【悪女の勅命】

極楽蓮華の大広間には人がひしめき合っていた。
畳に腰を下ろしながら談笑する狐の仮面の男女を、大ぶりの花々があしらわれた(ふすま)が囲んでいる。
牡丹や菊が咲き誇る天井画に、西洋のカンテラを思わせるランプ。その光を受けて艶めく赤色の壁は、西一番の遊郭と言うにふさわしい絢爛さね。
私はユヅルの腕に手を回しながら談笑する人々の様子を眺めていると、シャン、と鈴の音が響いた。

「皆々様、ようこそおいで下さいました」

たおやかだけれど、意志の強い声に振り返る。
大広間の奥の襖が開き、狐の仮面をつけた少女達が歩く。その度に、袖口に飾られた鈴がしゃらりと音を奏でる。
その最奥から一等艶やかな打掛を身に纏って現れたのは、亜麻色の髪を結い上げて狐の面を付けた――極楽蓮華の楼主、五十鈴 薫子だわ。

「花魁道中、ですか」
「その様ね。流石は楼主様だわ」

薫子達は広間の中央までやってくると、付き従っていた少女達が左右に分かれて襖に膝をついた。
薫子がおもむろに顔に付けていた狐の仮面を外した。
亜麻色の髪に、翠玉(エメラルド)のような艶めく瞳。口元の黒子が特徴的な顔を綻ばせ、薫子は広間に声を響かせた。

「皆様。本日はわたくしの招待にお応え頂き、誠にありがとうございます。わたくしは極楽蓮華の楼主、五十鈴 薫子にございます」

声を張っているわけでもないのに、薫子の声は広間にゆったりと広がる。

「仮面を付けた今夜はこの極楽蓮華に限り、無礼講でございます。今夜はどうぞごゆるりと、お楽しみ下さいませ」

薫子が恭しく頭を下げ、仮面を付けた貴族達が拍手でもってそれに応える。私もユヅルの腕から手を離し、手を胸元まで上げて拍手を送った。
薫子と狐面の少女達が優雅に一礼する。拍手の鳴り止まぬ間ににこりとほほ笑んで、薫子は踵を返して障子の奥に消えていった。
今この時をもって無礼講、と言う事なのでしょう。

「では、私はご令嬢方との情報交換に向かうわ」
「お嬢様、やはり俺も共に……」
「もう、今は無礼講名なんだから少しくらい羽目を外して来なさい。何かあったらすぐに呼ぶから」

ね、とユヅルに見せつけるように手の甲に付けられた青百合の花印を顔の前に掲げる。
私に付けられた花印に、ユヅルが口を引き結んだ。

「では、俺も情報交換をして参ります。お気を付けください、お嬢様」
「いってらっしゃい」

ユヅルは私に一礼してから、浅葱色の着物を靡かせて人波に消えていった。
さあ、私もご令嬢の輪の中に入らないとね。……あの辺りが良いかしら?
年の近そうなご令嬢達が和気藹々と談笑している場に近づく。と、その会話が私の見知ったものだと気づいた。

「ねえ、お聞きになった?あの斉明寺家が新しい娘を迎え入れたんですって!」

……本当、お貴族様は耳敏いわね。

「あら、という事は……斉明寺家で家督争いが起こるのかしら?」
「まさか。流石に澄華様でしょう」
「順当にいけばそうでしょうけれど……。澄華様って婚約者候補はいらっしゃっても、それ以上には中々進展しませんよね」
「女学校を卒業されたばかりですもの、これからよ。でも最有力は……やっぱり西郷里家の夏生様かしら?」
「でしょうね。……最近の西郷里家は羽振りが良すぎて、お金で外交にモノを言わせてばかりだそうよ」
「でも裕福に越した事はないじゃない。澄華様も、満更でもないんじゃない?」

あそこには行けないわ。つい本音が出てしまいそう。私が澄華だとばらしに行くようなものだわ。
私はご令嬢の輪から踵を返して、襖を開けて廊下に出た。広間以外にも、人が集う場所は幾らでもあるもの。
廊下を歩いていると、どんどんと人影が無くなっていく。薄暗くなっていく廊下からぱたぱたと足音が聞こえて顔を上げた瞬間、年端もいかない小間使いが私の膝辺りにぶつかった。

