神力ゼロと蔑まれた掃除係の私、拾った神様(たまに豆電球)になぜか溺愛されています




「環那ちゃんてば、またお母様とお父様に床掃除させられてるの? かわいそう~!」
「あなたこそまた私に嫌みかしら? 飽きないわね」

 私は廻を鼻で笑いながらも、雑巾を固く絞り、廊下を拭き続けた。

 一応、宮司や巫女を排出する一族としては名門な桜庭家の長女である私だが、家にいる時はいつも屋敷の掃除をしていた。

 私は神力が低い落ちこぼれな上にもう亡くなった前当主の愛人の生んだ娘で、桜庭一族全体からは迫害されている。
 現当主の娘である廻は蝶よ花よと皆から愛でられ、過保護にお嬢様生活をしている中、私はそれと比べるとずいぶん酷い扱いを受けていた。

 桜庭家はこの日本におわす神々に仕える一族だ。
 廻は現世に顕現する生き神たちの花嫁になれるかもしれない程に神力が強いらしいので、この待遇差は仕方ない事としてこの屋敷では扱われている。

 そして、本来なら使用人にやってもらえる筈の、ただっ広いこの家の掃除の担当はこの私が一任しているのだ。
 まさにワンオペ育児ならぬ、ワンオペダスキンである。

 その上、衣食住も、朝ごはんが毎日たくあんと雑穀米だけだったり(健康にはよさそうだ)自室はもう使われていない古びた蔵だったりと、どこぞの再現ドラマに出れそうなレベルで冷遇されていた。

 しかし、私はこの掃除がかなり骨が折れると思いつつも、確かなやりがいも感じている。
 別に命令されなくなってもやりたいぐらいには好きだ。

 衣食住も一応人間として最低限度の生活は保証されているし、別に家族に愛されなくたって友達がいなくたって、へっちゃらである。
 私はどうやら不幸を楽しめる才能があるようだ。

「ふふ、我ながら、私って最強ね! 廻の嫌みだって、別にどうでもいいから受け流せるもの!」
「は? 突然何言ってるの、キモ…」
「何でもないわ。そこにいると水しぶきが飛ぶわよ、大事なお洋服が汚れる前に他の場所へ行ったらどうかしら?」

 私は一つにまとめたゆるくウェーブのかかった焦げ茶色の髪をはらりと靡かせながら、廻を無視して廊下に一気に雑巾をかけた。

「ちょっと待ちなさいよ! 私ってば、日本で五指に入る巨大企業であるあの支倉財閥の主催する、ティーパーティーに呼ばれたのよ。それを自慢する為にあんたみたいな高慢ちき雑用女に話しかけてあげたのに、掃除ばっかり! 私の話を聞きなさいよ~!?」
「あっそ、良かったわね」
「返事、適当すぎ!?」

 私は廻の話をいつも通り適当に受け流しつつ、一生懸命掃除に励んだのだった。

 そんな私が今までの自分が「不幸」であった事に向き合わざるを得なくなるほど、私を「幸福」にしたいと思ってくれる存在に出会う事になるのは、この一週間後のことだ。




 毎日毎日、家の掃除に明け暮れ。
 学校では「神力ゼロ子」という不名誉なあだ名をつけられ、陰口を叩かれる。
 屋敷の使用人とは会話こそすれ、みんな桜庭家に仕える立場だからこそ、虐げられてる私に深く関わろうとする人間などいない。

 そんな幼い頃から続く孤独な生活が、明日も明後日もずっと続くと思っていた。
 ドラックストアで重曹と消毒液、大きな布などを買った帰り道に、「彼」と出会うまでは。

「何あれ?」

 草花の生い茂る歩道を歩いていると、堤防のところの橋の下に黒い布をかぶせられた大きな物体があった。
 
「不法投棄かしら? ゴミはちゃんと決められた所に捨てなきゃ駄目なのにね」

 私は普通に会話を交わせる相手が桜庭家の使用人以外だといないので、ひとりごとを言う癖がついてしまっていた。

「仕方ないわね、今日は時間もあるし、見なかった振りも出来ないし、ゴミ拾いでもしましょうか。ちょっとサイズが大きいけどね」

 私の膝ぐらいまでの長さがある草花をかき分けながら堤防をザクザクと下り、橋の下へと向かう。
 黒い塊に近づくと、それはよく見ると黒い布の隙間から肌らしきものが見えたり、赤い液体が付着しているようだ。
 そして、さっきまでいた堤防の上からは分からなかったが、黒い塊は呼吸のリズムでほんの僅かに動いている。

 もしかしてこの黒い塊は、不法投棄されたゴミではなくて、血を流した人間なんじゃないの?

