――じゃあ、誰が言わせた?
真鍋刑事の問いは、耳の奥で残り続けた。
警察署の廊下。蛍光灯の白さ。床のビニールの匂い。泣きそうな杏の息。新の喉が鳴る音。慧の固い沈黙。咲の何も映していないような目。陸の指先だけが、まだ見えないキーボードを叩いているみたいに動いていた。
――誰が言わせた。
――私たちは、言ってない。
その言葉は、もう救いではなかった。
ただの同じ返事だった。
六人で練習したみたいに揃った、逃げ道だった。
真鍋刑事は、廊下の端で立ち止まった。
「加賀陸くん」
陸の肩が跳ねた。
「君、さっきログと言いかけたね」
陸は唇を噛んだ。
「……言ってないです」
「言ったよ」
真鍋刑事は、淡々としていた。
「君は何度も、仕組み、ログ、IP、管理画面、と言っている。事件の神託が君たちの手で投稿されていないと言うなら、そこを確かめるしかない」
「俺は」
陸の声が詰まった。
「俺は、内容は決めてません」
「それも聞いた」
真鍋刑事は言った。
「でも、内容を決めない人間が、内容を流す扉を作ることはある」
陸の顔が白くなった。
その時、私は初めて、陸が怖がっているものを見た気がした。
事件ではない。
警察でもない。
自分が作った仕組みが、自分の知らない顔をしていること。
陸は観念したように、警察官から渡された自分のノートパソコンを受け取った。
画面の中に、見慣れた管理シートが開く。
でも、見慣れているはずのものが、今は事件現場みたいに見えた。
私は、画面の文字を一つずつ読んだ。
『oracle_sync』
その名前を見た瞬間、胸の中で何かが凍った。
オラクル。
黒い背景に、小さな白い点。
神様の言葉を聞く者。
返信欄を分類してくれた人。
拡散感度を教えてくれた人。
神様の文体を、私たちより分かっているように見えた人。
「違う」
陸が言った。
「これ、違う。俺は、オラクルに内部権限は渡してない」
真鍋刑事は、陸を見た。
「このlimited_editorという権限は?」
陸の指が止まった。
「……公開返信欄の分析を合わせるために、分類項目だけ見られるようにした。内部相談の本文は渡してない。投稿権限も渡してない。編集権限も、テンプレの一部だけで」
「投稿が出ている」
「だから、おかしいんです!」
陸の声が裏返った。
「俺の設定なら、公開投稿までは行かない。外部投票の下書きまで。そこから先は、内部承認が必要で……」
「承認なしで動いてるね」
真鍋刑事が言った。
陸は黙った。
画面の中のログは、陸の言葉を助けなかった。
助けるどころか、黙って陸の足元を崩していった。
陸は、画面を見たまま言った。
「queue_testは、テスト用です。公開には出ない。出ないはずだった」
はず。
その言葉は、もう何度も聞いた。
出ないはず。
危なくないはず。
読まないはず。
受け取らないはず。
動かないはず。
私たちは、はず、の上に神様を立てていた。
慧が低い声で言った。
「陸」
「分かってるよ」
陸は答えた。
「俺が作った。俺がトークンを作った。俺がテスト用を残した。俺が消さなかった」
陸の声は、少しずつ小さくなった。
「でも、俺は、律の相談を出してない。あの投票は、俺じゃない」
それは、たぶん本当だった。
本当だから、楽になるわけではなかった。
真鍋刑事は、別の画面を開いた。
事件当日の通信記録らしいものだった。
「外部からの不自然なアクセスがある」
真鍋刑事は言った。
「ただし、すぐに個人へ結びつくものではない。中継されている。使われた名前、年齢、性別、居場所、どれも信用できない」
オラクルの輪郭が、画面の中でぼやけていく。
熱心な信者。
協力者。
分類係。
まとめ役。
神様の言葉を聞く者。
でも、そのどれにも本当の顔はなかった。
真鍋刑事にノートパソコンが回収されると、陸は両手で顔を覆った。
「俺が入口を作った」
誰に向けた言葉でもないように、陸は言った。
「内容は決めてない。俺は投稿してない。俺は何も送ってない。……でも、俺が……オラクルが入ってこられる場所を作ってしまった」
慧は何も言わなかった。
いつもの慧なら、そこで正しい言葉を言ったかもしれない。
だから危ないと言った。
止めるべきだった。
お前は何度も言われたのに、と。
でも、慧は言わなかった。
言わないことも、少しだけ優しさになる時がある。
たぶん、その時の慧は、それを知っていた。
新は何も言わなかった。
いつもなら、何か軽い言葉で怒りを包んだかもしれない。
でも、包める大きさではなかった。
咲は、真鍋が持っている陸のノートパソコンをじっと見ていた。
「見ている人が、動かす人になった」
その言葉に、私は咲を見た。
咲は続けた。
「オラクルは、聞いている側だった。見ている側だった。でも、見ているだけでは足りなくなった」
「咲は」
杏は言った。
「咲は、分かってたの?」
咲は杏を見た。
その目は、いつもと同じで、何も映していないように見えた。
でも、今はそれが少しだけ悲しそうにも見えた。
「分かってたら、止めた?」
問い返された。
杏は答えられなかった。
咲は、静かに言った。
「私は見てた。澪は整えた。陸は作った。新は煽った。杏は読んだ。慧は止めた。……でも、止めきれなかった」
咲の声は、責めているわけではなかった。
だから、余計に痛かった。
