カツ、カツと私達の靴音がレンガ造りの刑務所内に反響する。
独房に向かって生成り色の殺風景な廊下を歩いていくと、曲がり角の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。
「僕をこんな所に連れて来てどうするつもりだ!?僕は貴族だぞ!?西郷里家の息子がどういう存在か分かっているのか!?」
あの品位の欠片も無い声は夏生ね。
あんな奴に私自ら出向く事は無いと思っていたけれど、顔を合わせるのなら丁度良いわ。
曲がり角から警官達に取り押さえられながら、粗末な着物を着させられた夏生がやって来る。夏生が私の顔を見た途端、急に瞳を煌めかせた。
「す、澄華さん!?」
「澄華様、俺の後ろに」
すかさず結一郎さんが私の前に立って夏生を睨みつける。
夏生は私達に必死に腕を伸ばし、警官の手から逃れようと体をねじる。
「澄華さん!ああなんと神々しい姿だ!ここで会えたのは神が与えた奇跡だっ!さあ、今すぐに俺と結婚しましょう!」
「貴方、私が斉明寺家の金を横領した犯罪者と契る様な低俗な女だと思っているの?」
「それは全て誤解なのです!やはり俺には貴女しか居ません!!貴女が社交場でどれだけ嫌われようとも、悪女と囁かれる程の傍若無人な態度をしようとも、僕ならば全てを受け入れられます!!」
「救いの糸を見つけた様な顔をなさっているけれど……」
私は結一郎さんの背から半身だけ身を乗り出し、ほんの少しだけ着物の合わせ目を寛げて髪を耳にかけた。
「私、もうお相手がいらっしゃいますの。……ねえ、結一郎さん?」
私の首元に咲く深い青百合の刻印を見た夏生が、肝を潰したように目を見開いた。
結一郎さんを指す手が、カタカタと震え始める。
「な、なんだその大輪の花は……?おいお前。ユヅルとか言ったな。なんでお前如きがそんな上等な服を着ている?」
「何か問題でもあるのですか?」
「さては澄華さんに下賜して貰ったのだろう!?澄華さんを惑わす害虫め!汚らわしい半妖が着飾るなんて身の程知らずが!!」
夏生の絶叫が廊下に反響する。
結一郎さんが縦長の瞳孔に彩られた瞳をすうっと細めると、夏生を取り押さえる警察官に向かって深い響きのある声を落とした。
「その男の罪状に不敬罪を追加しろ。華族に対する物の言い分では無い」
「畏まりました。結一郎様」
「は……っ?」
警官が一礼し、夏生の見開かれた瞳から光が消える。
だらだらと脂汗が浮き始め、吊り上がった口角の端がひくひくと震え始める。
それはさながら、蛇に睨まれた蛙の様ね。
「百華様と離れた途端に澄華様にすり寄るなど、お前に通す筋は無いのか」
「い、いや……っ!だって、お前……」
「――男として恥を知れ、半端者が」
「ひいっ……っ!?」
私は着物の合わせ目を戻すと、結一郎さんの隣に並んだ。
「今貴方が罵倒した結一郎さんこそが私の結婚相手。――壬生家の嫡子ですの」
「う、嘘だ!!」
夏生が腰を抜かしてひっくり返りそうな所を、警官が強引に立たせる。
すれ違いざま、私は横目で夏生を睨みつけた。
「お分かり?私が低俗な貴方を選ぶなんて、天地がひっくり返ってもありはしないわ」
「すっ、澄華さ……っ」
「分かったらさっさと自分の牢に帰りなさい。低俗な俗物風情が」
「あ、ああ……あああ……っ!」
夏生が抜け殻の様に項垂れ、ズルズルと引きずられていく。
これ以上、あんな奴と会話する口が勿体ないわ。
私達は並んで、お父様の収監される独房に向かって行った。
独房の前の警官が私達に一礼する。私は振り返り、結一郎さんを見た。
