金持ってるか知らないわけじゃないだろ?」
「卓也……」
「女が他に何人いようと、結婚したとしても、子供の母親にはちゃんとするよ。子供さえ産んでくれたら、現金で初めにそれなりの額は払うし、それとは別に養育費や生活費だって」
「わたし、卓也のこともう好きじゃないのよ?」
「……だから、なに? あいつのことが好きだって言いたいの? また、その話させる気?」
「違う! 卓也、ちゃんと考えて。お互いに好きじゃないのに、愛もなにもないのに、子供を授かるなんて……子供を産んだらお金が手に入るって……わたしはそんな風に考えることなんてできない」
龍介さんのことを思い出すと、胸の真ん中が熱くなり、手に力がみなぎる。卓也から距離を取り、目の前にある瞳を強く見返した。
「わたし、ずっと……卓也に釣り合う大人の、イイ女になるにはって考えてたの。卓也がどれだけ遊んでも笑顔で迎えて、曖昧な関係も受け入れて、わたしも卓也には関心がないふりをして、いろんな人と遊んで恋愛に慣れてる大人のイイ女なんだって思い込んで、それが正しいんだって思ってた。それが大人になるってことなんだって」
「おい、綾乃……」
「でも、違った。本当はずっと苦しかった。曖昧な関係も、自分じゃない自分でいるのも。わたし、やっとどうしたいか分かったの。こんな関係は望んでない。わたしが欲しいものじゃない。愛情もないのに子供だけ産むなんて……そんな関係、絶対嫌よ!」
もう、卓也と以前のような関係に戻ることはできない。だって、今はもう自分がなにを思っているかわかるから。自分がなにを大切にしたいかわかるから。だから——。
「わたしは、真っ直ぐ生きていきたいの。これ以上……」
龍介さんが教えてくれたもの。それが、この胸の真ん中にある。
真っ直ぐ生きることも、真面目に一生懸命になることも、夢を追いかけることも、そして人を愛して慈しむことも、間違ってなんかいない。格好悪いことなんかじゃない。それは尊いことだと。
「これ以上、自分が可哀想だと思うようなことはしない。間違ってるってわかったまま、進むようなことはしない!」
瞼を閉じれば、そこにはハワイの青い空と、龍介さんの笑顔がある。誰にも奪えない、わたしだけの光。その光がある限り、わたしはどこにいても、一人じゃない。だから、わたしは前を向いて歩いていきたい。胸を張って生きていけるように。彼がいなくても、彼にもらったものを胸に抱いて。


