神様は誰?

――#037が来たのは、雨の日だった。

台風の季節には早すぎる時期だったが、その日は朝から空が低かった。
教室の窓は曇っていて、廊下の床には誰かの傘から落ちた水が点々と残っていた。

放課後、杏がグループチャットに投稿した。

杏『これ、見て』

【懺悔室/#037】

呼び名:なし
年齢:16
懺悔したいこと:

『友達を裏切りました。
その子が好きな人のことを、私だけに話してくれました。
「誰にも言わないで」と言われました。
でも私は、その話を別の子に言いました。
その別の子が、さらに広めました。
今、その友達は、私じゃない子を疑っています。
その子は私にまだ「信じてる」って言います。
私はうんって言います。
その子にもらった赤い鳥のキーホルダーを、見るのがつらくて、机の引き出しの奥に隠しました。
でも捨てられません。
本当のことを言ったら、全部終わります。
どうしたらいいですか。』

私は、読み終わってから、しばらく画面を見たまま動けなかった。

赤い鳥のキーホルダー。

その一文だけが、妙に鮮明だった。

友達。
秘密。
裏切り。
疑われている別の子。
信じてる。
赤い鳥。

情報が多すぎる。

多すぎるから、まるで見えているように感じた。

その子の机の引き出し。
奥に隠された赤い鳥。
それを見るたびに、手が止まるその子。
まだ信じてると言う友達。

私たちは、その場所を知らない。
その子の学校も、名前も、顔も知らない。

でも、知っている。

「これ、#017に似てる」

杏が言った。

前の、嘘の相談。

別の子が疑われていて、本当のことを言った子。
許してもらえなかったのに、ありがとうと言った子。

新がグループに返した。

篠原新『赤い鳥、強いな』

早川慧『そこに反応するな』

篠原新『いや、でも本人にしか分かんないじゃん』

早川慧『だから危ないんだよ』

加賀陸『個人情報ではない。赤い鳥のキーホルダーなんて、いくらでもある』

早川慧『本気で言ってるのか』

加賀陸『一般論としてだよ』

桐谷咲『本人には一つしかない』

その言葉を見て、私は胸の奥が冷たくなった。

本人には一つしかない。

そうだ。

赤い鳥のキーホルダーは、世界にたくさんある。
でも、その子の引き出しの奥にある赤い鳥は、一つしかない。

それを知っているのは、その子だけだった。

そして今は、私たちも知っている。

望月杏『この子、たぶん見つけてほしいんだと思う』

早川慧『推測するな』

望月杏『でも、書いてる。捨てられませんって。どうしたらいいですかって』

篠原新『本当のこと言うしかなくない?』

早川慧『またそれか』

篠原新『だって、信じてるって言われて嘘ついてるんだろ。きついじゃん』

加賀陸『投稿利用は一部可になってる』

早川慧『赤い鳥は使うな』

篠原新『赤いもの、くらいなら?』

早川慧『使うな』

画面の中で、慧の反対だけが、はっきりしていた。

私は、慧が止めてくれることを少しだけ期待した。

でも、期待しながら、別のところで、もう文章を考えていた。

赤い鳥。
赤いもの。
隠した人。
もう隠せない。

短くて、断定的で、余白がある。
一般の人には意味が分からない。
でも、本人には刺さる。

神様の言葉に、向いている。

その考えが浮かんだ瞬間、私はスマホを置きたくなった。

置けばいいのに、置かなかった。

葉山澪『これはどう』

指が勝手に動いた、という言い訳はできない。
私は確かに、考えて打った。

葉山澪『神様は言う――赤いものを隠した人は、もう隠せない』

送信したあと、少しの間、誰も返さなかった。

その沈黙で、自分の書いた文が強すぎることが分かった。

篠原新『うわ』

加賀陸『これは刺さる』

望月杏『……この子には、届くと思う』

早川慧『だめだ』

慧の反対は、今度ははっきりしていた。

早川慧『これは相談内容を使いすぎてる。本人を追い詰める』

篠原新『でも個人名も学校名もない』

早川慧『そういう問題じゃない』

加賀陸『投稿利用は一部可だぞ』

早川慧『許可があれば何してもいいわけじゃない』

投票フォームが開かれた。

【投票フォーム/神様の声】

相談ID:#037
返答候補:
『神様は言う――赤いものを隠した人は、もう隠せない』

投稿しますか?

