【悪女の勅命】



「あら、あんな幼い子が徒花楼で働いているの?」
「何か犯罪を犯したのかしら?」
「確かあの子……親の肩代わりで働いているのですって」
「まあ、幼いのに大変ですこと」

そう思ってるなら助けなさいよ。
あたしはあかぎれまみれの手で雑巾を絞り、囃し立てる客の女共に心の中で舌打ちをする。
こんなつぎはぎだらけの薄い着物なんかじゃ、寒さをしのげもしない。あたしは汚れの取れない床に視線を落として、歯を食い縛った。
ああ、どうして。あたしの人生はこんななの――?



罪人だった母は、徒花楼であたしを生んだ。
出獄しようと無理をして客を取っている内に、母は流行り病を患って働けない体になった。
客を取れない母は幼いあたしを徒花楼で働かせる代わりに、当時の楼主に自分を徒花楼から追い出さない事を要求した。

「ああ百華。貴女が居て良かった。貴女のおかげで、私はここに居続けられるの……」

よく言うわ。娘のあたしを守ろうともしないで。
お母さんが枯れ枝のような手であたしの頬を撫でる。

「百華、よく聞いて頂戴。――貴女は本当はね。西を統べる華族、斉明寺家の娘なの」
「え……っ!?」

それを聞いた瞬間、あたしは限界まで目を見開いた。あたしのお父さんが西一番の名家の、斉明寺家の華族?
……じゃあ、あたしはどうしてこんな腐った場所に居るの?

「あの人が貴女を認知して下さらないの」

あたしを抱き寄せて声を震わせる母に、あたしは腕を回しながら目を細めた。

「ああ、斉明寺家に娘さえいなければ。……そうすれば、貴女と共に西一番のお屋敷に行けるのに」

斉明寺の……娘?
あたしは母を宥めながらも、その言葉が頭から離れなかった。



それは、いつものように惨めったらしく働いていた冬の日。しんしんと雪が降る冷たい夜だった。
その日はバタバタとせわしなく守衛や女中の皆が動き回っていて、特別な客人が来るのだと小間使いのあたしにも分かった。

「さっさと牢を掃除しろ!!塵一つ無くなるまで出てくるんじゃねえぞ!?」
「はいっ!」

鬼のような形相の守衛に命じられるまま、あたしは出獄して空になった牢を必死で磨いていた。擦り切れて穴の開いた雑巾なんかじゃ満足に汚れが落ちやしない。それでも、寒さで悴む手で必死にこすり続けた。
揉めるような声がして振り返ると、さっきあたしを怒鳴りつけた守衛が誰かから叱責されていた。

「今すぐ全て回収して作り直しなさい!」
「申し訳ございません!!――おいお前!今すぐ全員の食事を回収しろ!」
「は、はいっ!」

幼いけれど威厳のある声が徒花楼内に響き渡る。
雑巾を放り出してバタバタと牢に入ってきたあたしは牢獄に似つかわしくない高貴な姿を見て、一瞬呼吸を忘れた。

「……お姫、様?」

手入れの施された艶めく紫紺の髪に、椿の花が咲いたような赤みを帯びた頬。そして、真珠の様な穢れを知らない白い肌。
楼の中の妖達が、密やかに沸き立つ。

「まあ澄華様、なんて美しいのでしょう」
「流石、斉明寺の一人娘はモノが違うわね」

あの人が斉明寺家の一人娘の……澄華?
あたしが呆然と立ち尽くしていると、藤の花を閉じ込めたような瞳がちらりとあたしを見た。

「あの子は人間かしら?あんな年端もいかない小間使いだなんて、珍しいのね」

その発する声は、まさしく玉音のよう。

「えっ、ええ。母親が使い物にならなくなったので、その代わりに」
「まあ……」

藤色の瞳があたしに向けられる。バチッと、あたしと澄華の瞳がかち合った。
澄華が着物の裾で口元を覆う。その艶やかな睫毛を伏せて、瞳を細めた。

「お可哀そう」

その冷めた目を見た瞬間、あたしの胃から何かがせりあがってきた。
肩を震わせながら視線を床に落とすと、衝動のままぐっと唇を噛みしめてその場を走り去った。
——今、あの女あたしを憐れんだ?
牢の食器を回収しながら、頭の中にお母さんの言葉がぐるぐると駆け巡る。

『ああ、斉明寺家に娘さえいなければ。……そうすれば、貴女と共に西一番のお屋敷に行けるのに』

あの女がいるから、あたしは西一番のお屋敷に行けないの?
あの女がいるから、あたしは罪も犯していないのにこんな腐った牢獄で働かされているの?
……どうして?