「一緒に付いて来てくれてありがとう。ここからは私一人で、お父様に会いに行くわ」
「よろしいのですか?」
「ええ。……家族の問題ですもの」
「分かりました。この場所でお待ちしております」
「すぐに済ませるわ」
私は身を翻して独房の扉を開けた。
入って早々飛んできたのは、怒りに濡れた罵声だった。
「澄華……?徒花楼に居る筈の貴様がなぜここにいる!?さては、貴様が儂を嵌めたな!?」
顔を合わせて最初の言葉がこれなのだから、お父様は本当に救えない。
家族二人まともに会話するのなんて、滅多にありませんでしたのに。
私はふっと口の端を上げると、肩にかかる髪を優雅に払った。
「あら何の事ですの?全てお父様の身から出た錆でございましょう。私、嘘は何一つ書いておりませんわ」
「ふざけるな!こんなものは不当追放だ!!」
「いいえ、正当な処罰ですわ。――違法賭博に加え、斉明寺家の政治資金を百華に横流ししていたのですから」
私が長いまつげを細めて睨みつけると、お父様が眉を吊り上げる。
普段だったら威厳を感じるのでしょうけど、薄汚れた着物に柵越しだなんて怖くもなんともないわ。
「斉明寺家の金は儂の金だ!貴様の様な女狐に渡すくらいなら、従順な百華に全てくれてやるわっ!」
「あら、自白して頂けたのなら丁度良かったわ。それは立派な着服ですもの」
「な……っ!?」
何を目をひん剥いているのかしら。
領地の為に使う金に手を付けて自分の娘に横流しするなんて、そんな蛮行がまかり通ると本当に思っていたのかしら。
「破門された貴様如きが……っ!」
「ああ、その件ですけど。私、正式に破門はされておりませんの」
「なんだと!?当主の儂の命令が通らぬ訳があるか!!」
「あの会場にいた方々が私の破門の撤回を求める署名をして下さったのよ。がしゃどくろから皆々様を守ったというのに、破門だなんてやりすぎですとね」
「そ、そんな話は儂の耳には入っとらん!デタラメだ!!」
「秘密裏に保留になっていたのよ。そうでなくとも貴方はろくに公務もせずに遊郭や賭博で遊び耽る愚か者ですし。皆様からの信を得るに値しなかったのでしょうよ」
「そ、そんな馬鹿な……!儂は認めん!!」
「はあ……。あのねえ、お父様」
私は帯に挿していた扇子を取り出し、お父様の牢に近寄る。
柵越しの近い距離で相対する。膝を立てて柵を握るお父様の顎を扇子の親骨の先端で掬って、強引に上向かせた。
「貴方は婿養子であり、斉明寺の血は一滴も流れていないわ。それをちゃんと理解しているのかしら?」
「そ、それが何だというのだ……!当主は儂――」
「状況を分かっていて?投獄された婿養子が、斉明寺の血を継ぐ直系の私にそんな口の利き方をしていいと思っているの?私は斉明寺を破門になどされていないわ。……貴方を正式に破門する権利が、私にはあるのよ」
「わ、儂を脅すのか貴様!?」
「貴方が入る刑務所も私の思いのままですわ。――ねえお父様。徒花楼に行くのはどうかしら?」
「は……?」
お父様の喉からひゅうっと潰れたような音がする。
顔からは血の気が引き、白髪交じりの髪からは艶が失われていく。
私は顎から扇子を外し、両手を合わせて花が綻ぶ様に微笑んだ。
「様々な性癖をお持ちの方がいらっしゃいますもの。お父様を好き好んで選ぶ方だって、きっと大勢いらっしゃいますわ」
「な、何を言って……?」
「ねえ、良い考えだと思わない?――だって貴方、お母様一人では満足出来ない色情狂いですもの」
すっと笑みを消して、目を見開いて低く言い放つ。
私の声が独房に落とされた瞬間、お父様が血相を変えて冷たいコンクリートの床に両手を付いた。