「えっ、えぇぇ……!?」

 それに気づいた時、驚きのあまり私は小さく叫び声をあげてしまう。
 
「騒ぐな。君も死にたくはないだろう?」

 そういって黒い塊は弱々しい力で、しかし確実に心臓に当たる角度で、私に神気銃を突きつけてきた。

 神気銃とは、自身の神力を弾として込めて使う銃だ。
 私も一応桜庭家の人間なので、実物を見た事はあった。
 ここまで至近距離で見た事も、自分が撃たれそうになる経験もさすがに初めてだけども。

「死にたくはないけど、別に今死んでも後悔はないかもしれないわ」

 そして、私はこの人物の言うことに、そんな風に真面目に返事を返してしまっていた。
 この人は至極真剣そうに見えたから、私も真摯に返さないと、などと思ったのだ。

「は? どうしてそんなに冷静なんだ、君の頭は大丈夫なのか?」
「ぜんっぜん、大丈夫よ。私は屋敷の掃除だけで生涯が終わるような人生しか送ってなくて、それが好転する気配も一生なさそうだから、いつ死んでも変わらないってだけ」
「君は、いったい……」
「でもきっと、あなたは死にたくないのね? なら、安心して。私が手当てしてあげるから。怪我してるんでしょう?」

 私は袋から大きな布と消毒液を取り出し、この人の上にかかっていた黒い布を無理やりはぎ取った。
 そこにいたのは、ミルクティー色の髪と蜂蜜色の瞳を持った、なんとも甘いマスクのかっこいい男性だった。

 今まで男性に対して容姿でどうこう思った事はなかったが、こういう事態でなければ、もしかしたらこの人に見惚れていたかもしれない。

 男性は思った通り、全身に大小問わずたくさんの傷を負っていた。

「余計な手出しはしなくていいよ。俺に関わらないでくれ」
「そんなこと言われても、今のあなたを見捨てるのは気がひけるわ。黙って私に助けられてなさいよ」
「そういう偽善はやめてくれないかな」
「別に私はあなたを助けたいからこんなことを言ってるんじゃないわ。あなたを見捨てたら、この私がスッキリしないからやっているのよ」

 私は遠慮なく傷口に消毒液をぶちまけ、布を傷口に巻こうとする。
 この消毒液も布も、本来は桜庭屋敷の備品として買ったものだが、事態が事態だから、そんな事は言っていられない。

「おかしいわね、血が止まらない」

 しかし、消毒液をかけても、布で抑えても、血がとめどなく溢れてくる。
 私が止血が下手なのかしら? でも、手順は間違えてない筈よね。

「俺の傷は、神力を取り込まないと消えないよ。何をしても無駄だ」
「もしかして、あなたって生き神だったりする? ってそんなわけな……」
「その通り、俺は生き神だよ」
「え、そうなの?」

 冗談のつもりで言ったのに、まさか肯定されてしまうなんて思わなかった。

 生き神というのは、現世で人間の肉体を受肉して生きている、巨大な神力を持った存在だ。
 多くの生き神は巫女や宮司を取りまとめる神宮庁にて官僚のポストについていたり、大企業のスポンサーについていたり、著名な芸術家のパトロンについていたりと、現世を陰から操る権力者となっている。

 一定の神力を持っていると、こうして人の形をとっていても、生き神であるかは一目瞭然なのらしいが、私にはとても判別がつかなかった。
 つくづく私には巫女の才能はないらしい。

「そういう君は霊力を見るに、多少霊力のある一般人か? 生き神がどういうものであるか程度の知識はあるみたいだな」

 多少霊力のある一般人、ね。
 桜庭家という前提を外した場合、私はそう見えるのだなと、興味深い気持ちだ。

 ちなみに生き神は普通の人間と似た肉体を持ちつつも、その体を動かしているのは心臓や血液ではなく、神力なのだ。
 なので、血を流していても、治療には普通の人間に対しての治療ではなく、神力の補給が必要となる。 

