ノベライズ版「祝祭村からの脱出」にまつわる記録

執筆:的井夜子(フリーライター)

 いま、日本のエンターテインメント市場において「体験型」という言葉を聞かない日はありません。

 経済産業省のコンテンツ産業統計や各シンクタンクの試算を紐解くと、体験型イベント(脱出ゲーム、イマーシブシアター等)の市場規模は、この数年でコロナ禍前の水準を大きく上回る成長を見せています。かつては一部のコアなパズルファンや演劇好きのものだったこのジャンルは、今や数兆円規模とも言われる「エンターテインメント市場」の一角を占める巨大な産業へと変貌を遂げました。

■「ゲームはゲーム」という安心感の欠如
 この市場拡大を支えているのは、言うまでもなく「没入感」というキーワードです。  しかし、多くのプレイヤーが忘れかけていることがあります。それは、高い没入感を維持するためには「ゲームはゲーム、現実は現実」という強固な安全網が裏側に張られていなければならない、ということです。
 参加者は、「死ぬかもしれない」という恐怖を味わうために高額なチケット代を支払いますが、それはあくまで「本当に死ぬことはない」と主催者を信頼しているからこそ成立する契約です。最近のトレンドは、この契約の境界線をわざと曖昧にすることに注力しすぎてはいないでしょうか。

■「リアル」「没入」を追求し過ぎた炎上事件の教訓
 実際、過剰な演出が「現実」を侵食し、社会問題に発展したケースは過去にいくつも存在します。

 記憶に新しいのは、三年前にある制作団体が仕掛けたプロモーションです。新作ホラーイベントの告知として、実在する行方不明者の捜索チラシを模した広告を街中に掲出し、公式アカウントが「スタッフが失踪した。誘拐されたかもしれない」と警察への通報を促すと捉えられないような投稿を行いました。    
結果として、事情を知らない一般市民が本気で警察に通報し、現場は大混乱。団体側は「これも没入体験の一環だ」と主張しましたが、世論はそれを許しませんでした。「フィクションのために公共のリソースを浪費した」として猛烈な炎上を招き、団体は解散に追い込まれました。この事件は、体験型エンタメにおける「倫理観の境界線」の難しさを浮き彫りにしました。

 しかしながら、この強気な没入的告知についてARG用語「TINAG(This Is Not A Game)」を望むコアなプレイヤーからは絶賛されており、いまや伝説としてSNS上で語られることもあります。

■私たちは「帰還」を前提としているか
 最近の私自身の取材現場でも、危うい空気を感じることがあります。一部の先鋭的なクリエイターたちは、「一生忘れられない体験」を追求するあまり、参加者を現実の日常へ「戻す」ためのケアを軽視し始めているように思えてならないのです。

 イベントの出口を抜けたとき、目の前の景色が以前と同じ「現実」に見えるかどうか。  もし、ゲートをくぐった後も物語が終わらず、ずっとあなたの後ろをついてくるとしたら……。没入から侵食へ。体験型エンタメは現在、過渡期にあると言えるのでしょう。