「あっ!?」

小間使いが体勢を崩して木の床に尻餅を付く。その反動で付けていた仮面が外れ、カランと地面に投げ出された。
あらわになった瞳の瞳孔は窄まっていて、頭には白い狐の耳が伸びていた。

「……半妖?」
「ヒッ!?も、申し訳ありません!!」

狐の小間使いが即座に体を丸めて私に頭を下げる。
床にこすりつけられた額は、恐怖でカタカタと震えている。

「ねえ、貴女」
「お許し下さい!危害なんて何も加えません!みっ、醜い半妖で、ごめんなさ……っ」
「顔を上げなさい」

狐の小間使いの傍に膝を折って、震える肩に手を置く。
こんな小さい子でさえ、半妖だからと虐げられているのね。
おずおずと顔を上げた狐の小間使いの揺れる瞳を、私は真正面から見つめた。

「許すわ。だからそんなに縮こまらないで」
「あ、ありがとう……っござい、ます……!」
「私が貴女達が仮面を付けずに働ける領地にしてみせるわ。だから、これからも堂々と励みなさい」

私は自身の目元を覆う狐の仮面を外し、自分の顔を行燈の明かりの元に晒した。

「私の名は斉明寺 澄華。いずれ、西の領地を統べる者よ」
「すっ、澄華様……っ!?」
「仕事の途中でしょう?もう行きなさい。私の事は内緒ね」
「はっ、はいっ!」

狐の小間使いは深々と顔を下げると、私の脇をすり抜けて極楽蓮華の広間へと消えていった。

御心(おこころ)が広いのですね、澄華様」
「……あら、薫子さん」

振り返ると、狐の面を付け直した薫子がたおやかな笑みを浮かべていた。
薫子はそっと私の傍に寄ると、ゆっくりと頭を下げた。

「ご容赦頂きありがとうございます。あの子はまだ入りたてでして……悪気がある訳ではないの」
「そのくらい分かっていますわ。……私、年端もいかない子供にまで手を上げる悪女とでも思われているのかしら?」
「苛烈な方だというお噂はかねがね。ですが、所詮噂は噂ですね。芯の強いしっかりされたお方ですわ」

仮面を外したのは失敗かと思ったけれど、存外そうでもないのかしら。
自分が可愛げのある性格だなんて思っていないけれど、やはり当主を目指すならばもう少し外面を改めるべきかしら。

「貴女こそ、半妖も下働きとして採用するなんてご立派ですわ」
「うふふっ。そんな事は当たり前ですわ。だってわたくしは……いいえ」

薫子が自身の仮面に手を当ててゆっくりとずらす。
そこから覗く目は先ほどと変わらない翠玉。けれど薄暗がりの中で炯々(けいけい)と光る瞳は猫の様で、その中に走る瞳孔は鋭い縦長に変わっていた。その妖艶な瞳が、うっそりと細められる。

「わたくしも半妖ですのよ」

なまめかしく動く唇の隙間からは、きらりと光る八重歯が覗いている。
私はハッとして、口元に手を当てた。

「貴女、半妖でありながら極楽蓮華の楼主の座に就いたの?」
「ええ。我々半妖は、無理をすれば人とは異なる身体的特徴を隠す事が出来ますから」
「まあ……」

ユヅルも言っていたわ。少々時間はかかるけれど頬の鱗を消す事は可能だと。
薫子は私を試すように眉根を下げた。

「潔癖な斉明寺家のお嬢様はご不快に思うかしら?それとも、わたくしを不敬だと断罪なさる?」
「いいえ、とんでもないわ」

私はふっと口角を上げた。
だって願ったり叶ったりですもの。私の思い描く人間と半妖が共に暮らせる未来に、彼女は必要不可欠だわ。

「半妖であるという事を隠しながら極楽蓮華の当主まで上り詰めたのですもの。貴方の研鑽(けんさん)は賞賛に値しますわ」
「……澄華様」
「時に薫子さん。貴女の種族は……猫又、かしら」
「ええ、いかにも」
「翠玉の瞳に光る瞳孔は初めて見たわ。素敵ね」
「ありがとうございます。……わたくし、貴女を招待して良かったわ」
「あら、私を品定めするために招待したのかしら?」
「ええ、この目でしっかりと見定めようと思いましたの。次代の西の長はどなたが相応(ふさわ)しいのかをね」

