【悪女の勅命】

「は?」

夏生の発言に鳥肌が立った。
気色悪い。何を言っているのこの男は。
ぐっと胸元を押し返しながら夏生を睨みつける。

「離れて下さる?夏生さん。貴方はまだ私の婚約者”候補”でしてよ」
「ですが、その中での筆頭株は紛れもなく僕です。僕が実権を握るようになってから、西郷里家が分家の中で一番の富を有していますから」

自慢げに告げる夏生の言葉は真実なのが嫌になるわ。
確かに、この男が私の婚約者候補になってから西郷里家は急に成長を遂げた。嫌に羽振りが良くなって、金に物を言わせるのだから周りも夏生に首を垂れる。……だからこの男はきな臭いのよ。

「ですので澄華様。貴女の将来の結婚相手も――斉明寺家の実権を握るのもこの僕です」

その言葉に目を見開いた。
どういう事?この男が斉明寺の実権を握るですって?

「何を言っているの?そんな話、私は聞いていなくてよ」
「貴女の意思は関係ありません。華族の結婚とはそういうものです」
「……貴方、百華が良いのではなかったのかしら?」
「とんでもない!百華さんも大変魅力的ですが、僕はあくまで澄華様の婚約者ですので」

なんなのこの男は?二枚舌も良い所だわ。
とっさに懐に忍ばせた護符に手を伸ばしかけたけれど、薫子の顔がよぎってその手を止めた。
ここで荒事を起こせば、楼主の薫子の面子を潰す事になる。
せっかく私を信頼して下さったのだもの。ここで荒事を起こすべきではないわ。

「丁度ここは西最高峰の遊郭です。男女が一夜を共にする部屋など……幾らでもありますよ」
「お断りしますわ。今すぐにこの不届きな手をどけなさい」
「僕を選べば斉明寺家は西の領地に留まらず、この皇国随一の富豪になれますよ?何を迷う事があるのです」
「斉明寺家は今でも充分潤っておりますわ。結構よ!」

夏生の腕を掴んで引き剝がそうとするけれど、それに比例す様に夏生が私の肩を抱く手に力を込める。

「はあ。……あのですねえ、澄華様」

夏生が表情を消す。
月が陰り、夏生の顔に暗い影を落とした。

「あの執事がお気に入りかどうか知りませんが、あいつは所詮斉明寺家に仕えているだけの汚らわしい半妖です。そんな男と、高貴な貴女様がどうにかなる訳がないでしょう?」
「……ッ」

反論しようと開いた口が乾き、一瞬言葉がつかえて出なかった。
何?……私は何に、揺らいでいるというの?

「さあ澄華様。ここで僕と一夜を共に過ごしましょう。……退屈は、させませんよ?」

夏生が唇が触れ合いそうな距離まで詰めてくる。
巫山戯(ふざけ)るのも大概にしなさい!こんな男とどうにかなるなんて絶対に嫌よ!
不意に私の頭に(よぎ)った。極楽蓮華の前で告げられた、ユヅルの言葉が。

『何かあれば俺の名をお呼び下さい。心の中で命じるだけでも構いません。俺を呼んで下されば、貴女がどこに居ても即座に駆け付けます』

私はぐっと目を瞑りながらユヅルを思い浮かべた。
……助けて。
今すぐここに来て!ユヅル……!!
私がユヅルを思い浮かべた瞬間、レースの手袋越しに青百合の花印が淡く輝いた――。



side:ユヅル

「さて、どこに行こうか」

夜会の開催を告げられてお嬢様と別れた俺は、静かに廊下を進んでいた。
まだ夜会は始まったばかりだ。あまり早く戻ってはお嬢様の迷惑になってしまう。
パタパタと小走りで廊下を進む狐面の女中達に道を開けながら歩いていると、その話し声耳朶を打つ。

「ああもう!忙しいったら!」
「しょうがないじゃない!長年居た子が急に抜けちゃったんだから~」

……大変そうだな。こちらの使用人も。
話しながら小走りで駆けて来た女中が、俺を見るなり頬を桃色に染めてそそくさと道を開けた。

「あっ!あらごめんなさいね。素敵な旦那様」
「いえ、お勤めご苦労様です」
「まあ~!お優しいのですね」

軽く会釈をすると、女中達が突き当りの広間に入っていった。
”旦那様”などと呼ばれるのは初めてで少し面食らってしまった。やはり上等な着物を仕立ててもらえば、今の俺でも相応の身分に見えるのか。……いや、仮面で鱗を覆っているからか。
前方からカツ、カランと音がし、わあっと歓声が上がる。立札を見ると『遊戯場』と記されていた。

「遊戯場、か……」

大方賭け事に興じる場だろう。
あまり気は進まないが、情報収集をするならば人が多いに越した事は無い。
俺は大ぶりの花があしらわれた襖に手をかけ、サッと引いた。

遊戯場の内部は畳張りにいくつかの机が立ち並び、各々がトランプや花札などの賭け事に興じている。観衆がその結果を見て一喜一憂している。招待客と相対する遊女がくゆらせる煙管(きせる)からは細い煙が立ち上り、濃密な伽羅(きゃら)のお香と混ざり合って赤色の天井に吸い込まれてゆく。

「ねえお聞きになった?徒花楼に、がしゃどくろが収監されたそうよ」
「まあ。西の警備隊でも手を焼いていた、あの大妖怪?」

その言葉を聞きつけて、俺は室内に入出した。そして、賭け事とは少し離れた位置でひそひそと話し合う男女の元に近寄る。

「そんな凶悪な存在だったの?私の地域に出た事は無いから、あまりよく知りませんの」
「がしゃどくろは、夜な夜な彷徨(さまよ)い歩いて人間を襲う妖です。骨を砕いて食べられてしまうので、人間からは恐れられているのですよ」
「まあ、なんて恐ろしい。……あら、貴方は?」
「失礼、興味深い話が聴こえてきたものでして。ご一緒してもよろしいですか?」
「ええ、勿論」

