【悪女の勅命】

夕暮れの空は目の覚めるような橙色が藍色の夜空に侵食される不安定さを孕んでいる。
夜会の当日、私はユヅルに身支度を整えてもらいながら暮れなずむ空を一瞥した。

「出来ました。いかがでしょうか?」
「ええ、完璧よ」

カーペットに膝を付いて私の着物の裾を整えたユヅルが、夕日を反射して輝く金色の瞳で私を見上げた。
濃紺に黒のレースが幾重にもあしらわれた着物、手にも黒のレースの手袋をはめてもらい、髪は編み上げて凛とまとめ上げられた。
私を見上げたユヅルは濃紺の執事服ではなく、爽やかな浅葱色の着物に身を包んでいる。
その様はまるで異国の美丈夫の様で、優雅でありながら少しばかりの怪しさも併せ持っている。

「貴方もよく似合っているわよ。私の支度はもういいから、自分の身なりを整えなさい」
「いえ、俺はこれで十分です」

ユヅルは立ち上がって、執事服の時もよく懐に忍ばせていた金色の懐中時計を着物の懐に入れた。
そして、机の上に置かれた顔の上半分を覆う二つの狐面に視線を投げた。

「初めて知りました。この夜会が仮面舞踏会だと」
「ええ。私も参加するのは初めてよ」
「お嬢様の美しい(かんばせ)を覆ってしまうのは、少々勿体無いですね」
「ふふっ、仮面を被った者同士は無礼講。そういう趣旨ですもの」

西一番の遊郭、極楽蓮華。
そこで不定期に開催されるこの夜会は、西洋の仮面舞踏会を模している。
このパーティーの参加者は主催である極楽蓮華の楼主、五十鈴(いすず) 薫子(かおるこ)しか知らないとされている。

「お互いに身分を隠す夜会、だなんて情報交換をするのにこれ以上は無いわ。私はこの夜会で、紳士淑女の忌憚(きたん)の無い意見を聴取するつもりよ」
「噂では妖や半妖も人の姿で紛れ込むとされています。護符をお持ち下さい」
「あら、心配性ね。もちろん自衛はするけれど、金を賭けない丁半遊びや酒宴も開かれるそうだから、成人済みの貴方も私の執事であることは忘れて興じてみてはいかが?」
「そういった事に興味はありません」

ユヅルが私の手をレース越しに掬い取る。私を見つめる瞳は、不安げに揺れている。

「無礼講を良い事に、貴女様に手を出す不届きな輩が出ては堪りません」

その真摯な瞳に、つい一瞬見惚れてしまった。
それを気取られないように、私はあえて勝気にふっと微笑んだ。

「でしたら、今宵は貴方が私のパートナーになって下さるのかしら?」
「執事の俺がお嬢様のパートナーなどど……」
「あら、何の為の仮面だと思っているの?今の貴方が何者であっても、招待状を受け取った者は全て平等よ」

私がユヅルの胸元の合わせを人差し指で軽く突くと、ユヅルは困ったように眉尻を下げた。
逡巡する様に蜂蜜色の目を泳がせるユヅルの顔を、私は微笑んだままじっと見上げた。少しの間そうしていると、ユヅルは短く息を吐いて長い睫毛に彩られた目を伏せた。

「……畏まり、ました」
「決まりね。それじゃあ完璧なエスコートをお願するわよ。パートナー様?」

私は化粧台の引き出しを開けて小箱を取り出す。
その中には、イエローサファイアの羽織紐がきらりと輝いている。今夜の恰好ならばこれが丁度良いわ。
ユヅルの浅葱色の羽織にすっと身を寄せて羽織紐の金具を付ける。そして、揃いの羽織紐をユヅルに差し出した。

「私とお揃いよ。パートナーらしいでしょう?」
「……よろしいのですか?」
「勿論よ。ほら、仕上げなさい」
「仰せのままに」

私の手から羽織紐を受け取ると、私の上着に金具を付けて固定した。
揃いの宝石が埋め込まれた羽織紐が夕日の光を受けて淑やかに煌めくのを、私は満足げに見つめた。

「では、最後にこちらを」
「ええ」

ユヅルから差し出された白い狐面を受け取って顔に装着する。
仮面越しの視界は少し狭いけれど、窮屈を感じるほどでもない。

「では、参りましょうか」

仮面一つで隠された極楽蓮華の夜会。
仮面の奥は人か妖か。それを知るのは主催の楼主のみ——だなんて、面白いじゃない?



馬車に乗ってユヅルと共に極楽蓮華に向かう最中。
私はカーテンを開けて外を見た。日暮れと共に色とりどりの提灯とランプの光が西の花街を彩る。
ああ、もうすぐこの街は姿を変えるわね。

西の花街、”極楽通り”。
昼は芸者の集う歓楽街、夜は遊郭。
日が沈むと共に艶やかな着物に彩られた遊女が遊郭への勧誘を始める。
極楽通りの遊女と男娼には妖、半妖、人間全ての人種が揃っている。人種の隔たり無く働けるのは西ではここしかない。
噂では当代楼主の五十鈴 薫子の計らいだとか。

「可能でしたら、楼主の薫子さんにもお目通り願いたいものね」
「そうですね。俺は前任の楼主しかお会いした事がないので」

馬車が進み、花街の一角に佇む闇溜まりが見えた。
あれは通り道。犯した罪人が流れ着く贖罪の場の一つ。極楽通りの対、”地獄通り”。
私と同じく窓から景色を見つめていたユヅルが、ポツリと零す。

