――翌日の学校は、湿っていた。
雨は朝には止んでいたけれど、廊下の床にまだ湿気が残っていた。教室の窓は白く曇っていて、黒板消しの粉が、いつもより重く見えた。
一時間目が終わったあと、二年三組の廊下がざわついていた。
最初は、誰かが転んだのかと思った。
それくらいの小さな騒ぎだった。
でも、すぐに声が増えた。
「見た?」
「やばくない?」
「これ、誰が流したの」
「三組のグループ?」
「先生来るって」
私たちのクラスにも、そのざわめきは流れ込んできた。
スマホを見ている人が増える。
小さな声で名前を呼ぶ。
画面を隠しながら、でも誰かに見せる。
私は、机の下でスマホを開いた。
クラスのグループではなく、学年の裏グループみたいな場所に、スクリーンショットが流れていた。
誰かのトーク画面。
誰かの悪口。
誰かの秘密。
そして、その上に書かれた短い文。
『自分がしたこと、分かって』
さらに別の画像。
『あの子、いい子ぶってるけど本当はこういうこと言ってます』
名前は一部ぼかされていた。
でも、同じクラスの人なら分かるように残されていた。
完全に晒しているわけではない。
でも、分かる人には分かる。
それが、いちばん嫌だった。
「神様のやつじゃん」
誰かが言った。
私の背中が冷えた。
「昨日の投稿、あれでしょ。傷つけた者は、自分の傷を知らなければならない、って」
「え、これ神様に関係あるの?」
「知らん。でもタイミングやば」
「晒した子、神様信者?」
信者。
その言葉が教室の中で普通に使われるのを、私は聞いた。
「澪」
杏の顔は真っ白だった。
「杏」
「三組の前、通って来たんだけど……。泣いてる子がいた」
杏の声は震えていた。
「貼られた子も、貼ったって疑われてる子も、どっちも泣いてる。先生がスマホ回収するって」
私は言葉を失った。
どっちも泣いてる。
雨音は、どっちなのだろう。
貼った子なのか。
泣いている子なのか。
どちらでもないのか。
分からない。
私たちは、雨音の顔を知らない。
知らないのに、言葉を返した。
慧が向こうから来た。
足取りが速い。
でも、走ってはいない。
慧らしいと思った。
「消すぞ」
慧は言った。
「昨日の投稿」
新も来ていた。
「今消したら、関係ありますって言ってるようなもんじゃない?」
「関係あるだろ」
慧の声が鋭くなる。
新は言葉を詰まらせた。
陸はスマホを見ていた。
指先が細かく動いている。
「拡散はもう止められない。スクショもある」
「だから何だよ」
陸が言った。
「投稿削除した時間と騒ぎの時間が結びついたら――」
「ログの心配かよ」
慧が陸に詰め寄った。
「人が泣いてるんだぞ」
陸の顔が歪んだ。
「分かってるよ!」
その声で、近くの生徒が振り向いた。
私は反射的に言った。
「声、落として」
その瞬間、自分が嫌になった。
今、気にするのはそこじゃない。
でも私は、まだ空気を整えようとしている。
咲は、少し離れたところに立っていた。
廊下の窓から差す白い光の中で、表情が読めない。
「神様が言ったから、とは誰も言ってない」
咲が言った。
慧が振り向く。
「だから?」
「でも、みんなそう読んでる」
咲は続けた。
「言葉が、理由に使われ始めてる」
雨は朝には止んでいたけれど、廊下の床にまだ湿気が残っていた。教室の窓は白く曇っていて、黒板消しの粉が、いつもより重く見えた。
一時間目が終わったあと、二年三組の廊下がざわついていた。
最初は、誰かが転んだのかと思った。
それくらいの小さな騒ぎだった。
でも、すぐに声が増えた。
「見た?」
「やばくない?」
「これ、誰が流したの」
「三組のグループ?」
「先生来るって」
私たちのクラスにも、そのざわめきは流れ込んできた。
スマホを見ている人が増える。
小さな声で名前を呼ぶ。
画面を隠しながら、でも誰かに見せる。
私は、机の下でスマホを開いた。
クラスのグループではなく、学年の裏グループみたいな場所に、スクリーンショットが流れていた。
誰かのトーク画面。
誰かの悪口。
誰かの秘密。
そして、その上に書かれた短い文。
『自分がしたこと、分かって』
さらに別の画像。
『あの子、いい子ぶってるけど本当はこういうこと言ってます』
名前は一部ぼかされていた。
でも、同じクラスの人なら分かるように残されていた。
完全に晒しているわけではない。
でも、分かる人には分かる。
それが、いちばん嫌だった。
「神様のやつじゃん」
誰かが言った。
私の背中が冷えた。
「昨日の投稿、あれでしょ。傷つけた者は、自分の傷を知らなければならない、って」
「え、これ神様に関係あるの?」
「知らん。でもタイミングやば」
「晒した子、神様信者?」
信者。
その言葉が教室の中で普通に使われるのを、私は聞いた。
「澪」
杏の顔は真っ白だった。
「杏」
「三組の前、通って来たんだけど……。泣いてる子がいた」
杏の声は震えていた。
「貼られた子も、貼ったって疑われてる子も、どっちも泣いてる。先生がスマホ回収するって」
私は言葉を失った。
どっちも泣いてる。
雨音は、どっちなのだろう。
貼った子なのか。
泣いている子なのか。
どちらでもないのか。
分からない。
私たちは、雨音の顔を知らない。
知らないのに、言葉を返した。
慧が向こうから来た。
足取りが速い。
でも、走ってはいない。
慧らしいと思った。
「消すぞ」
慧は言った。
「昨日の投稿」
新も来ていた。
「今消したら、関係ありますって言ってるようなもんじゃない?」
「関係あるだろ」
慧の声が鋭くなる。
新は言葉を詰まらせた。
陸はスマホを見ていた。
指先が細かく動いている。
「拡散はもう止められない。スクショもある」
「だから何だよ」
陸が言った。
「投稿削除した時間と騒ぎの時間が結びついたら――」
「ログの心配かよ」
慧が陸に詰め寄った。
「人が泣いてるんだぞ」
陸の顔が歪んだ。
「分かってるよ!」
その声で、近くの生徒が振り向いた。
私は反射的に言った。
「声、落として」
その瞬間、自分が嫌になった。
今、気にするのはそこじゃない。
でも私は、まだ空気を整えようとしている。
咲は、少し離れたところに立っていた。
廊下の窓から差す白い光の中で、表情が読めない。
「神様が言ったから、とは誰も言ってない」
咲が言った。
慧が振り向く。
「だから?」
「でも、みんなそう読んでる」
咲は続けた。
「言葉が、理由に使われ始めてる」