俺は自然に話の輪に加わり、ふっと口元を綻ばせた。
ああ確かに、この狐の仮面は良い。俺の様な見た目でも、これで覆ってしまえば無遠慮に蔑まれる事は無い。

「でも徒花楼って、お金さえ積めば誰でも出獄させる事が出来てしまうのでしょう?恐ろしいわ」
「そうよねぇ。……がしゃどくろを従えようなんて、不埒な輩が現れなければよろしいけれど」
「はっはっは!心配されるなお嬢様方!がしゃどくろは警備隊が手を焼くほどの高位の妖で御座います。金を持て余した道楽息子か、それこそ華族でもない限り支払えるはずがないでしょう」
「そ、そうですわよね。貴族の端くれの私達では、逆立ちしたって支払えない額だわ」
「……」

その話を聞きながら、俺は口元に折った人差し指を押し当てた。
徒花楼は、この極楽蓮華から直通で行ける罪人専用の遊郭だ。ここから向かおうと思えば向かえる。結界の護符が張られているから、近寄れる者は居ないと思うが……。
思案していると、遊戯場の隅から小さな歓声が上がった。相対する小柄な男を見た瞬間、俺は軽く目を見開いた。
狐の面は付けているが間違いない。あれは、以前斉明寺家の門扉を叩いたサトリの妖だ。

「有意義なお話をありがとうございました。では、俺はこれで」
「ええ。お互い楽しみましょうね~」

笑顔で手を振るご婦人に軽く会釈し、俺は遊戯場の隅まで進んでいった。
前の客が立ち去ると、俺はサトリの前に腰を下ろした。

「失礼。同席しても?」
「勿論です。……お待ちしておりました、ユヅル様」
「……」

サトリの青年は、小柄な体躯を折って俺に向かって深く頭を下げようとした。
俺はそれを手で制する。

「そこまで畏まるな。この夜会は無礼講の場だ」
「……ありがとうございます」
「名を聞いても?」
「はい。僕は清春(きよはる)と申します。爵位などは持っていません。どうぞ呼び捨てでお呼び下さい」
「清春。お前も招待を受けたのか?」
「はい。ユヅル様もお気づきでしょうが、招待された者の半数は妖と半妖です」
「……そうだな」

仮面一つで人間はこうも簡単に警戒心を解く。それは、俺の立場からすれば複雑な話だ。
……いや、それこそが五十鈴 薫子の狙いと受け取るべきか。

「そうだユヅル様、貴方様も戯れに賭け事はいかがですか?金銭の類は要求しません」
「それならば、何を賭けるのだ?」
「僕――サトリ一族は情報に長けた種族です。東西南北の情報はよく聴こえるのですよ。僕が勝ったら僕の持つ情報、全てユヅル様にお渡しします」
「情報、か……」
「それに――新しく斉明寺に入られた百華様、あの方についてもお調べしました」

その言葉に軽く目を見開いた。百華様の情報は、澄華様の為に是非とも入手しておきたい。
清春が畳の上に手を付き、意を決したように青色の瞳が真っすぐに俺を見つめた。

「その代わり、僕が勝ったら僕と共に、東の地へ来ては頂けませんか?」
「……何?」
「皇都からの通行手形も僕がご用意致します。一日……いえ、半日でも構いません!」

清春の言葉に、俺は狐の面の奥で瞳を見開いた。
どうやら東の地は、俺が思うよりも遥かに状況が良くないらしい。
だが、百華様の越してきた斉明寺家は以前よりも危うい雰囲気が漂っている。たとえ半日であろうとお嬢様の元を離れたくはない。
……だが、情報屋のサトリの持つ百華の情報は、今まさに俺が求めているものだ。

「いかがでしょうユヅル様。……僕と、賭けをして頂けませんか?」
「……」

俺は一度目を瞑ると、すっと開いて清春を見た。
破門された俺が東に関わるべきでは無いと突っぱねられる状態では、無いのかもしれないな。

「良いだろう」
「っ、本当ですか!?」
「ああ。賭けの道具はお前の好きな物で構わない」
「でしたら、丁半博打にしましょう。これならば簡単ですので、お手を煩わせる事もありません」

清春が傍の畳に置かれていたサイコロと筒を手に取って、俺達を隔てる机の上に乗せた。
俺は机の上でピタリと静止するサイコロを見て、それに手を伸ばした。

「では、僕が振りま――」
「清春、俺が振ってもいいか?」
「……どうぞ。ただし、サイコロを変える事はお止め下さい」
「ああ、これで構わない。……失礼」

俺は筒とサイコロを受け取って手に乗せると、それらを一旦机の上に置いた。
懐から金色の懐中時計を取り出し、金具を押して裏側の外装を開く。

「どなたかと、待ち合わせのご予定でもあるのですか?」
「いや、少し確認したまでだ。気を紛らわせてすまない」

懐中時計を確認して懐に戻す。そして、その手を素早く筒に押し当てた。

「俺が勝てば、お前の持ちうる全ての情報を差し出して貰う」
「僕が勝てば、共に東に戻って頂きます」

俺は手に持ったサイコロを手元近くに届くように低く筒に投げ入れた。サイコロが、筒の中でカッと短い音を立てる。
俺はそれを確認すると、静かに机の上に筒を置いて手を離した。
そして、丁半博打の決まり文句を口遊んだ。

「――さあ、張った張った」

To Be Continued……