「……地獄通りですね」
「ええ、相変わらずだわ」

斉明寺家の嫡子として何度か視察に行った場所。そして――私がユヅルと出会った場所。
ユヅルが窓から私に顔を向け、ふっとその顔を綻ばせた。

「お嬢様。俺は今となっては、あの場所に収監されて良かったと思っております。……貴女様に、見つけて頂けたので」
「……そう」

紫色の空に浮かぶ月の光に照らされたユヅルは、柔くともどこか怪しげな微笑みを讃えていた。
そう、あの日も――こんな不安定な夕闇だったわね。



私がまだ幼く、年端も行かぬ頃。
斉明寺家の嫡子は知っておくべきだとお父様に地獄通りに連れてこられた。
当時からお父様は遊女と賭け事に耽ってばかりで、公務なんて何もしていなかったけれど。
地獄通りの娼婦たちは今日も、牢の中で客を落とすべく色事に励んでいる。

「……醜悪な場所」

それが、幼い私から見た地獄通りの第一印象だった。
地獄通りの罪人収監遊郭、徒花(あだばな)楼。
ここでは罪人に”何人の相手をすれば釈放出来るか”が言い渡される。
何人、何百人と相手にしなければ出られないから、娼婦たちは死に物狂いで”接客”する。そんな場所。

しんしんと雪の積もる冬の日。
私が蝋燭の頼りない光で照らされた徒花楼の廊下を歩いていると、左右の牢の木柵から無数の手が伸びて私を手招いた。

「ねえ可憐なお嬢さん。こっちの牢に寄って行かない?お姉さんがサービスしてあげるわ」
「僕は猫又の半妖なんだ。どう?気にならない?」

白い人間の手、蹄の付いた異形の手。牢の中から伸ばされる異種族の手を、私は睨みつけて一蹴した。

「私に触れるな、無礼者共」
「っ……」

ビクリと手が止まり、おずおずと柵の中へ引っ込んでいく。
徒花楼は幾つもの香水の混ざり合った臭気が漂っている。なんて匂いなの、むせ返りそうだわ。

「ちょっと貴方、いくら罪人蔓延る徒花楼とはいえ空気が悪すぎるわ。週一で風の妖術師を派遣させるから、管理を徹底なさい」
「もっ、申し訳ございません!」

前を歩く守衛がびくりと両肩を震わせ、バッと私に向かって頭を下げる。
そのまま守衛の案内で牢に面した廊下を歩いていると、一つの牢が目に付いた。格子戸が付いた牢は、外の西日が煌々と流れ込んでいる。
なんて毒々しい夕日。あんな強い日差しが牢の中に降り注ぐだなんて、過ごしづらいったらないわ。

「……あら?」

牢の中で青年が倒れ伏している。
容赦無く差し込む日差しから逃げるように、わずかな影の中で身を縮こまらせている。
全く櫛が通されていない汚れた銀髪に、煤と埃にまみれた青白い肌。

「ねえ、あの男は死んでいるのかしら」
「そ、そんなはずは……!」

守衛が分かりやすく狼狽える。なんなの、ここの管理が守衛の仕事では無いの?

「そこの牢を開けなさい」
「しょ、承知しましたっ!」

私が命じると、守衛が焦りながら牢を開錠した。
牢に入って、しゃがんで青年を見る。
片側の頬を覆う蛇のような白い鱗が垣間見える。……妖か、半妖かしら?
よく見ると粗末な着物の隙間から覗く体にも、部分的に白い鱗が這っている。
傍には残飯と呼ぶにふさわしい粗末な食べ物が、腐った木の器に手付かずのまま置かれていた。
ああ、異臭の原因はこれもあるわね。……まさか、罪人の食事は全てこれだというの?
私は立ち上がると、振り返って守衛を睨み上げた。

「何かしらこの食事は。罪人とは言え遊女と男娼という立場の者の食事がこんな物で良い訳が無いでしょう」
「もっ、申し訳……!」
「この愚図」

残飯の入った木の器を持ち上げ、守衛目がけて投げつける。ばしゃっと襟から腹部にかけて残飯が流れ落ちて、守衛の服を汚した。

「今すぐ全て回収して作り直しなさい!」
「申し訳ございません!!――おいお前!今すぐ全員の食事を回収しろ!」
「は、はいっ!」

守衛が空の牢を掃除している小間使いを呼びつける。
栗色の髪の、私と同じ年くらいの幼い小間使いが雑巾を放り出してバタバタと牢から出てきた。
小間使いが顔を上げると、僅かに視線が交わったような気がした。

「あの子は人間かしら?あんな年端もいかない小間使いだなんて、珍しいのね」
「えっ、ええ。母親が使い物にならなくなったので、その代わりに」
「まあ……」

母親の代わりという事は、あの子に罪は無いのね。
私は着物の裾で口元を覆い、栗毛の小間使いをちらりと一瞥した。

「お可哀そう」

私のその言葉が聞こえたのか小間使いが肩を震わせながら俯き、ぐっと唇を噛みしめて立ち去った。
そんな境遇の子供が沢山生み出されるのは良くないわ。私がもう少し信頼に足る年になったら、施策の根本的な改善を命じなければ。

「貴方」
「な、何でございましょうか……?」
「何を呆けているの?小間使い一人に回収させるなんて時間が幾らあっても足りなくてよ。早く行きなさい」
「しっ、失礼致しました!直ちに!!」

ギロリと睨みつけると、守衛はバタバタと情けない足取りで駆け出して行った。なんなの。勤務態度がなっていないにも程があるわ。
私は振り返り、粗末な床に倒れ伏す青年に視線を戻した。

「——ねえ貴方。気は確か?」

To Be Continued……