食器を抱えて素足で外に出ると、薄く降り積もった雪が井戸に積もっていた。
足が雪に隠れた砂利を踏みしめて擦り切れる。
あたしが何をしたの?どうして同じ斉明寺の血を継いでいるのに、あたしはこんなに薄汚いの?
あの藤色の瞳が過る。上等な着物に身を包んだ、高圧的な女の顔が。

「……あの女のせいよ」

雪の降る中、必死で井戸から水を汲んで桶に流し込み、残飯がこびりついた食器を洗浄する。
がり、と爪と皮膚の間に桶から突き出した木が刺さって血が流れたけれど、あたしは食器を力任せに握り込んだ。

――消してやる。

ギリギリと食器に爪を立てる。寒さなんか、こんな痛みなんか、これっぽっちも気にならない。
あの女を消してやる。
あの女を消して、あたしが斉明寺の娘に戻ってみせる。
あたしは雪の降る徒花楼の中庭で、食いしばった歯に血を滲ませながら決心した。



それからあたしは、事ある毎に斉明寺の娘を貶める発言をした。
元々癇癪持ちだと言うは耳にしていたし、あたしはそれを少し大げさに言いふらすだけ。

「しょっちゅう使用人をいびり倒しているんですって。辞める使用人も多いそうですよ」
「澄華様は我儘で傍若無人な方なんですね。そんな人が西の当主だなんて、お先真っ暗じゃありませんか?」
「"西の悪女"と呼ばれているそうじゃありませんの。……恐ろしいですよね」

雲の上の人間より、近場のあたしの言葉の方が信じて貰えるわ。不幸中の幸いかここは人も妖も利用する徒花楼。噂が広まるのなんてあっという間よ。
仕事中は収監された遊女から手練手管を盗み見て、僅かな休日にはひたすら教本を読み漁って最低限の教養を身に着けた。
徒花楼の下女でありながら教養もあり、要領の良い可哀そうな娘。あたしはそれを精一杯演じてきた。

そんな事を数年間続けていた、ある春の日。斉明寺 昭仁があたしの元を訪ねて来た。

「おお、儂の可愛い娘。君のような器量のいい愛らしい人こそが儂の娘だ」
「貴方があたしの……お父様なのですか?」

来るのが遅いのよ。あんたが来ない間に、あたしのお母さんはとっくに獄中死したわ。
でもそんな事はおくびにも出さず、あたしは感動の再開に涙する娘を演じた。

「来るのが遅くなってすまなかった。愛しい娘よ、共に斉明寺に行こう」
「嬉しいです……っ!お父様あ!」

抱きついてすり寄ってみせれば、斉明寺 昭仁は遠慮無くあたしの背に腕を回した。

こうして、あたしは斉明寺に入る事になった。
斉明寺に入ってしまえばこっちのものよ。あたしが悪い噂を流す前から評判の悪い女なんて簡単に蹴落とせるわ。これで斉明寺家はあたしの物。そう心の中でほくそ笑んだ。……それなのに。

「なんなのあの女は!!なんで周りもあの女ばかり構うの!?」

使用人を奪って嫌がらせをしてやっても、婚約者候補の夏生を目の前で奪ってやっても、あの女は涼しい顔をしている。
それ所が、半妖の専属執事さえいれば良いだなんて謙虚ぶった態度さえ取る。
おかしいわよ。華族の女がたった一人の専属執事なんかで満足出来る筈が無いわ。
……でも大丈夫よ、夏生はあたしに執心してるし、何より現当主のお父様があたしの味方ですもの。

「ふふっ。……あははっ」

自室でゆらりと起き上がり、鏡台に座って自分を見つめる。艶やかな栗色の髪に、宝石の様に輝く紅玉色の瞳。ふっくらとした唇で弧を描けば、そこには可憐な美少女が輝かんばかりの笑みを浮かべている。
あたしの為の上等な着物には、夏生から送られた真珠のネックレスがよく映える。
ほら、なんて綺麗なの。着飾ったあたしはこんなにも美しいのよ。

「うふふっ。こんな大金だって思いのままよ」

遊女達から盗み取った手練手管で甘えてみせれば、お父様は喜んであたしにお金を渡してくれる。
夏生から貰った高価な純金や流行りのプラチナで出来たアクセサリーだって、秘密裏に侍女に換金させれば大金になる。
斉明寺家の金だって、あたしが着物やドレスを買うと言えば簡単に引き下ろせる。
がしゃどくろを出獄させるほどの大金は、少し工夫するだけで誰にも咎められず用意出来るのよ。

「――さあ、がしゃどくろ。社交パーティーで、ちゃんと澄華を殺して頂戴ね」

腕に掛けられたがしゃどくろの黒い数珠が、じゃらりと鈍い音を奏でる。
澄華は悪女。
悪女なんてこの世にのさばってはいけないでしょう?
あたしは頬に手を当てて、鏡の前でうっとりと微笑んだ。

「この世に悪女なんて要らないの。――天女の様な、あたしさえいれば良いんだから」



「……貴女、あの時の小間使いだったの?」

夕日が執務室を赤く染める。
全てを話し終えたあたしに向かって、澄華があの日の面影を残す冷めた目を少しだけ見開いた。

「でしたら、私も貴女の事は覚えていたわ」
「嘘よ」

その言葉を間髪入れずに否定する。なんなの。今更同情なんて止めてよ!

