【悪女の勅命】

「結一郎さん!!」
「……ッ、う……」

地面に倒れ込んだ結一郎さんの半身を起こして揺さぶる。
眉を顰めて震える唇で、結一郎さんは浅い呼吸を繰り返した。

「すまな……っ、少し霊力を、使い……過ぎた……」
「無理に喋らないで!私の霊力を送り込むから!」

結一郎さんの額から汗が浮かんで、焦点の合わない瞳が閉じられる。
百華に刺された上で天狐様を浄化したのだもの。いくら先祖返りだからと言って、霊力を消耗し過ぎたんだわ。
傷が開き始める腹部に手を押し当てて、自分の霊力を流し込む。
手の甲の青百合の花印が光り、結一郎さんの患部に吸い込まれてゆく。

「……ッ……!?」

頭の芯がズキリと痛む。
私自身も相当霊力を使い込んで消耗している証だ。でも、そんな事で手を止めている場合ではないわ。
目を閉じて、体の芯に残る霊力を唇まで押し上げる。
結一郎さんの顎を掴んで上を向かせて、腰を折って顔を寄せる。

「駄目よ!死んでは駄目……!」

熱を失っていく唇に口付けながら自分の霊力を直接流し込む。
私の手の甲から青百合の花印が薄れていく。それが余計に焦燥感を煽る。
私の霊力なら全部あげるから、だから……っ!

「目を開けて……っ。お願い、結一郎さん……!!」

心臓の鼓動が痛い。これ以上霊力を失うなと告げる様にズキズキと頭の奥の痛みが増す。鈍器で殴られた様な痛みに眉を顰めながらも、霊力を籠めて何度も唇を重ね続ける。
『お嬢様』
脳裏に、執事服で優しく手を伸ばすユヅルが(よぎ)る。
『澄華様』
それは姿を変え、浅葱色の和装姿の結一郎さんに切り替わる。
どちらも大切な、私にとってなくてはならない存在なの。だから、私の全てを使ってでも貴方をこの世に繋ぎ止める。

「私の傍で生涯生き続けなさい!!――命令よ!!」

ありたっけの霊力を籠めて叫ぶ。
結一郎さんに覆いかぶさって、熱を与える様に口付けを落とした。
その瞬間手の甲の青百合が消えて、結一郎さんの体が月の光を写し取った様な青い輝きに満たされる。

「……っ」

結一郎さんの睫毛かかすかに震え、蜂蜜色の瞳がうっすらと覗く。
ぼやける視界の中で微笑んだ彼を見た。結一郎さんが、白い手を伸ばして私の頬に手を滑らせる。

「ああ、そうだな。……俺はずっと、貴女と共に生きる」
「結一郎さん……っ!!」

胸元に顔を押し付けて縋りつけば、私の背中に腕が回される。
重なった体が温かい。血の広がりが止まった白砂を見て、私は細く長い息を吐きだした。
そっと体を離して結一郎さんを見下ろすと、彼が目を見開いていた。

「澄、華……?」

結一郎さんの手が伸びて、私の眦を拭う。
彼の指先から、ひとしずくの涙が伝い落ちて地面に跳ねる。その時初めて、自分が涙を流している事を自覚した。

「……俺の為に、泣いてくれるのか?」
「あ……っ。当たり前、じゃない……っ」

自覚したら、急速に喉が渇いて目が潤む。涙は止めようとしても止まらなくて、とめどもなく私の頬を滑り落ちて結一郎さんの頬に弾けて流れ落ちる。

「私は貴方以外では駄目なのよっ!どれだけ”悪女”と言われ続けても、実の親から刑を言い渡されても、貴方が……っ!」

声に涙が混じって唇が震え出す。
それでも構わず、私は結一郎さんに縋りついた。

「あの家で貴方だけが、私を見捨てないでいてくれたのよ……っ!!」

幾度ユヅルに、結一郎さんに助けられたか分からない。
これ以上泣き顔なんて見られたくなくて、自分の眦をぐっと強引に拭って無理やり涙を押し留めた。

「澄華、俺は……」

結一郎さんが体を起こす。
その腕に私を閉じ込めながら、耳元で温かい声を落とした。

「俺は、貴方を悪だと思った事は無い」
「え……?」
「どこまでも真っすぐで、半妖と告げた俺にも手を差し伸べ、見た目ではなく中身と能力で評価される領地にする為にずっと努力していた貴女を、俺は”ユヅル”として一番近くで見ていた」