「生き神が神力を使って肉体を保っているなんて、今どき小学校でも神学の授業に習う事だもの」

 私はなんて事もないような風に言い、生き神(暫定)のお腹らしきところに手をかざした。
 そして、学校や家で習った通りに、神力を流し込もうとする。

 しかし、生き神の体には何の変化もなかった。

「ううん、私の力では無理かしら?」
「君は俺の言うことをあっさり信じすぎだよ」
「あら、やっぱりあなたは生き神ではないの?」
「そんな事はないよ。今、俺が治らなかったのは、ただ単に君の神力が弱いだけだ。きちんと術の教育は受けている事は分かったし、君の気持ちは伝わってきたけどね」

 どうやら、やり方は間違っていないが、神力が圧倒的に足りていないらしい。

「君の気持ちはこの際だからありがたく受け取っておくけど、俺にはもう関わらない方がいい」
「あなたに姫巫女はいないの?」

 姫巫女とは生き神に大きな神力を与え、生き神の力を何倍にも強める、まるで神様の伴侶のような存在の巫女だ。
 その性質上、本当に花嫁も兼ねることが多いらしいが、厳密には花嫁と姫巫女は違うらしい。

 こんなかっこいい人の姫巫女なら、なりたい女性なんていっぱいいると思うのだが、どうなのだろう。
 私は色恋には疎いから、よく分からないけれど。

「姫巫女らしき人間はいるよ。でも、敵対勢力から追われている俺の傷を癒してくれるような巫女は、残念ながらいない。君もこんな俺になんて関わらず、早く逃げ……」
「ふーん。私と似た匂いがするわね」
「は?」

 私が眉をひそめて苦笑すると、生き神は「何言ってるんだ、こいつ」という目で私を見た。

「あなたはたぶん、今はぼっちなのね?」
「さっきから思っていたけど、君は神に向かって本当に遠慮がないね」
「ふふ、私はこの世に理不尽や人間同士の格差というものを作った神なんて信じてないもの。まさに、無敵よ!」
「それを俺の前で言うのは、無敵というか恐れ知らずでは?」
「そんなの知らないわ! とにかく、あなたがぼっちな事は本気で理解したわ。なら、この私が助けてあげる」

 ぽかんとする生き神に、私はビシリと人差し指を突きつける。

「ぼっち同士は結束して生きていくものだもの。あなたを私の家に連れ帰ってあげるわ!」
「どうしてそうなるんだ。俺は俺が関わったらめんどくさい存在であると、出来る限り匂わせたつもりだったんだけどな」
「あなたの都合なんて関係ない。私があなたを助けたいと思った、それだけだもの」

 私がそう言って胸をはると、彼は困った顔でため息をついた。

「見たところ、まだ君は未成年だろう。俺なんかを連れ帰ったら、ご両親がびっくりされるんじゃないか?」
「その心配は必要ないわ。私は屋敷の中で誰も寄りつかないようなボロい蔵に住んでいるし、そもそも親からは見放されるわよ」
「さっきから思っていたけど、君はいったいどういう境遇の中で生きているんだ?」
「あら、そんなことが気になるの? もちろん、私は家族からばっちり冷遇されている上に、友達も一人もいないけど?」

 生き神は私の話を聞くと、額に手を当て、自身の表情を半分隠した。

「ぼっちというのはそういうことなのか」
「理解してくれたかしら?」
「あぁ、一応はね。君にも本来なら俺に構っている場合でないぐらい、のっぴきならない事情があることは理解したさ」
「あら、自分に余裕がないからといって、大変そうな人を見なかった振りをする理由になんてならないわよ?」

 私がそう挑戦的に笑うと、生き神は顔をくしゃりと歪めた。

「理解できないな。自分も苦しい中で、俺みたいな関わってデメリットしかない存在にお節介をやくなんて。俺にはない価値観だ」
「良かったわね、私みたいなとびきり性格のいい人間と出会えて」
「自分で言うな」

 生き神からの突っ込みをスルーしつつ、私は生き神の手を握り、瞳をのぞきこんだ。

「私に、ついてきてくれるかしら? さすがに私一人の力じゃ無理やりあなたを連れ去るなんて出来ないから、あなた自身にここから動く意志をもってもらいたいのだけど」 
「…………ここで拒絶しても、君は大人しく引き下がらないんだろうな」

 次の瞬間、生き神の体が光に包まれたと思うと、あっという間に消えていく。
 体にかかっていた黒い布がすとんと地面に落ちた。

「まさかあなた、逃げたの!?」
「逃げてなどいない、それだけの力は今の俺にはないさ」
「えっ」

 消えた筈なのに、なんで目の前から生き神の声が聞こえるの!?