「ねえ百華。どうしてこんな事をしたの?」
「どうして、ですって……?」
「私を陥れたのは、金や名誉を独占する為かしら?」
「そうよ!そうに決まってるじゃない!それ以外に何があるっていうの!?」

歯の根が合わなくなってカタカタと震え始める。
腹の奥底から、目の前の女への怒りがせり上がってくる。
その冷めた態度が許せない。汚してやったのに、美しいままのその顔が憎らしい。

「金ならまだしも名誉だなんて、人を陥れてまで手にする価値があるとは思えないわ」

冷たく言い放たれた言葉は、ギリギリまで保っていたあたしの理性を弾き飛ばすのには充分だった。
突き上げる怒りで足元がぐらりと揺れる。あたしは喉を開いて、眉間を押し上げてまなじりを決した。

「価値が無いですって!?」

あたしの体を巡る血が怒りで爆発したように沸き立つ。
その激情に任せて、あたしは両腕を開いた。

「そんな事が言えるのはあんたが生まれてから今まで、何もかも恵まれた根っからのお嬢様だからよ!!斉明寺家との血の繋がりがあるって知った時、あたしがどんな気持ちだったと思う!?人生の全てを否定されたに等しいのよ!?」

澄華さえいなければあたしはここまで苦労する事なんて無かった。
過去の薄汚れた自分がどれだけ惨めだったか!この屋敷に来られたって、あたしの惨めな過去は消えないのよ!

「斉明寺の名があれば誰もがあたしに敬意を払う!綺麗な着物やドレスだって何着でも仕立てて貰える!いくらお金を使ったって誰にも咎められない!!」

執務室にあたしの絶叫が轟く。
必死で積み上げてきた天女の仮面なんてかなぐり捨てて、あたしは心の(うち)を曝け出した。

「血の繋がりによる絶対的な地位よ!西一番の名誉よ!脈々と受け継がれて来た莫大な財産よ!!あたしは全部取り戻したかったの!だってお父様が初めからあたしを認知していれば!あんたさえいなければ!!あたしは初めからこの家の幸福なお嬢様だったんだから!!」

そんなあたしの決死の叫びを、澄華は腕を組んで静かに見据えていた。
そして、眉根を寄せてあたしの考えを一蹴した。

「とんだ強突張(ごうつくば)りだわ」
「なんですって……っ!?」
「諸悪の根源は昭仁よ。それは同情してあげる。でもね百華。人を陥れなければ手に入れられない地位になんて、何の価値も無いのよ」
「……うるさい」
「現にこの家を継いで何か変わったのかしら。使用人に崇め奉られる様になった?貴族達から引く手数多になった?……私の目には、そうは映らなくってよ」
「うるさい……っ!うるさいうるさいうるさい!!」

そんな正論なんて聞きたくない!
目の前の女の輪郭が歪んでぼやける。カタカタと震える手で、あたしは自分の頭をぐしゃりと搔き乱した。

「あたしは失われた幸福を取り戻したかっただけよ。……それなのに、なんでまたあたしから奪うの?なんであんたばっかり良縁に恵まれるの?」

理解が出来ない。
どうしてあたしはまたこの女に地位を脅かされているの?どうしてこの女は、こんなに気高くあたしに対峙しているの?

「嫌いよ」

あたしがどんな言葉をぶつけたって、澄華の瞳は揺らがない。

「あんたなんか大っ嫌い」
「そう。私も貴女の事は好いていないわ」

隣のユヅルさんに視線を送れば、あたしを警戒するように目を細める。
ああ本当に、貴方を逃がすんじゃなかった。あんな高貴な家柄だって知っていれば、体を使ってでも繋ぎ止めたのに。
栗色の髪をかき上げて、はっと口元を歪ませる。

「徒花楼からも出獄して、東の壬生家嫡男からの寵愛ですって?……ふざけんじゃないわよ!!」

ふらつく足取りで執務机に戻り、力任せに引き出しを開ける。

「あんたなんか、あんたなんか……!!」
「貴女、何を……っ!?」

その中で光るナイフを取り出すと、あたしは澄華に向かって一直線に駆け出した。

「この世から、居なくなればいいのよ!!」
「ッ!?」
「澄華!!」

ユヅルさんが叫び声を上げながら澄華に手を伸ばす。
あたしのナイフが突き刺立てられる。
ドスッと肉を断つ鈍い音が、夕日で赤く染まる執務室に響いた――。

To Be Continued……