「す、澄華!!儂が……っ、全て儂が悪かった!!」
「……それで?」
「頼むからそんな命は出さないでくれ!いっ、今までお前達を省みなくてすまなかった!どうか……っ、どうか許してくれ!」
「嫌ですわ」
「ひ……っ!?た、頼む!この通りだ!!」
すげなく言い放てば、お父様は急に老け込んだように顔の皺を濃くする。
コンクリートの床に頭を押し付けて土下座する父親に多少の溜飲は下がったけれど、それ以上何の感情も湧かなかった。
「……まあ冗談ですけれどね。徒花楼なんて置いたら何をしでかすか分かりませんもの。違法賭博の金はあなた自身の働きでキッチリと支払ってもらいますわ。……ふふ。一生この刑務所から出られないでしょうねぇ、お父様?」
「い、いやだ……っ!ゆる、許してくれ澄華……っ!」
「許さないわ。貴方には、斉明寺からも正式な破門を言い渡すわ」
「す、すまなかった……!本当に、儂が悪かった!」
「謝罪も受け入れないわ。だって遅すぎますもの」
私は柵から距離を取り、振り返って出口まで進んで行った。
「すっ、澄華!!儂を……っ実の親を見捨てるのか!?」
「……貴方がもう少し早く謝罪してお母様と向き合っていたら、私だって少しは貴方を父と慕えたわよ」
でも、そうはならなかった。
貴方がもう少しまともな男だったら、お母様はもっと長生きしていたかもしれないのに。
「もう貴方は由緒ある斉明寺でも、ましてや私の親でも何でも無いわ。この牢で寿命が尽きるまで働かされるのがお似合いよ」
「澄華……っ!!行かないでくれえ!澄華ああああああ!!」
「楽に死ねるとは思わない事ね。さようなら、昭仁さん」
縋りつくようなみっともない嗄れ声を上げるお父様に振り返りもせず、私は独房を後にした。
ガシャンと鉄の扉が音を立てて閉まり、私達の間を永遠に隔てた。
顔を上げると、結一郎さんが壁から背を離して私の元に歩み寄る。
そっと手を握られて初めて気づいた。私の手は、握り込み過ぎて白くなっていた。
「用が済んだのならば行きましょうか。ここは、貴女が居るべき所ではありません」
「……ええ」
繋がれた手から結一郎さんの温かさが染み入る。
独房の中は防音だから、結一郎さんは私達の会話を知らない。
聞きたいはずなのに、何も言わずに私に寄り添ってくれる。それにどれだけ助けられているか、貴方は分かっていて?
私はすうっと息を吸い込むと、結一郎さんの手を握り返して意識して口角を上げた。
「では行きましょう。妖蔓延る、私の苛烈な西の地へ」
私は、こんな所で立ち止まってはいられないから。
首を洗って待っていなさい百華。貴女にだけは、当主の座は渡さないわ。
◇
そして西の地、斉明寺領。
ざり、と乾いた砂利を踏しめた瞬間、突風で私の紫紺の髪がはためいた。
数週間ぶりに戻って来た西の地には不穏な空気が漂っている。
木々は揺れ、町民が慌ただしく欄干や植木鉢を家の中にしまい込む。ごうごうと耳に響く風が、どんよりとした曇り空の中で吹き荒ぶ。
「天狐様がお怒りだわ」
「西の地は風による災害を受ける事が多いのですが……ここまでの強さは、何か嫌な予兆に見えます」
「……そうね。急ぎましょう、結一郎さん」
私達は吹き抜ける風を切る様に駆け出した。
閑散とした花街を真っ直ぐ進めば、壁に囲まれた斉明寺家が現れる。
赤い瓦屋根に和洋折衷混ざり合った外観、その玄関にやつれた顔の使用人が立っている。
「斉明寺 百華にお目通願いたいのだけど」
「本日は来客のご予定は伺っておりません。立て込んでおりますので、お引き取りを…………え?」
私達の顔を見た使用人が、ピタリと固まる。