結一郎さんがそっと体を離し、真正面から私に微笑みかける。
血の通った温かい笑みが、空から差し込む光に柔らかく照らされる。

「徒花楼で初めて貴女に下された命は、俺にとって勅命に等しいものだ」

『生涯私と共に生きなさい』
絶対的な君主による何よりも尊ぶべき命令、すなわち勅命。
あの時の命を彼がそこまで大切にしてくれていた事が、私の胸を熱くする。

「ゆい……っ」
「俺も同じだ。……俺を救ってくれたあの瞬間から」

結一郎さんが私の額に掛かる髪を流して、宝物の様に優しく額に口付けた。
温かい唇が離れ、至近距離で藤と蜂蜜の瞳同士が重なり合う。

「ずっと貴女が俺の唯一だ。……愛している、澄華」
「あ……」

強引に止めたはずの涙がまた溢れる。
今度は零れ落ちる涙を拭いもしないで、結一郎さんの胸元に額を押し当てた。
……別に、いいのよ”悪女”で。
自分の事を、性格が良いだなんて思っていないのだから。
侮辱されれば癇癪だって起こすし、当主になるというのに、人付き合いだって得意じゃないわ。
――それなのに。

「ありがとう、結一郎さん……っ!ありが……っ」

私も愛していると、そう言いたいのに、震える唇からは嗚咽が溢れて止まらない。

「う、あ……っあああああぁ……!!」

瞳からとめどなく涙が溢れ、喉からはしゃくりあげた涙声しか発せない。
そんな私を、結一郎さんが背に手を回してしっかりと抱き留めてくれる。その蜂蜜色の瞳にも、うっすらと涙が滲んでいた。
晴天の神祠御殿に緩やかな風が吹き、安息を与える様に私達の髪を揺らした――。



それから。
やはり私の居ない斉明寺は領地の経営や公務に滞りが生じていて、私と結一郎さんは公務と分家や貴族への挨拶回りに奔走した。
百華やお父様の事にも頭を下げれば、貴族達は快く謝罪を受け入れてくれた。同時に何人もの方が私が当主になった事を歓迎してくれて、嬉しいと思うと同時に改めて身の引き締まる想いを抱いた。
それが落ち着いたタイミングで結一郎さんが斉明寺家に正式に婿養子として入る事になり、私達はこの西の地で神前式を挙げる事になった――。

side:薫子

澄華様と結一郎さんが、快晴に祝福された神社から並んで出てくる。
白無垢姿の澄華様と黒の紋付羽織袴姿の結一郎さんの胸元には、純白の百合の花が挿されている。
お互いに視線を重ねて微笑み合う姿を、優しい風がゆったりと揺らす。
その姿に、周りに居る分家筋の方々がほうっと息を呑んだ。

「まあ、なんて美しい……」
「仲睦まじいのですね。本当にお似合いですわ」
「ねえ薫子さん。今まで四家同士がご成婚された事は無いのですよね?」
「ええ。西の領地のしがらみも、東に燻る暗雲も全て……これからより良く変わってゆきますわ」

私は歩き出す二人に向かって、手に持っていた花びらを放った。
色とりどりの花びらが晴天に流れる。風に遊ぶ花びらの隙間から澄華様が参列する私を見つけて、凛とした笑みを向けられた。
その大人びた顔は、まさに西の当主と言うに相応しい。