薫子の言葉に、私は思わず眉根を寄せてしまった。
さっきのご令嬢方もそうだけれど、やはり百華が斉明寺家に来た事は周知の事実なのね。

「百華も、この夜会に招待しているの?」
「それは明言を避けさせて頂きます。隣人が誰かも知らぬ状態で語らうのが、この夜会の趣旨ですので」
「そう、ではこれ以上は聞かないわ」
「……澄華様とはまた改めてお会いしたいわ。後日、個人的な招待状をお送りしてもよろしいかしら?」
「ええ。お待ちしておりますわ」

薫子が狐の面を懐にしまう。お互いに素顔を晒して対面すると、ふっと微笑んだ。
そして、薫子は私に向かって爪紅に彩られた手を差し出した。

「ねえ澄華様。妹様の事で内心穏やかでは無いかもしれませんが……私は、西の当主は貴女様にこそ相応しいと信じております」
「極楽蓮華の楼主のお墨付きだなんて光栄ですわ。ありがとう、薫子さん」

その手を取って、しっかりと握手を交わす。
お互いに見つめ合っていると、薫子の背後から歩いてきたご令嬢が、私の顔を見てその肩を跳ねさせた。

「す、澄華様!?」
「……あら」

つい、仮面を付け直すのを忘れていたわ。
これでは仮面舞踏会の意味が無いわね。

「あら皆さん、ごきげんよう。素敵な夜ですわね」

私は努めて優しく微笑んだ。
当初の予定とは外れてしまったけれど、こうなったら今更隠しても無駄ね。

「では薫子さん、またいずれ」
「ええ、またお会いしましょう。澄華様」

私は薫子と別れ、ご令嬢達の元へ軽やかに足を進めた。



「……ふう、こんな所かしら」

あれから仮面を外したままご令嬢方と談笑した私は一人、縁側に来ていた。
華やかな室内とは打って変わって、夜の中庭に人の気配は無い。
涼やかな夜風が中庭の木々を揺らす。葉擦れの音しか聞こえない空間は和楽器と喧騒の煮詰まった室内とは対照的で、私の心を落ち着かせてくれる。
気分転換には最適だわ。ここで少し休んだら戻りましょう。

「おや麗しきご令嬢、お一人ですか?……だなんて、世辞は止めましょうか」

鼻に掛かったような声に眉根が吊り上がる。よもすれば今一番聞きたくない声だわ。
それでも、最低限の礼儀として笑顔を浮かべたまま振り返る。

「あら、貴方も招待にあずかっていたのね。……夏生さん」
「これはこれは奇遇ですね。ご機嫌麗しゅう、澄華様」

絶対に嘘よ。
恭しく形だけのお辞儀をする夏生に目を眇める。
私が居ると人伝に聞いたから来たのよ。夏生はそういう男ですもの。
夏生は狐の仮面を外すと、私と肩が触れそうなほどの至近距離で腰掛けた。シルクや金箔がふんだんにあしらわれた着物も派手過ぎて、夜会という場にはそぐわないわ。

「お一人でしたら僕と過ごしませんか?退屈はさせませんよ」
「いいえ結構よ。一人にして下さる?」
「澄華様ほどの高貴なお方がお一人でいるなどとんでもない!婚約者候補の僕と居るのが一番自然ですよ」

夏生が手を伸ばすと、私の肩を掴んで自身のほうに強引に引き寄せた。そして、耳元に息を吹きかけられる。

「……なんなら、このまま僕と婚前交渉でも致しましょうか?」

To Be Continued……