神様は誰?

――私たちは『神様の声』について話し合うため、ファミレスに移動した。

窓際の六人席に座ると、テーブルの上がすぐに狭くなった。ドリンクバーのグラス、ポテトの皿、陸のノートパソコン、杏のスマホ、慧のメモ帳、新の食べかけのチョコパフェ。

放課後のファミレスは、冷房が効きすぎていた。

咲は、何も注文しないで水だけ飲んでいた。

「注文しないの?」

杏が聞くと、咲は首を振った。

「見てるだけでいい」

「ファミレスでそれ言う人いる?」

新が笑った。

咲は笑わなかった。

陸は、手慣れた動きで新しいメールアドレスを作った。
名前も学校も入れない。
生年月日は適当にした。
パスワードは、陸が候補を出して、慧が「もっと長く」と言って、新が「覚えられない」と言って、最後は紙ナプキンの裏に書いた。

六人だけが見える場所に置いた。

それが、何かの契約書みたいに見えた。

「アカウント名」

陸が言った。

「神様の声」

慧はまだ不満そうだった。

「やるなら、せめて説明欄に書く。これは遊びです、って」

「それ書いたら誰も相談しないよ」

新が言った。

「じゃあ、何を書くんだ」

「あなたの悩みに、神様が答えます」

「最悪」

慧が即答した。

「最悪だけど、面白い」

陸が言った。

咲が、スマホをこちらへ滑らせた。

画面には、アイコン候補がいくつか並んでいた。フリー素材の画像らしい。天使の羽、光る十字、空の写真、古い本、白い猫、月。

その中の一つに、白い面があった。

顔の輪郭だけがある。
目の穴は細く、口元は閉じている。
能面ほど古くはない。ハロウィンの仮面ほど派手でもない。
ただ、白い。

「これ」

咲が言った。

「怖くない?」

杏が小さく言う。

「怖いからいいんじゃん」

新が身を乗り出した。

「神様っぽい。見てるっぽい」

「見てる、か」

咲はつぶやいた。

私は、その白い面から目を離せなかった。

白い面は、表情がない。
怒っているのか、笑っているのか、悲しんでいるのか、分からない。
分からないから、こっちが勝手に読むしかない。

その時の私は、まだ知らなかった。

読めない顔ほど、人は自分の都合のいい表情を貼りつける。

「決定でいい?」

陸が聞いた。

慧はため息をついた。

「待て。ルールを決めてから」

「出た」

新が小声で言った。

「正論神の御触れ」

「篠原」

「ごめんって」

慧はメモ帳を開いた。

字がきれいだった。
黒いペンで、まっすぐに書く。
慧は、文字まで曲がるのが嫌いみたいだった。

【早川慧のメモ/神様の声 運用ルール案】

一、個人名・学校名・クラス名は出さない。
二、相談者の特定につながる内容は投稿しない。
三、お金は取らない。
四、「死ね」「消えろ」「復讐しろ」等、他者を傷つける言葉は使わない。
五、命令形にしない。
六、答えられない相談には答えない。
七、一人で判断しない。必ず六人のうち複数人で確認する。