真鍋刑事の問いは、耳の奥で残り続けた。
警察署の廊下。蛍光灯の白さ。床のビニールの匂い。泣きそうな杏の息。新の喉が鳴る音。慧の固い沈黙。咲の何も映していないような目。陸の指先だけが、まだ見えないキーボードを叩いているみたいに動いていた。
――誰が言わせた。
――私たちは、言ってない。
その言葉は、もう救いではなかった。
ただの同じ返事だった。
六人で練習したみたいに揃った、逃げ道だった。
真鍋刑事は、廊下の端で立ち止まった。
「加賀陸くん」
陸の肩が跳ねた。
「君、さっきログと言いかけたね」
陸は唇を噛んだ。
「……言ってないです」
「言ったよ」
真鍋刑事は、淡々としていた。
「君は何度も、仕組み、ログ、IP、管理画面、と言っている。事件の神託が君たちの手で投稿されていないと言うなら、そこを確かめるしかない」
「俺は」
陸の声が詰まった。
「俺は、内容は決めてません」
「それも聞いた」
真鍋刑事は言った。
「でも、内容を決めない人間が、内容を流す扉を作ることはある」
陸の顔が白くなった。
その時、私は初めて、陸が怖がっているものを見た気がした。
事件ではない。
警察でもない。
自分が作った仕組みが、自分の知らない顔をしていること。
陸は観念したように、警察官から渡された自分のノートパソコンを受け取った。
画面の中に、見慣れた管理シートが開く。
でも、見慣れているはずのものが、今は事件現場みたいに見えた。
私は、画面の文字を一つずつ読んだ。
『oracle_sync』
その名前を見た瞬間、胸の中で何かが凍った。
オラクル。
黒い背景に、小さな白い点。
神様の言葉を聞く者。
返信欄を分類してくれた人。
拡散感度を教えてくれた人。
神様の文体を、私たちより分かっているように見えた人。
「違う」
陸が言った。
「これ、違う。俺は、オラクルに内部権限は渡してない」
真鍋刑事は、陸を見た。
「このlimited_editorという権限は?」
陸の指が止まった。
「……公開返信欄の分析を合わせるために、分類項目だけ見られるようにした。内部相談の本文は渡してない。投稿権限も渡してない。編集権限も、テンプレの一部だけで」
「投稿が出ている」
「だから、おかしいんです!」
陸の声が裏返った。
「俺の設定なら、公開投稿までは行かない。外部投票の下書きまで。そこから先は、内部承認が必要で……」
「承認なしで動いてるね」
真鍋刑事が言った。
陸は黙った。
画面の中のログは、陸の言葉を助けなかった。
助けるどころか、黙って陸の足元を崩していった。
陸は、画面を見たまま言った。
「queue_testは、テスト用です。公開には出ない。出ないはずだった」
はず。
その言葉は、もう何度も聞いた。
出ないはず。
危なくないはず。
読まないはず。
受け取らないはず。
動かないはず。
私たちは、はず、の上に神様を立てていた。
慧が低い声で言った。
「陸」
「分かってるよ」
陸は答えた。
「俺が作った。俺がトークンを作った。俺がテスト用を残した。俺が消さなかった」
陸の声は、少しずつ小さくなった。
「でも、俺は、律の相談を出してない。あの投票は、俺じゃない」
それは、たぶん本当だった。
本当だから、楽になるわけではなかった。
真鍋刑事は、別の画面を開いた。
事件当日の通信記録らしいものだった。
「外部からの不自然なアクセスがある」
真鍋刑事は言った。
「ただし、すぐに個人へ結びつくものではない。中継されている。使われた名前、年齢、性別、居場所、どれも信用できない」
オラクルの輪郭が、画面の中でぼやけていく。
熱心な信者。
協力者。
分類係。
まとめ役。
神様の言葉を聞く者。
でも、そのどれにも本当の顔はなかった。
真鍋刑事にノートパソコンが回収されると、陸は両手で顔を覆った。
「俺が入口を作った」
誰に向けた言葉でもないように、陸は言った。
「内容は決めてない。俺は投稿してない。俺は何も送ってない。……でも、俺が……オラクルが入ってこられる場所を作ってしまった」
慧は何も言わなかった。
いつもの慧なら、そこで正しい言葉を言ったかもしれない。
だから危ないと言った。
止めるべきだった。
お前は何度も言われたのに、と。
でも、慧は言わなかった。
言わないことも、少しだけ優しさになる時がある。
たぶん、その時の慧は、それを知っていた。
新は何も言わなかった。
いつもなら、何か軽い言葉で怒りを包んだかもしれない。
でも、包める大きさではなかった。
咲は、真鍋が持っている陸のノートパソコンをじっと見ていた。
「見ている人が、動かす人になった」
その言葉に、私は咲を見た。
咲は続けた。
「オラクルは、聞いている側だった。見ている側だった。でも、見ているだけでは足りなくなった」
「咲は」
杏は言った。
「咲は、分かってたの?」
咲は杏を見た。
その目は、いつもと同じで、何も映していないように見えた。
でも、今はそれが少しだけ悲しそうにも見えた。
「分かってたら、止めた?」
問い返された。
杏は答えられなかった。
咲は、静かに言った。
「私は見てた。澪は整えた。陸は作った。新は煽った。杏は読んだ。慧は止めた。……でも、止めきれなかった」
咲の声は、責めているわけではなかった。
だから、余計に痛かった。