「君は本当に神力が少ないんだな。こんなに近くにいるのに、霊体となった俺が知覚できないのだから」

 よく目を凝らすと、生き神が元いた場所に緑色の丸い光がほんのり発光していた。
 
「もしかしてこの豆電球みたいな光の正体が生き神なの?」
「その通り。この姿なら人に見つかりにくい。移動するのにはぴったりだろう?」
「便利な変身能力ね。生き神、あなたを褒めてあげていいわよ」

 どうやってこの図体が大きそうな男を移動させようかと思っていたので、私は生き神の配慮に一応感謝していた。
 しかし、私がそういうと、緑色の光がかなり弱い発光、かなり強い発光を繰り返す形で点滅した。

 もしかして、抗議してる?
 褒めてあげたのに、なんで?

「その生き神という呼び方はやめてくれないかな。君だって「人間さん」とずっと呼ばれ続けたら嫌だろう?」

 なるほど、生き神は私が思っていたよりも繊細な心を持っているらしい。

「あら、ごめんなさい。じゃあ、あなたの名前を教えてくれるかしら?」
「本当はこれ以上君との縁を濃くしたくないけど、仕方ないな。俺の名前は常磐、ある地域を地主として管理し、そこに本社のあるとある会社の後ろ楯をしている生き神だ」

 一応偉い存在なのだろうけど、地主や企業の後ろ楯をしてるぐらいのレベル感なら、生き神としてはどこにでもいる普通の神様に聞こえた。
 そんな神様がどうして血まみれになる羽目になっているのかは、流石に詮索できないが。
 誰にだって、聞かれたくないことぐらいあるものね。

 それにしても、「これ以上縁を濃くしたくない」と言いつつ、私が聞いていない情報まで教えてくれるのって、ひょっとしてツンデレなのかしら? まぁいいか。

「名乗ってもらったし、私の名前も教えてあげる。桜庭環那よ、よろしくね」
「桜庭、環那?」

 生き神は私の名前を聞くと、酷く驚いたように目を見開いた。

「桜庭って、もしかしてあの、神道五大一家の一つの桜庭なんて言うことはないよな?」
「ええ、その通り。さすが生き神の一柱、よく知っているのね」
「いや、桜庭環那といえば、俺の花嫁候補として見合い写真を押しつけられた女性の一人で……」
「あら。何か言ったかしら?」
「なんでもない。君は一切、気にしなくていい」

 そういって緑色の光(常磐)は私に「案内しろ」と言いたげに、橋の下からすうっと出ていき、ふよふよと虚空を舞った。

「君の事はせいぜい利用させてもらう。生き神に半端に同情して助けるような真似は自分の為にならないと、しっかり俺が教えてあげよう」
「私もせいぜい常磐を利用させてもらうわ。晩ごはんを一緒に食べたり、蔵で留守番をしてもらって、私の寂しさを埋める存在になりなさい!」

 私がそういって勝ち気に笑うと、緑色の光は弱々しく消えたり光ったりを繰り返した。

「桜庭環那がこういう人間だと分かっていたら、俺は姫巫女として選ぶ人間を変えていたかもしれないね」
「何を言いたいのか、私には全く理解できないのだけど」

 私は「あなたはあくまで、私の後ろからついてくるのよ?」と常磐(緑色の光)に向かって得意気に言いつつ、ふと気づく。

 私が自分の事を寂しいだなんて言ったのは、いったいいつぶりかしら?
 そもそも、使用人以外でここまで誰かと楽しく話したこと自体が初めてじゃないの?