呆然と口を開けて二の句が継げない使用人に、私は手を口元に当てて微笑んだ。
「あら、どうしたのその顔は。私が私の家に帰るのを、どうして拒否されなければいけないのかしら?……それとも貴方、私の顔をもう忘れたの?」
「あ、ああ……そんな、そんな……っ!?」
青ざめる使用人に、私は笑みを消して高圧的に言い放った。
「さっさと百華の元へ案内なさい。——命令よ」
◇
side:百華
ああもう、全然分からない。
お父様も夏生さんも居ない斉明寺家の執務室で、あたしは書類と見つめ合っている。
こんなのあたしの仕事じゃないわよ。正式な一人娘になったっていうのに、夜会やパーティーの招待状が一通も来ないのも余計に癪に障る。
「百華様、こちらの地代の件はどうなさいますか……?」
恐る恐る茶髪の侍女が机の上に書類を乗せる。
あたしは机に頬杖を付き、上目遣いで侍女を見つめた。
「ええっ?それ、やっておいて下さいって言いましたよね?」
「い、以前も申し上げましたが!私共の一存で公務など務まりません!これは百華の仕事にございますっ!」
「ユヅルさんはお義姉様の公務を手伝ってくれるって言っていましたよ?」
「それはあの者がおかしいのです!一介の使用人が領地の公務など、普通は行えません!!」
慌てふためいて叫ぶ侍女に心の中で舌打ちをする。
ああもう、使えないったらないわ。斉明寺家の使用人って意外と大した事ないのね。
でもやっぱり、ユヅルさんを手放したのは惜しかったわ。あの人見た目も良いし、優秀そうだったのに。
頭から水を被って惨めに破門されたのが可哀そうだから、あたしが天女の様に救いの手を差し伸べてあげたのに断るんだもの。
「じゃあ頑張って出来るようになって下さい。印鑑なら捺しますから」
「もっ、百華様!百華様は旦那様や澄華様に代わって、西の公務をされる気は無いのですか……?」
「だから印鑑なら捺すって言っているじゃないですか。それまでは全部貴女達の仕事です。……ああ、ごめんなさい。あたしの言い方が悪かったですね」
あたしは立ち上がって胸の前で両手を合わせて、にっこりと可憐な生娘の様に微笑んだ。
「命令です。斉明寺家の公務ぜーんぶ、私の代わりにやって下さい♡」
「そ、そんな……っ!?」
「だってあたし分からないんですもの。ほら、命令なんで今すぐ取り掛かって下さい。お給料払いませんよ?」
「百華様!!お忙しい所失礼致します!!」
バアン!とけたたましい音を上げて執務室の扉が開いて、血相変えた執事が飛び込んで来た。ああもう本当に、斉明寺家の使用人ってたかが知れてるわ。あたしに対する礼儀がまるでなっていないんだもの。
「も、百華様に来客でございます!今すぐにお目通り願いたいと!」
「私は公務で忙しいんです。約束も取り付けない無礼な人なんて追い返して下さい」
「そっ、それが……っ!」
「あら、ご立派にこんな所に居たのね」
執事の後ろから聞こえてきた声に、あたしは顔をこわばらせた。
華やかに澄んだ声に、扉を塞いでいた執事が部屋から退出しててばっと頭を下げる。
この目に映った光景が、あたしには信じられなかった。
「……うそでしょ?」
艶やかな紫紺の髪に、きつく吊り上がった藤色の瞳。薄く紅の引かれた唇が、あたしを見て蠱惑的に吊り上がる。
浅葱色の上等な着物に身を包んだ女が、恭しくお辞儀してみせる。
「ごきげんよう。醜悪で素敵な夜ですね……とでも言えばいいかしら?」
それはあたしが一番見たくない、一番嫌いなあの女。
「ねえ……百華?」
斉明寺 澄華があたしの前に現れて、艶然と微笑んだ——。