「七つもある」

新が言った。

「神様の七戒じゃん」

「茶化すな」

慧は言ったけれど、少しだけ口元が緩んでいた。

自分のルールが形になるのは、たぶん嫌いじゃないのだと思った。
慧は、ちゃんと決めれば大丈夫だと信じていた。
線を引けば、その外には出ないと思っていた。

私も、その時はそう思っていた。

「役割も決めようぜ」

陸が言った。

「俺、アカウント作る。設定とか、ログイン管理とか」

「ログ?」

杏が聞く。

「記録って意味。誰がいつ何したか、まあ残せる範囲で」

「そこまでやる?」

新が笑う。

「後で揉めたら困るだろ」

陸は言った。

「俺は仕組み担当。内容はみんな」

その言い方を、私はあとで何度も思い出すことになる。

仕組み担当。
内容はみんな。

その時はただ、便利な分担に聞こえた。

「慧はルール担当だな」

新が言った。

「勝手に決めるな」

「でも向いてる」

杏が言うと、慧は黙った。

杏に言われると、慧はあまり強く返せない。

「杏は相談担当」

陸が言った。

「どの相談を受けるかの判断」

「私だけじゃ無理」

「だから六人でやるんだろ? あと、さっきの後輩ちゃんに、とりあえずこのアカウントを教えてあげて」

「OK。URL送るね」

新が言った。

「俺は?」

「煽り担当」

私が言うと、新は嬉しそうに笑った。

「最悪の役職」

「でも合ってる」

咲が言った。

「うわ、咲に認められた」

「認めてない。観察結果」

「それ認めてるじゃん」

新が笑う。

咲は水を一口飲んだ。

「私は、見てる」

その言葉は、その場では咲らしい冗談に聞こえた。
本当に、ただの咲らしい言葉だった。

「澪は?」

杏が私を見る。

私は、少しだけ肩をすくめた。

「私は別に……」

「文章」

新が言った。

「澪、文章うまいじゃん。みんなの言葉を、いい感じにする係」

「いい感じって何」

「いい感じはいい感じ」

陸が画面をこちらへ向けた。

空のプロフィール欄が表示されている。

名前。
ユーザーID。
説明文。
最初の投稿。

何も書かれていない枠が、私を待っているみたいだった。

「澪が整えれば、ちゃんと見える」

杏が言った。

その言葉が、私は嬉しかった。

ちゃんと見える。

私は昔から、直接何かを決めるのが苦手だった。
どちらかを選ぶと、選ばなかったほうに申し訳ない気がする。
強く言って、誰かの顔が曇るのが怖い。
だから、私は人の言葉を少し丸くした。
誰かが言いすぎたら削って、誰かが言えなかったら足して、みんなが頷ける形にする。

