【悪女の勅命】

牢の冷たい床に倒れ伏す青年が、落ち窪んだ金色の瞳で力無く私を見上げる。
その瞳の中には、蛇の様に窄まった瞳孔が刻まれている。

「あら、蛇の妖怪かしら?」
「……半妖、だ」

ひび割れた唇から引っ張り出された声は掠れていてか細い。明らかに水分不足じゃない。肌もこんなに乾燥して、頬の白い鱗も乾ききっているわ。

「そう、水は飲める?」
「……」
「無言は肯定と受け取るわ」

懐から取り出した竹筒をひっくり返し、煤けた顔に水を顔にかけた。

「……っ……」
「身体……いいえ、その鱗にかけた方が良いかしら」

鱗の辺りに重点的に水をかけると、乾燥でヒビが走っていた鱗が僅かに艶を取り戻した。流石半妖ね。再生能力が高いわ。

「後はお好きにどうぞ」

竹筒を青年の眼前に放ると、青年は私と竹筒を虚ろな瞳で交互に見つめ、わずかに潤った手を伸ばして嚥下(えんか)した。
上体を起こした青年と目線を合わせる様にしゃがんでその顔を見る。
艶の無い荒れた銀髪の隙間から覗き込む瞳を見て少し驚いた。黄金を溶かしたような高貴な色の瞳が、あまりにも美しくて。

「ねえ、貴方何人刑なの?」
「……七十五人」
「随分重たいのね。横領でもなさって?」
「そんな事はしていない」
「話して下さる?」

青年は乾いた唇を僅かに開いたけれど、目を伏せて口を噤んだ。どうやら話す気は無いようね。

「……まあいいわ。言いたくないのなら強要するのは止めておきましょう。前職は何?教養はあるのかしら」
「話すほどのものでも無い。……経営や武術や教養は一通り備わっている。俺にとって全て、意味はなさなかったがな」
「……へえ」

という事は、士族か華族の分家……それに近しい家の出かしら。
それなら、願っても無い事だわ。
私は立ち上がると、長い紫紺の髪をさらりと流して微笑んだ。

「でしたら丁度良いわ。――私が、貴方を身請けしてあげる」
「は……?」

青年が目を見開いてかすれた声を上げた。縦長の瞳孔が走る美しい瞳を、私はしっかりと捕らえた。
青年は困惑するように眉根を寄せる。

「……お前は俺が恐ろしくないのか?俺は、見た通り醜い半妖だ」
「あら、そんな事が何だというの?……ああ、その鱗?」

軽く背を屈めて青年の右頬に触れる。鱗に掛かる長い銀髪を払って直に鱗に触れると、存外滑らかな触り心地だった。

「中々美しいじゃない。貴方はそのままの姿で、私に仕えなさい」
「ッ……!」

ひゅ、と青年が息を呑む。

「丁度専属の執事が欲しかったのよ。身請けしてあげるから、今日から私に仕えなさい」
「……お前、見た所華族だろう?」
「ええ。西の名家、斉明寺家の嫡女ですわ」
「西一番の華族が俺のような半妖を雇うなぞ、当主が許すはずがない」
「お父様の意見なんてどうでもいいのよ」

青年の指摘をバッサリと切る。
あんな花街通いの色情魔の言う事なんて、誰が聞くものですか。

「なにより大事なのは私自身の意志よ」

胸元に手を当てて微笑む。
牢の窓から差し込む光が、私の紫紺の髪に反射して艶を増す。

「貴方、名前は何と言うの?」
「ここに来る時に捨てた。……付けて、くれないか?」
「私が?」
「ああ。お前から与えられた名を名乗りたい」
「では名付けてあげるわ。今日から貴方の名は――ユヅルよ」
「ユヅ、ル……」
「弓の弦の様な凛とした佇まいという意味よ。執事に最適ではなくて?」
「……ああ、拝命した」