To Be Continued……
独房に向かって生成り色の殺風景な廊下を歩いていくと、曲がり角の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。
「僕をこんな所に連れて来てどうするつもりだ!?僕は貴族だぞ!?西郷里家の息子がどういう存在か分かっているのか!?」
あの品位の欠片も無い声は夏生ね。
あんな奴に私自ら出向く事は無いと思っていたけれど、顔を合わせるのなら丁度良いわ。
曲がり角から警官達に取り押さえられながら、粗末な着物を着させられた夏生がやって来る。夏生が私の顔を見た途端、急に瞳を煌めかせた。
「す、澄華さん!?」
「澄華様、俺の後ろに」
すかさず結一郎さんが私の前に立って夏生を睨みつける。
夏生は私達に必死に腕を伸ばし、警官の手から逃れようと体をねじる。
「澄華さん!ああなんと神々しい姿だ!ここで会えたのは神が与えた奇跡だっ!さあ、今すぐに俺と結婚しましょう!」
「貴方、私が斉明寺家の金を横領した犯罪者と契る様な低俗な女だと思っているの?」
「それは全て誤解なのです!やはり俺には貴女しか居ません!!貴女が社交場でどれだけ嫌われようとも、悪女と囁かれる程の傍若無人な態度をしようとも、僕ならば全てを受け入れられます!!」
「救いの糸を見つけた様な顔をなさっているけれど……」
私は結一郎さんの背から半身だけ身を乗り出し、ほんの少しだけ着物の合わせ目を寛げて髪を耳にかけた。
「私、もうお相手がいらっしゃいますの。……ねえ、結一郎さん?」
私の首元に咲く深い青百合の刻印を見た夏生が、肝を潰したように目を見開いた。
結一郎さんを指す手が、カタカタと震え始める。
「な、なんだその大輪の花は……?おいお前。ユヅルとか言ったな。なんでお前如きがそんな上等な服を着ている?」
「何か問題でもあるのですか?」
「さては澄華さんに下賜して貰ったのだろう!?澄華さんを惑わす害虫め!汚らわしい半妖が着飾るなんて身の程知らずが!!」
夏生の絶叫が廊下に反響する。
結一郎さんが縦長の瞳孔に彩られた瞳をすうっと細めると、夏生を取り押さえる警察官に向かって深い響きのある声を落とした。
「その男の罪状に不敬罪を追加しろ。華族に対する物の言い分では無い」
「畏まりました。結一郎様」
「は……っ?」
警官が一礼し、夏生の見開かれた瞳から光が消える。
だらだらと脂汗が浮き始め、吊り上がった口角の端がひくひくと震え始める。
それはさながら、蛇に睨まれた蛙の様ね。
「百華様と離れた途端に澄華様にすり寄るなど、お前に通す筋は無いのか」
「い、いや……っ!だって、お前……」
「――男として恥を知れ、半端者が」
「ひいっ……っ!?」
私は着物の合わせ目を戻すと、結一郎さんの隣に並んだ。
「今貴方が罵倒した結一郎さんこそが私の結婚相手。――壬生家の嫡子ですの」
「う、嘘だ!!」
夏生が腰を抜かしてひっくり返りそうな所を、警官が強引に立たせる。
すれ違いざま、私は横目で夏生を睨みつけた。
「お分かり?私が低俗な貴方を選ぶなんて、天地がひっくり返ってもありはしないわ」
「すっ、澄華さ……っ」
「分かったらさっさと自分の牢に帰りなさい。低俗な俗物風情が」
「あ、ああ……あああ……っ!」
夏生が抜け殻の様に項垂れ、ズルズルと引きずられていく。
これ以上、あんな奴と会話する口が勿体ないわ。
私達は並んで、お父様の収監される独房に向かって行った。
独房の前の警官が私達に一礼する。私は振り返り、結一郎さんを見た。
「一緒に付いて来てくれてありがとう。ここからは私一人で、お父様に会いに行くわ」
