【悪女の勅命】

「結一郎さん!!」

あたしの突き立てたナイフは、あたしと澄華の間に割って入ったユヅルさんの脇腹に突き立てられた。
紺色の着物に赤い血がじわじわと滲む。
あたしはナイフを取り落した。
膝を折って床に手を付くユヅルさんに、澄華が血相変えてその体を揺さぶった。

「結一郎さん!しっかりして頂戴!」
「……っ、俺は先祖返りなので……この程度、すぐに治ります」
「そんな事で自分の体を犠牲にしないで!!」

カーペットに血が染み込んで、ユヅルさんの顔色はどんどん青ざめる。でも、言った通り腹部の血は止まり始めているわ。

「貴様……っ!!」

澄華が炎の様な激情を宿した目であたしを見る。
そんな澄華の強い感情なんて浴びた事が無くて、あたしの肩がびくりと跳ねる。

「あ、はは」

いつもの様に口角を上げても、震えて上手く取り繕えない。

「違うの」

あたしは瞳をさ迷わせ、鋭い瞳であたしを射抜くユヅルさんに必死で笑いかけた。

「ごめんなさいユヅルさん。ああ、ゆ、結一郎さん?」
「斉明寺 百華」

威厳のある深い声が落とされ、あたしは二の句が継げなくなった。
額から、冷たい汗が流れ落ちる。

「これは、れっきとした殺傷行為だ」
「で、でも!結一郎さんは傷もすぐ塞がるのよね!?じゃあ、ねえお願い!誰にも言わないで!」

あたしは胸元で両手を組む。
ユヅルさんは優しいもの!斉明寺の娘のあたしが謝れば、許してくれる筈よ!

「あたし何でもするから!そ、そうだ!あたしは斉明寺の娘なんだもの、貴方と結婚してもいいのよ?料理もお洗濯も、夜のお世話だって、あたし人を立てる事なら何でも出来るの!だから――」
「黙れ」

冷たく言い放たれた声に、心臓が鷲掴みにされたような錯覚を起こす。
放たれる重圧感に、足元がおぼつかなくなって後退る。

「俺が愛しているのは澄華様ただ一人だ。決して貴女では無い」
「そ、そんな……!!」
「百華!!」

バシッと鈍い音が室内に響く。頬が、熱くて痛い。
バランスを崩したあたしは床に尻餅を付いて腰を打ち付けた。痛む頬を押さえて見上げると、腕を振り下ろして目を見開く澄華が映った。あたし今、澄華に平手打ちされたの?

「貴様、自分が何を言っているのか分かっているの?」
「な、なによ……っ」
「人を刺しておいてその罪を隠匿しろと、貴様、今そう言ったのよ」

澄華が唇をわなわなと震わせながら眉を吊り上げる。
震え交じりの声には明確な怒りが込められていて、あまりの剣幕にあたしは背筋が凍った。

「この愚物」
「な、なんて事言うの!?元はといえば、あんたが……っ!」
「私が、何かしら?」

澄華が扇子を取り出して、親骨の先端で顎先をグッと掬い上げられる。
扇子が軋む。有無を言わせない怒りに濡れた藤色の瞳が、一直線にあたしを射抜く。

「なあに?ほら、言ってごらんなさいよ」
「……っ、ひ……!」
「貴女はありもしない噂を流して私の名誉を傷つけ、冤罪で徒花楼に投獄させたのよ。加えて、結一郎さんを刺しておいて謝罪の一つも無いですって?……華族ならば、何をしても良いと思っているの?」

ぐっと扇子に力が込められて、更に上を向かされる。
紫紺の髪があたしを閉じ込める様に至近距離で頬に当たる。あたしは鳥肌が立って、沸騰した血が急速に冷えていくのを全身で感じた。

「破門だなんて生ぬるいわ。貴女、死罪でも(あがな)えない罪を犯した自覚があって?」
「そ、それは……」

澄華の眦が細められ、紅で飾られた口の端がくっと持ち上がる。
あたしの体が、無意識にカタカタと震えだす。

「ああそうだわ。貴女もやってみる?――徒花楼の百人刑」

その言葉に、心臓がドクリと冷たい音を立てる。

「ヒッ!?」
「徒花楼に小間使いとしてずっと居たのでしょう?丁度良い機会だわ。貴女も徒花楼に入獄してごらんなさいな」
「お、お義姉様?じょ、冗談ですよね……?」

ぼたぼたと体中から冷汗が滝の様に流れ落ちる。
呼吸が浅くなる。心臓の鼓動がバクバクと早まるのに、あたしの体は頭からどんどん冷え切っていく。

「一生出獄出来ないでしょうね。――貴様のような愚物は」
「い、いや……っ!!」

その言葉を聞いた瞬間、あたしは脇目も降らずに澄華の足元にしがみついた。
手汗で澄華の着物が汚れるのも構わず、なりふり構わず喚き散らした。

「いやああああああああ!!やめてお願い!誰にも言わないで!許して!お願い!!」
「お断りよ」
「徒花楼はいや!もう徒花楼には戻りたくないの!!他ならどこだっていいからあ!」
「……貴様この期に及んで、まだ謝罪の言葉を口に出来ないの?」
「ごっ、ごめんなさい……!ごめんなさい!!許してユヅルさん!お義姉様あ!どんな罰だって受ける!何でもするからあ!!」