 それに気づいた瞬間、私の足はピタリと止まる。
 黒い靄みたいな冷たい感情が、ずっと蓋が出来ていた気持ちが、すうっと手足を冷たくさせていた。

「環那?」
「……っ、なんでもないわよ!」

 私は何事もなかったことにして、いつもよりワントーン高い声を出し、再び歩き始めた。

「なんでもなさそうには見えないけど」

 そういいつつ、緑色の光は私の周りをくるくると飛び回る。
 すると、私の手足が、身体全体が、日だまりに包まれたかのようにポカポカと暖かくなった。

 神力の波動を感じるから、恐らく常磐が何かしらの術を使ったのだろう。

「今の神力が弱っている俺にはこれぐらいしか出来ないけどね。はは、頼まれてもいないお節介をされた気分はどうかな? お返しだよ」
「……ふふっ、自分が余裕がない時に他人の事を助けている場合なの?」
「君が言うな、君が」
「私も、お返しよ」

 私の心の中に広がりそうになっていた黒い靄のような感情は、常磐のくれた温もりが気づけば消し去ってくれていた。

 常磐が私が思っていたよりもずっと、とんでもない力を持つ神様である事を知ったのは、これよりもっと後のことで。
 私と常磐のお互いに絡み合っていく因縁は、こんなお節介からはじまったのだった。




 渓谷の狭間に位置する、赤い鳥居の向こうにある、地上にある筈のない雲に包まれた巨大な神社。
 そこの本殿にて、初老の男性の肉体を持つ生き神が、苛立った様子でまだ若い青年を睨みつけていた。

「常磐様はまだ見つからないのか!?」
「申し訳ございません。常盤様が支配している、支倉財閥の人間たちの手も借りつつ、捜索を進めているのですが」
「あの方がいなくては、この雲山神境は維持できないだろう。くそ、欲深い神道五大一家どもめ!」

 生き神はそういって苛立ちを抑えきれない様子で、台の上に置かれた玉串を床へと叩き落とす。
 人間が神の力を借り穢れを払う際に使うそれを乱暴に扱う様は、彼の人間全体への苛立ちを感じさせるものだった。

「まだ常磐様を襲った犯人が確定した訳ではございません、過激なお言葉はお控えください」
「あんな神がいなければ何も出来ないような人間どもなど、恐れるに足りん。次郎、神道五大一家の一員であるお前の気持ちも私は知った事ではない」

 次郎と呼ばれた青年はまっすぐに生き神を見つめ、淀みのない口調で言った。

「俺は構いませんが、境川様、今のこの状況で下手な事を言えば、あなたが消されてしまいます」
「私は弱っちい人間などには消されん!」
「常磐様ですら、不意打ちで人間たちに誘拐されたのに?」
「……くっ。あれはどこぞの生き神が神道五大一家に加担しているのだろうし、あの時は私が人質に取られていた。常磐様は全力を出せなかったのだ」

 境川と呼ばれた生き神はそういって悔しそうに歯ぎしりをする。
 その表情は負の感情がありありと感じさせるものだったが、それは境川の常盤への強い想いの証拠だとも言えた。

「そうですね、この日本最大規模の神境である、雲山神境の主である常磐様を正攻法で倒せる存在は、人間であろうと神であろうとそういないでしょう」
「その通りだ、よく分かっているじゃないか」
「つまり、常盤様がやられたのは、境川様、あなたのせいですよね?」
「ぐぬ、そ、その通りだ」
「素直でいいことです」

 生き神である境川に対しても遠慮のない次郎は、そういって眼鏡をくいっと指先で押し上げた。

「とにかく、我々は一刻も早く、常盤様を取り戻さないといけません。支倉財閥も姫巫女も、所詮利害で動くだけの存在。常盤様の純粋な味方になれるのは、我々だけです」
「あくまで雲山神境の維持が最優先の私は、あの方の純粋な味方と言えるのだろうか」

 そういって自嘲するかのように笑う境川を、次郎は眼鏡越しにじっと見つめた。

「そのことに対して罪悪感を抱けるだけ、境川様は本心から常盤様に寄り添いたいと思っているのではないのでしょうか」
「ええい、分かったような口を叩くな。お前には神道五大一家に追い出されて、他に行き場所がなく、常盤様に拾われた恩があるのだろう。せいぜい常盤様に私の分まで、心から尽くせ」