「よろしいのですか?」
「ええ。……家族の問題ですもの」
「分かりました。この場所でお待ちしております」
「すぐに済ませるわ」
私は身を翻して独房の扉を開けた。
入って早々飛んできたのは、怒りに濡れた罵声だった。
「澄華……?徒花楼に居る筈の貴様がなぜここにいる!?さては、貴様が儂を嵌めたな!?」
顔を合わせて最初の言葉がこれなのだから、お父様は本当に救えない。
家族二人まともに会話するのなんて、滅多にありませんでしたのに。
私はふっと口の端を上げると、肩にかかる髪を優雅に払った。
「あら何の事ですの?全てお父様の身から出た錆でございましょう。私、嘘は何一つ書いておりませんわ」
「ふざけるな!こんなものは不当追放だ!!」
「いいえ、正当な処罰ですわ。――違法賭博に加え、斉明寺家の政治資金を百華に横流ししていたのですから」
私が長いまつげを細めて睨みつけると、お父様が眉を吊り上げる。
普段だったら威厳を感じるのでしょうけど、薄汚れた着物に柵越しだなんて怖くもなんともないわ。
「斉明寺家の金は儂の金だ!貴様の様な女狐に渡すくらいなら、従順な百華に全てくれてやるわっ!」
「あら、自白して頂けたのなら丁度良かったわ。それは立派な着服ですもの」
「な……っ!?」
何を目をひん剥いているのかしら。
領地の為に使う金に手を付けて自分の娘に横流しするなんて、そんな蛮行がまかり通ると本当に思っていたのかしら。
「破門された貴様如きが……っ!」
「ああ、その件ですけど。私、正式に破門はされておりませんの」
「なんだと!?当主の儂の命令が通らぬ訳があるか!!」
「あの会場にいた方々が私の破門の撤回を求める署名をして下さったのよ。がしゃどくろから皆々様を守ったというのに、破門だなんてやりすぎですとね」
「そ、そんな話は儂の耳には入っとらん!デタラメだ!!」
「秘密裏に保留になっていたのよ。そうでなくとも貴方はろくに公務もせずに遊郭や賭博で遊び耽る愚か者ですし。皆様からの信を得るに値しなかったのでしょうよ」
「そ、そんな馬鹿な……!儂は認めん!!」
「はあ……。あのねえ、お父様」
私は帯に挿していた扇子を取り出し、お父様の牢に近寄る。
柵越しの近い距離で相対する。膝を立てて柵を握るお父様の顎を扇子の親骨の先端で掬って、強引に上向かせた。
「貴方は婿養子であり、斉明寺の血は一滴も流れていないわ。それをちゃんと理解しているのかしら?」
「そ、それが何だというのだ……!当主は儂――」
「状況を分かっていて?投獄された婿養子が、斉明寺の血を継ぐ直系の私にそんな口の利き方をしていいと思っているの?私は斉明寺を破門になどされていないわ。……貴方を正式に破門する権利が、私にはあるのよ」
「わ、儂を脅すのか貴様!?」
「貴方が入る刑務所も私の思いのままですわ。――ねえお父様。徒花楼に行くのはどうかしら?」
「は……?」
お父様の喉からひゅうっと潰れたような音がする。
顔からは血の気が引き、白髪交じりの髪からは艶が失われていく。
私は顎から扇子を外し、両手を合わせて花が綻ぶ様に微笑んだ。
「様々な性癖をお持ちの方がいらっしゃいますもの。お父様を好き好んで選ぶ方だって、きっと大勢いらっしゃいますわ」
「な、何を言って……?」
「ねえ、良い考えだと思わない?――だって貴方、お母様一人では満足出来ない色情狂いですもの」
すっと笑みを消して、目を見開いて低く言い放つ。
私の声が独房に落とされた瞬間、お父様が血相を変えて冷たいコンクリートの床に両手を付いた。
「す、澄華!!儂が……っ、全て儂が悪かった!!」