篠原新:賛成
加賀陸:賛成
望月杏:修正して賛成
桐谷咲:賛成
早川慧:反対
葉山澪:賛成

四人以上。

決まった。

私は、投稿画面に文字を貼りつけた。

『神様は言う――赤いものを隠した人は、もう隠せない』

赤いもの。
隠した人。
もう隠せない。

命令ではない。
犯罪を促していない。
個人名もない。
学校名もない。

でも、逃げ道がない。

私は何度も、そう思った。
何度も思ったのに、投稿ボタンを押した。

【神様の声 @kamisama_no_koe_000】

『神様は言う――赤いものを隠した人は、もう隠せない』

21:37
返信 0 拡散 0 いいね 0

投稿した直後、スマホを伏せた。

見たくなかった。

でも、伏せたスマホは、伏せている間もそこにある。
画面が見えないだけで、投稿は消えない。
白い面は、もう誰かのタイムラインに流れている。

一分後、通知が鳴った。

二分後、また鳴った。

新がグループチャットにスクリーンショットを貼った。

【神様の声/返信】

『赤いものって何』

『今日の神様こわ』

『これ私じゃないのに心臓止まった』

『隠し事ある人全員死ぬやつ』

『神様、見てる?』

最後の返信を見て、私は喉の奥が詰まった。

見てる?

私たちは、見ている。
懺悔室を開いて、読んで、分類して、使える言葉を選んでいる。

でも、神様は見ていない。

その違いが、誰にも分からなくなっていく。

そして、それを分からなくしたのは、私たちだった。

通知が、また鳴った。

『本当に神様なんですか』

その文字を見た瞬間、背中がぞっとした。

――本当に神様なんですか。

そんなわけがない。

今すぐ言えばいい。
違います。
私たちは、神様ではありません。
見抜いたわけではありません。
懺悔室に書かれたことを読んだだけです。

そう打てばいい。

でも、私は打たなかった。

打てなかった。

スマホの画面を見つめたまま、私は息を吸うのを忘れた。

――神様は見てるってことにしよう。

冗談みたいだった。
設定を追加するみたいな言い方だった。
ゲームのルールを決めるみたいに、軽かった。

でも、その軽さが、一番怖かった。

私は投稿画面を開いた。

白い面のアイコン。
空欄。
点滅するカーソル。

そこに、文字を置く。

『神様は見ている。』

私は、一度だけ目を閉じた。

まぶたの裏に、赤い鳥のキーホルダーが浮かんだ。
見たこともないのに、やけにはっきり浮かんだ。
机の引き出しの奥。
暗い木目。
赤い鳥。
それを見る手。
震える指。

私たちは見ていない。
見ていないのに、見ていることにした。

投稿ボタンを押した。

【神様の声 @kamisama_no_koe_000】

『神様は見ている』

22:08
返信 4 拡散 19 いいね 57

最初の返信は、数秒でついた。

『こわ』

次に、

『やっぱり』

その次に、

『見てください』

そして、

『私のことも、見てください』

拡散の数字が増えた。

19。
27。
34。

白い面のアイコンが、画面の中で小さく揺れている気がした。

『神様は見ている。』

その投稿が、夜のタイムラインに流れていく。

知らない人の部屋へ。
知らない人のベッドの上へ。
知らない人の机の引き出しの中へ。

赤いものを隠した人へ。
まだ何も書いていない人へ。
書きたいのに書けない人へ。

そして、私たちのところへ戻ってくる。

通知音が止まらなかった。

私はスマホを伏せなかった。

伏せても、もう意味がないと思った。

『神様は見ている。』

私は、その言葉を投稿した。