 強い眼光で己を睨みつける境川にも、次郎は動じずに肩をすくめる。

「それは難しいですね。俺は根がドライなので、これ以上常盤様の旗色が悪くなったら、ここを見捨てて逃げるかと」
「そんなろくでもないことを堂々と言うな! とにかく、我々は常盤様を一刻も早く取り戻す、分かったな?」
「もちろんです。無理しない程度に頑張りましょう」
「お前はもっと気合いをいれろ!」

 と、二人の元に本殿にあしらわれた組み木細工の隙間から、一羽の白い鳥がひらりと舞い降りた。
 二人はハッとその鳥にすぐに気づくと、境川はごくりと唾を呑み込み、次郎は眼鏡を一回外し、また眼鏡をかけ直した。

「これは、常盤様の飼われていらっしゃった鳥だな」
「今のタイミングでこの子が現れるとは。まさか、どこかで生きていらっしゃるであろう常盤様が、我々に何かを伝えようとしているのはないでしょうか?」
「そうかもしれない」

 その言葉を肯定するかのように、白い鳥は二人の言葉に反応したようにくちばしをパカッと開いた。
 すると、くちばしの先端から、緑色の光が本殿の壁へと投影された。

 そこには常盤の姿がうっすらと映し出される。
 そして、映像の中の常盤は困ったような笑顔で口を開いた。

「やぁ、境川と次郎はそこにいるかな? 俺はなんとか連中から逃げのびて、生き残ったよ」

 そんな常盤のいつもより弱々しくも、確かな無事の知らせに境川は喜び、次郎はほっとしたように息をつく。

「さすが常盤様です、私は信じておりました!」
「俺のことは気にしないで。色々あって、神道五大一家の一つである桜庭家に潜入しようとしている最中だ」

 桜庭家は、常磐の襲撃に関わった神道五大一家の派閥に関わりがある可能性のある一族であった為、二人は常磐の動きに思わず感嘆する。
 我々の主は逆境であっても、恐ろしく有能だ、と。

「常磐様、さすが手が早い」
「俺の姿の映った映像を神力で送っているだけだから、君たちの様子は俺からは見えない。ごめんね。俺のことよりも今は雲山神境に異変を起こさないことを大事に。俺から何かあれば、また連絡するよ」
「自身のことよりも神境のことを尊重されるのは、さすが常盤様だ」

 境川がそう称賛すると、同意するように次郎は無言で頷いた。

「あぁそれから、今まで俺の姫巫女をつとめていた人間には暇を出すように。こういう事態で役に立たない者など早めに見切りをつけるべきだからね」
「それは確かに、我々もそう考えておりました」
「でも、やけに指示が早いですね」

 次郎が訝しさの滲んだ声音でそう言ったあと、常盤は続けて二人が予期していなかった発言を投下した。

「それと、もしかしたら次にそちらに帰る時は、新しい俺の姫巫女を連れ帰るかもしれないから、心の準備だけしておいてくれ。もしそうなったら、今までの姫巫女とは違い、花嫁も兼ねてもらう事になりそうだ」

 二人の間に流れていた、常盤の無事が分かった安堵による暖かい空気が、一瞬で凍りついた。

「……は……?」
「常磐様がこんな無茶を言うのは珍しいですね」
「はあぁぁあああ~~!?」

 境川は持っていた玉串を本殿の床に落とすほどに動揺し、次郎は冷静そうな表情こそ崩していないものの、唾を大きく飲み込んだ。

「今回ばかりは俺も境川様と同じく叫びたい気持ちですよ」
「次郎、今回ばかりはお前といい酒が呑めそうな気分だ」
「いや境川様と酒なんて呑みませんけども。え? 常盤様、この非常事態に運命の相手でも見つけちゃったんですかね?」
「そんな馬鹿な」
「やけに姫巫女のクビ宣言が早かったのも、新しい姫巫女様兼花嫁にしたい女性を何の憂いもなく迎える為、とか言います?」

 常磐は何事もなかったかのように話を締める。

「じゃあ、移動中に「彼女」の目を盗んで連絡をするのにも限度があるから、今は これで。俺を陥れた人間たちのことは一網打尽にするつもりではあるから、いざとなったら協力してね」

 言いたい事だけ言って消えていった常盤の映像を見て、次郎と境川の気持ちは珍しく一致した。

 あの基本的に計画的に動かれる、冷静沈着な常盤様の身に何があった? と。