「……それで?」
「頼むからそんな命は出さないでくれ!いっ、今までお前達を省みなくてすまなかった!どうか……っ、どうか許してくれ!」
「嫌ですわ」
「ひ……っ!?た、頼む!この通りだ!!」
すげなく言い放てば、お父様は急に老け込んだように顔の皺を濃くする。
コンクリートの床に頭を押し付けて土下座する父親に多少の溜飲は下がったけれど、それ以上何の感情も湧かなかった。
「……まあ冗談ですけれどね。徒花楼なんて置いたら何をしでかすか分かりませんもの。違法賭博の金はあなた自身の働きでキッチリと支払ってもらいますわ。……ふふ。一生この刑務所から出られないでしょうねぇ、お父様?」
「い、いやだ……っ!ゆる、許してくれ澄華……っ!」
「許さないわ。貴方には、斉明寺からも正式な破門を言い渡すわ」
「す、すまなかった……!本当に、儂が悪かった!」
「謝罪も受け入れないわ。だって遅すぎますもの」
私は柵から距離を取り、振り返って出口まで進んで行った。
「すっ、澄華!!儂を……っ実の親を見捨てるのか!?」
「……貴方がもう少し早く謝罪してお母様と向き合っていたら、私だって少しは貴方を父と慕えたわよ」
でも、そうはならなかった。
貴方がもう少しまともな男だったら、お母様はもっと長生きしていたかもしれないのに。
「もう貴方は由緒ある斉明寺でも、ましてや私の親でも何でも無いわ。この牢で寿命が尽きるまで働かされるのがお似合いよ」
「澄華……っ!!行かないでくれえ!澄華ああああああ!!」
「楽に死ねるとは思わない事ね。さようなら、昭仁さん」
縋りつくようなみっともない嗄れ声を上げるお父様に振り返りもせず、私は独房を後にした。
ガシャンと鉄の扉が音を立てて閉まり、私達の間を永遠に隔てた。
顔を上げると、結一郎さんが壁から背を離して私の元に歩み寄る。
そっと手を握られて初めて気づいた。私の手は、握り込み過ぎて白くなっていた。
「用が済んだのならば行きましょうか。ここは、貴女が居るべき所ではありません」
「……ええ」
繋がれた手から結一郎さんの温かさが染み入る。
独房の中は防音だから、結一郎さんは私達の会話を知らない。
聞きたいはずなのに、何も言わずに私に寄り添ってくれる。それにどれだけ助けられているか、貴方は分かっていて?
私はすうっと息を吸い込むと、結一郎さんの手を握り返して意識して口角を上げた。
「では行きましょう。妖蔓延る、私の苛烈な西の地へ」
私は、こんな所で立ち止まってはいられないから。
首を洗って待っていなさい百華。貴女にだけは、当主の座は渡さないわ。
◇
そして西の地、斉明寺領。
ざり、と乾いた砂利を踏しめた瞬間、突風で私の紫紺の髪がはためいた。
数週間ぶりに戻って来た西の地には不穏な空気が漂っている。
木々は揺れ、町民が慌ただしく欄干や植木鉢を家の中にしまい込む。ごうごうと耳に響く風が、どんよりとした曇り空の中で吹き荒ぶ。
「天狐様がお怒りだわ」
「西の地は風による災害を受ける事が多いのですが……ここまでの強さは、何か嫌な予兆に見えます」
「……そうね。急ぎましょう、結一郎さん」
私達は吹き抜ける風を切る様に駆け出した。
閑散とした花街を真っ直ぐ進めば、壁に囲まれた斉明寺家が現れる。
赤い瓦屋根に和洋折衷混ざり合った外観、その玄関にやつれた顔の使用人が立っている。
「斉明寺 百華にお目通願いたいのだけど」
「本日は来客のご予定は伺っておりません。立て込んでおりますので、お引き取りを…………え?」
私達の顔を見た使用人が、ピタリと固まる。