空気を壊さない係。

それが、私のいる場所だった。

「整えるだけなら」

私は言った。

「やる」

その瞬間、誰かが安心したみたいに息を吐いた。

それが誰だったのか、分からない。
私だったのかもしれない。

陸がアカウント名を入力した。

名前:神様の声
ID:@kamisama_no_koe_000
説明:迷える人の声を聞きます。答えは、あなたの中にあります。

アイコン:白い面

「説明文、澪?」

陸が聞いた。

「うん」

「神様っぽい」

新が笑った。

「でもちょっと保険かけてる。答えはあなたの中にあります、って」

「保険じゃない」

私は言った。

「本当にそうでしょ。私たちが決めるわけじゃない」

その時の私は、本当にそう思っていた。

私たちは、答えを渡すんじゃない。
相手の中にある答えを、少し見えやすくするだけ。

きれいな言い訳だった。

「後輩に『このアカウントに相談してみたら?』って送ったら、やってみますって、返事来たよ」

杏がそう言うと、早速その後輩からメッセージが届いた。

「じゃあ、初投稿」

新が手を叩いた。

「恋愛相談、いってみよう」

杏の顔がこわばった。

「でも、この子、たぶん本気だよ」

「だから本気で返す」

新は言った。

その言葉は軽かった。
でも、完全に嘘ではなかった。

新は、ふざける。
でも、人の苦しさをまったく見ていないわけじゃない。
むしろ、誰よりも早く見つける時がある。
見つけたうえで、笑いに変える。

それが優しさなのか、逃げなのか、私はずっと分からなかった。

「まず、相談文をそのまま載せるのはなし」

慧が言った。

「特定される可能性がある」

「じゃあ、投稿は答えだけ?」

陸が聞く。

「いや、相談の詳細は出さないだけ」

「答えだけだと、ポエムになるもんね」

杏が言う。

「神様なんだから、ポエムでいいじゃない?」

咲が言った。

その言葉に、新が指を鳴らした。

「それだ」

「何が」

「神様はポエム」

「絶対違う」

慧が頭を押さえた。

杏はまだ迷っていた。

「でも、怖いほうを選べって、ちょっと強くない?」

咲は、テーブルの上の白い面のアイコンを見ていた。

「強い言葉じゃなくて、余白がある言葉がいい」

「余白?」

杏が聞く。

「相談者が、自分の都合で読める余白」

咲は淡々と言った。

「怖いほうって、何かをこっちが決めない。告白かもしれないし、友達に話すことかもしれないし、諦めることかもしれない。本人が決める」

「それ、ずるくない?」

陸が言った。

咲は陸を見た。

「うん」

短い返事だった。

ずるい。

その言葉を、私は飲み込んだ。

ずるいことは、悪いこととは限らない。
あの時の私は、そう思いたかった。

「文面」

陸が言った。

「誰か出して」

新が身を乗り出す。

「『神様は言う。怖いほうへ行け』」

「命令形禁止」

慧が即座に言った。

「じゃあ、『怖いほうが本当だ』」

「意味が分からない」

「『逃げたら一生後悔するぞ』」

「脅し」

「慧、全部却下するじゃん」

「却下されるようなことしか言ってないだろ」

杏が小さく笑った。

その笑いを聞いて、私はスマホを取った。

画面のメモ帳を開く。
指先が、少し冷たかった。

みんなの言葉が、頭の中に散らばっている。

怖いほう。
本当。
逃げる。
後悔。
でも、命令じゃない。
でも、神様っぽい。
でも、人を傷つけない。
でも、忘れられない。

私は、それらを一つずつ拾って、余計なものを削った。

言葉を整えるのは、掃除に似ている。
散らかった部屋から、見せたいものだけを前に出す。
隠したものが消えるわけではない。
ただ、見えにくくなる。

私は、画面に打った。

『神様は言う――迷っているなら、いちばん怖いほうを選びなさい』

打った瞬間、テーブルの上の空気が少し変わった。

ポテトの油の匂いも、ドリンクバーの氷の音も、隣の席の笑い声も、全部が遠くなる。

「……いいじゃん」

新が言った。

声が、少しだけ低かった。

「それ、いい」

杏も画面を見た。

「怖いけど、でも……分かる」

慧は眉を寄せた。

「命令形にしないって言った」

「選びなさい、は命令形だな」

陸が言った。

「でも、神様っぽい」

「神様っぽさでルール破るな」

慧の声が固くなる。

私は慌てて言った。

「じゃあ、『選んでもいい』にする?」

そう言いながら、自分でも分かっていた。

選んでもいい、では弱い。
画面に残らない。
誰かの胸に刺さらない。

新が首を振った。

「それだと普通の人じゃん」

普通の人。

その言葉に、私は黙った。

普通の人なら、責任がある。
神様なら、責任がない。

いや、違う。

その時の私は、そこまでは考えていなかった。
考えていなかったことにした。

「一回だけ」

陸が言った。

「初投稿だし。様子見」

「一回だけって、便利な言葉だな」

慧が言った。

でも、止めなかった。

止めない沈黙が、賛成みたいに扱われることを、私たちはもう知っていた。
教室でも、部活でも、クラスのグループチャットでも、ずっとそうだった。
反対し続けるのは疲れる。
疲れた人から黙る。
黙った人の分だけ、流れは太くなる。

「投稿するぞ」

陸が言った。

誰も、いいよとは言わなかった。

でも、誰も、だめとも言わなかった。

陸が投稿ボタンを押した。

【神様の声 @kamisama_no_koe_000】

『神様は言う――迷っているなら、いちばん怖いほうを選びなさい』

18:42
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「ゼロ」

新が言った。

「神様、信者ゼロ」

陸が吹き出した。

杏も笑った。
慧はため息をついた。
咲は白い面のアイコンを見ていた。
私は、画面の文字を見ていた。

私が打った言葉なのに、私の言葉じゃないみたいだった。

名前が変わるだけで、言葉は別のものになる。
同じ文なのに、葉山澪が言えばただの意見で、神様の声が言えばお告げになる。

そんなこと、少し考えれば分かるはずだった。

でも、分かっていたとしても、やめたかどうかは分からない。

「相談者の後輩、見てるかな」

杏が言った。