その言葉を言った瞬間、澄華が這いつくばって縋りついたあたしの手を強引に振りほどいた。
バシッと空を切る音が響く。

「あら良い事を聞いたわ。では入って頂きましょうか――お父様と同じ東の刑務所にね」
「……え……?」
「良いかしら?結一郎さん」

澄華が立ち上がったユヅルさんに視線を送る。
腹部から手を放して顔色も戻ったユヅルさんが、怪訝そうに澄華を見た。

「構いませんが……よろしいので?」
「長期に渡って徒花楼に居た者は楼内を熟知しすぎているわ。脱獄でもされたら目も当てられないもの」

た、助かった……?
あたし、徒花楼に戻らなくて良くなったのね!
あたしは天女を仰ぐ信者の様に両手を胸の前で組んで澄華を見る。その瞬間、冷徹な瞳があたしを射抜いた。

「救いを見出したような顔をなさっているけれど、貴女には破門を命じるという意味よ。斉明寺家と、西の領土全てからね」
「ヒ……ッ!?」
「今この瞬間を持って、貴女は斉明寺の娘では無い。金輪際、西の領地に足を踏み入れる事も禁じるわ。――貴女が欲していた地位も名誉も財産も、今この時をもって全て私の物でしてよ」
「い、いや……!!」
「嫌ですって?”何でもする”と言ったではないの。ならば命じるわ。即刻私の領地から出て行きなさい」

ザッと血の気が引く音がして、あたしの顔からぼたぼたと冷や汗が流れ落ちる。
破門。
その言葉が指す意味を、あたしは回らない頭でやっと理解した。

「清春」
「はい」

ユヅルさんが呼ぶと、執務室の扉からサトリの執事が入室する。

「百華を外の警備隊の元まで連れていけ」
「畏まりました」

サトリの執事があたしの両腕を拘束する。
開いた扉から、澄華が身を翻して出て行こうとする。

「待って……!待って!お義姉様あ!!」
「私に妹なんて存在しないわ」

拘束を振りほどこうともがきながら、あたしは必死にその背に向かって声を張り上げる。
それなのに、すげなく会話を切られてしまう。

「もう用は済んだわ。では、天狐様をお鎮めに向かいましょうか」
「ええ、お供します」
「無理はしないでね。結一郎さん」

寄り添いながら部屋の外に出る二人に、あたしは脱力してへなへなと床に両手を付いた。
……何?この差は何?
どうしてあの女には力があって、信頼する人も近くにいて、汚してやったのに地位も名誉も全てあの女に返ってくるの?
――どうして、あたしには何も残らないの?

「う、嘘ですよね?ねえ、おねえさ……」
「その名で呼ぶなと言ったはずよ」

澄華が首だけを動かして肩越しにあたしを見る。
その目には怒りも憐れみも何も映していない。鈴の音の様な声が、淡々と落とされる。

「だいたい貴女、当主になって何がしたかったの?地位も名誉も財産も、信頼と実績があってこそ成り立つ物よ」
「そ、それは……っ」
「この西を納めるのは、貴女では役不足よ。……斉明寺では無くなった貴女に、私はもう何の興味も無いわ」

澄華は紫紺の髪を靡かせながら、あたしから完全に視線を外して歩き出した。
その背中からは、明確な拒絶の意思しか感じられない。

「誰に名を知られる事も無く、誰にも功績を認められない――冷たい牢の中がお似合いでしてよ」

バタン、と木製の両開きの扉が閉じられた。
拘束されたままのあたしは、目を見開いたまま視線を床に落とした。
焦点の合わない瞳で見たカーペットが、ジワリとぼやける。

「う……あ」

斉明寺の名も無い、西の領地からも追われる。
――あたしの人生には、何も残らない。

「あ……あ゙あ……!」

崩れていく。
あたしがこの身を投げうって手に入れた、何もかもが。

「ああ゙ああああああああ゙あ゙ああああああああ!!」

あたしは髪を振り乱して、掠れた絶叫を上げる。
むなしく響いた叫び声が、澄華の居ない執務室に落とされた――。

To Be Continued……