目の前の青年――ユヅルが深く頷いた。
私はそれを満足げに見下ろすと、ユヅルに向かって真っすぐ手を差し伸べた。

「命令よ、ユヅル。貴方は今日この瞬間をもって私専属の執事となり、生涯私と共に生きなさい」

牢の窓から日の光が差し込む。黄金を溶かしたような瞳が日に透けて煌めく。
ユヅルは一つ深呼吸をすると、私の手を恭しく取った。

「分かった。……いや、委細承知致しました」

片膝を折って私の元に跪き、金色の瞳が私だけを映す。

「お名前は?」
斉明寺(さいめいじ) 澄華(すみか)よ」
「澄華様、貴女は俺の救いの天女だ」

ユヅルが私の手を取り、手の甲に唇を寄せる。
少し冷たい湿った感触が、恭しく手の甲に落とされた。

「この先何があろうとこのユヅル、誠心誠意貴女様だけにお仕え致します」

執事らしく膝を折って首を垂れるユヅルに、私は淑女の笑みを返した。



記憶の海から戻り、ちらりと向かいに座るユヅルを見る。
私の視線を感じ取って僅かに微笑んだユヅルは、あの頃とは見違える様だわ。
艶のある銀髪に上品な光を宿す金色の瞳。上質な布で作られた浅葱色の着物も、彼に良く似合っている。
お互いが仮面をつけていて良かったわ。見とれているだなんて思われるのは癪だもの。
そんな事を考えていると、私達を乗せた馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。

「そろそろ着きますね。……極楽蓮華に」

上品な瓦屋根に覆われた巨大な遊郭は、提灯の緩やかな光を受けてオレンジ色に浮かび上がっている。
この極楽蓮華にも久ぶりに来るわ。……ああ、そういえば。
不意に、極楽蓮華の奥にそびえる徒花楼で働いていた小間使いを思い出した。
私よりも少し幼そうに見えたあの栗毛の小間使いは……まだあそこに居るのかしら。

「お嬢様?」

ユヅルの声にハッとする。
気づけば、馬車はもう止まっていた。

「お手をどうぞ」
「ええ」

ユヅルのエスコートを受けながら、私は馬車を降りる。
夜の帳が花街を怪しく彩り、夜風からきつい香水の香りが流れ込んでくる。
地に足を付けた瞬間、ユヅルが目元を眇めた。

「どうしたの?」
「妖の気配がします。一や二ではありません」
「奥の徒花楼からではなくて?」
「いいえ、この極楽蓮華からです。……お嬢様」

ユヅルが片膝を折って跪く。そして、私の黒いレースの手袋に手をかけた。

「お嬢様。やはりこの様な場で、貴女様を一人にする訳には参りません」
「あら心配性ね。そんなに不安ならマーキングでもなさる?」
「ええ」
「……え?」
「失礼」

レースの手袋がゆっくりと外される。
露わになった私の手の甲にユヅルの薄い唇が落とされ、皮膚を軽く吸われる。
忠誠の意を込めて口付けられる事は幾度かあったけれど、こんな独占欲を感じる口付けは初めてだわ。

「ゆ、ユヅル……?」

ユヅルが唇を離す。体に温かい霊力が流れ込むのを感じて手の甲を見ると、口付けられた場所に青い百合の花印が刻まれていた。暗い夜でも滲むようにうっすらと輝く青百合が、私の手の甲で神聖な輝きを放っている。

「これは……?」
「今夜限りの花の刻印です。何かあれば俺の名をお呼び下さい。心の中で命じるだけでも構いません。俺を呼んで下されば、貴女がどこに居ても即座に駆け付けます」

ユヅルがレースの手袋を恭しくはめ直し、立ち上がって私に向き直った。
私はレース越しにうっすらと光る青百合の刻印を見つめる。
肌に刻まれる花印は、妖や半妖が自身の力を分け与えるもの。
出生地域によって、花の種類は異なる。北の地は赤の芍薬、西の地は紫のダリア、南の地は金色の薔薇。――そして、東の地は青い百合。

「……貴方、東の出だったのね」
「左様でございます」

長い間共にいるのに、そんな事すら知らなかった。
ユヅルが隠したいのなら無理強いはしないけれど、出身も知らなかったのはあまり良い気がしない。
美しい所作に、流麗な立ち振る舞い。平民の出では無いらしいけれど、私はそれ以上の事は知らない。

「では行きましょうか、お嬢様」

ユヅルがふっと微笑んで恭しく私に手を伸ばす。
その手を取って、二人寄り添って極楽蓮華へ足を踏み入れた。
さあ行きましょう。人と妖の混ざり合う、夜会の始まりよ。

To Be Continued……