「期待しておりますわよ、ご両人」

私は通り過ぎる二人の背に向かって、窄まった瞳孔の刻まれた瞳を三日月型に細めて微笑んだ。
天狐様の祝福の様な清風が花びらを空に舞い上げ、二人の頭上に優しく降り注いだ――。



side:澄華

斉明寺家の東屋には穏やかな昼光が木漏れ日の様に差し込んでいる。爽やかな風が吹き抜け、藤の花の甘やかな香りが私の鼻腔をくすぐる。
東屋の頭上の藤棚の蕾は、公務に奔走している間に咲き誇っていた。頭上に咲き誇る紫色の花々が緩やかな風に流れるのを、私は結一郎さんと微笑みながら眺めた。

「今日の藤は見事だな」
「ええ、そうね」
「奥様、旦那様。お待たせ致しました」

並んで座る私達の元に、清春が歩み寄る。緩やかな黒髪を靡かせた執事姿の彼は、ティーセットを用意して微笑んだ。

「ありがとう」

結一郎さんが清春に微笑み、清春が照れ臭そうに笑い返す。
結一郎さんを追って西の地まで来てくれた清春は、そのまま斉明寺家の執事として雇用する事になった。
テーブルに並んだ和菓子の上に藤の花びらが落ちる。私はそれを、風情があって美しいと思った。

「清春、後は俺が」
「畏まりました。では僕はこれで。……ごゆっくり、お楽しみ下さい」

清春が一礼して東屋を後にする。
結一郎さんが慣れた手つきでティーカップに和紅茶を注ぐと、温かな湯気がふわりと風に流される。

「どうぞ」
「ありがとう。素敵な香りね」

藤の花の空気を体に吸い込みながら一口飲めば、口の中に清涼な甘さが広がる。
指先を口元に当て、私は満ち足りた笑みを浮かべた。

「うふふっ。旦那様に給仕させる悪女だと、また(そし)られてしまうかしら」
「そんな事を言う者は、今のこの屋敷には居ないさ」

そう、ここで働いているのは妖の清春だけでは無い。使用人を再編して、人間と半妖も混ざり合って働いている。今の斉明寺家は、まさに私が目指す領地の縮図の様だわ。
――でも、まだまだこれからよ。

「挨拶回りの時も、半妖達を共に働かせる事に難色を示す貴族達は少なかったわね」
「斉明寺家自ら共に働かせる事で、半妖達の有意性は確保されつつあります。首尾は盤石かと」

結一郎さんのその物言いに私は目を丸くし、次いでふっと破顔した。

「もう、結一郎さん。久しぶりの夫婦揃ってのティータイムだというのに、その口調では”ユヅル”と変わらないじゃない」
「……あ」
「敬語も、もう要らないと言ったでしょう」
「悪かった。つい……」

蜂蜜色の瞳が気まずそうに私から視線を逸らす。私は彼の和服の裾を軽く摘まんで、肩口が触れ合う距離まで身を寄せる。そうすると、結一郎さんが私に視線を戻した。

「もう執事は終わりよ。私の旦那様」
「……ああ、そうだな」

二人で寄り添って至近距離で見つめ合う。どちらからともなく寄せられた唇同士が合わさり、ゆっくりと離れる。
結一郎さんの手が私の頬に触れれば、私もその手を取ってすり寄る。

「今日も美しいな、俺の妻は」
「ええ、貴方の妻ですもの。……ねえ、結一郎さん。私、貴方に出会えて本当に良かったわ」
「俺もだ」
「――でもね。私は、これではまだ満足出来ないの」

体を離し、二人並んで快晴の空を見上げる。
藤の花びらが風に流される。私は空に輝く太陽に手を伸ばすと、その花びらを捕まえてこぶしを握り締めた。

「種族に左右されない領地を、貴方と共に創ってみせるわ」
「ああ、必ず」

私が天に向かって決意を込めて微笑むと、結一郎さんが凛とした微笑みで私に応える。
祝福する様な清風が東屋に吹き、藤の花びらと共に私達の髪を揺らした。

私は”悪女”。欲しいものは絶対に手に入れなければ気が済まない性質(たち)ですの。

「さあ、栄華ある未来を(ほしいまま)に」

それが悪女の私が私自身に課した――勅命ですもの。

END.