呆然と口を開けて二の句が継げない使用人に、私は手を口元に当てて微笑んだ。
「あら、どうしたのその顔は。私が私の家に帰るのを、どうして拒否されなければいけないのかしら?……それとも貴方、私の顔をもう忘れたの?」
「あ、ああ……そんな、そんな……っ!?」
青ざめる使用人に、私は笑みを消して高圧的に言い放った。
「さっさと百華の元へ案内なさい。——命令よ」
◇
side:百華
ああもう、全然分からない。
お父様も夏生さんも居ない斉明寺家の執務室で、あたしは書類と見つめ合っている。
こんなのあたしの仕事じゃないわよ。正式な一人娘になったっていうのに、夜会やパーティーの招待状が一通も来ないのも余計に癪に障る。
「百華様、こちらの地代の件はどうなさいますか……?」
恐る恐る茶髪の侍女が机の上に書類を乗せる。
あたしは机に頬杖を付き、上目遣いで侍女を見つめた。
「ええっ?それ、やっておいて下さいって言いましたよね?」
「い、以前も申し上げましたが!私共の一存で公務など務まりません!これは百華の仕事にございますっ!」
「ユヅルさんはお義姉様の公務を手伝ってくれるって言っていましたよ?」
「それはあの者がおかしいのです!一介の使用人が領地の公務など、普通は行えません!!」
慌てふためいて叫ぶ侍女に心の中で舌打ちをする。
ああもう、使えないったらないわ。斉明寺家の使用人って意外と大した事ないのね。
でもやっぱり、ユヅルさんを手放したのは惜しかったわ。あの人見た目も良いし、優秀そうだったのに。
頭から水を被って惨めに破門されたのが可哀そうだから、あたしが天女の様に救いの手を差し伸べてあげたのに断るんだもの。
「じゃあ頑張って出来るようになって下さい。印鑑なら捺しますから」
「もっ、百華様!百華様は旦那様や澄華様に代わって、西の公務をされる気は無いのですか……?」
「だから印鑑なら捺すって言っているじゃないですか。それまでは全部貴女達の仕事です。……ああ、ごめんなさい。あたしの言い方が悪かったですね」
あたしは立ち上がって胸の前で両手を合わせて、にっこりと可憐な生娘の様に微笑んだ。
「命令です。斉明寺家の公務ぜーんぶ、私の代わりにやって下さい♡」
「そ、そんな……っ!?」
「だってあたし分からないんですもの。ほら、命令なんで今すぐ取り掛かって下さい。お給料払いませんよ?」
「百華様!!お忙しい所失礼致します!!」
バアン!とけたたましい音を上げて執務室の扉が開いて、血相変えた執事が飛び込んで来た。ああもう本当に、斉明寺家の使用人ってたかが知れてるわ。あたしに対する礼儀がまるでなっていないんだもの。
「も、百華様に来客でございます!今すぐにお目通り願いたいと!」
「私は公務で忙しいんです。約束も取り付けない無礼な人なんて追い返して下さい」
「そっ、それが……っ!」
「あら、ご立派にこんな所に居たのね」
執事の後ろから聞こえてきた声に、あたしは顔をこわばらせた。
華やかに澄んだ声に、扉を塞いでいた執事が部屋から退出しててばっと頭を下げる。
この目に映った光景が、あたしには信じられなかった。
「……うそでしょ?」
艶やかな紫紺の髪に、きつく吊り上がった藤色の瞳。薄く紅の引かれた唇が、あたしを見て蠱惑的に吊り上がる。
浅葱色の上等な着物に身を包んだ女が、恭しくお辞儀してみせる。
「ごきげんよう。醜悪で素敵な夜ですね……とでも言えばいいかしら?」
それはあたしが一番見たくない、一番嫌いなあの女。
「ねえ……百華?」
斉明寺 澄華があたしの前に現れて、艶然と微笑んだ——。
To Be Continued……



