それから二人並んで、徒花楼の牢獄から外に立た。
結一郎さんに手を引かれるまま玄関口までやってくると、天狐の守衛が待っていてくれた。
天狐の守衛が制帽越しに顔を上げる。
「お待ちしておりました。身請けが成立した事により、澄華様は出獄となります」
天狐の守衛が牢から出た私に出獄の木札を差し出す。それを受け取ると、出獄という事実が私の胸を満たす。
ああ本当に、私はここを出られるのね。
「……そうだわ」
私は花印の刻まれた手を顔の近くに持ってくると、霊力を込めて徒花楼内に放った。
楼内に涼やかな風が吹き抜け、澱んだ香水と臭気が浄化されてゆく。吸い込んだ空気は、朝露の様に澄み渡っていた。
「心ばかりですけれど、お送りするわ」
「澄華様、これは……」
「牢獄だから致し方無い部分はあるでしょうけれど、外から人を呼ぶのだから環境を整える事も大事よ。……貴方達が少しでも働きやすくなれる事を、私はいつでも願っているわ」
「澄華様……。貴女様はこんな扱いを受けても、この徒花楼を気にかけて頂けるのですか?」
「当たり前じゃない」
天狐の守衛が目に光を宿して私を見つめる。
そして制帽を取ると、半妖の証である狐の耳を晒しながら一礼した。無表情を崩して、私達にぎこちなくも温かい笑みを向けた。
「心より感謝申し上げます。……どうか、ご健勝で」
「ええ、ありがとう」
優雅な微笑みで返すと、私は結一郎さんと並び立って徒花楼を後にした。
外は快晴に包まれていた。抜けるような爽やかなそよ風が、私の紫紺の髪をくすぐった。
「澄華様っ!」
「……薫子さん?」
極楽蓮華の方から、花魁姿の薫子が駆けて来る。その手に、沢山の書類を抱えて。
近くに来た薫子が、私の首筋に刻まれた青百合の刻印を見て目を丸くした。
「まあ、その見事な刻印は……」
「お察しの通りよ」
「うふふっ、なんだか自分の事の様に嬉しいですわ。……お二人はこれから、東の地へ行ってしまわれるの?」
「はい。今の昭仁様や百華様が目を光らせる西の地に澄華様が残るのは危険です。これから俺と共に、東の地へ向かいます」
「そう。でしたら、間に合って良かったわ」
薫子が抱えていた書状を私に差し出す。受け取ったそれは、私の破門の撤回と情状酌量を求める署名用紙だった。
めくってもめくっても、何人ものサインがびっしりと敷き詰められている。
「か、薫子さん。これは……」
「澄華様、貴女様はまだ斉明寺家を正式に破門されてはいませんの。一時的な情状酌量となっております。それが、異を唱えてくれた皆々様の署名です」
「え……っ!?」
私が、破門されていない……?
薫子の言葉が信じられなくて目を白黒させてしまう。だって、当主のお父様に言い渡されて、実際に投獄されたのですもの。
それを情状酌量に抑えるだなんて、それこそあのパーティーに居た大半の人間が署名に応じない限り不可能だもの。
「それ程、沢山の方が……?」
「ええ。がしゃどくろから皆様を守って下さったのに破門だなんてあんまりだと、皆様そう思っておりましたのよ。でもね澄華様、それを提案して誰よりも先に署名してくれたのは——ユヅルさんよ」
「結一郎さんが……?」
「あら、もうそちらのお名前でお呼びしてもいいのね」
結一郎さんの方を見ると、ふっと微笑み返してくれた。
握られた手が、私を優しく包み込む。
「澄華様が今まで西の領地の為に尽くしてくれた行いは、確かに皆様に伝わっております」
結一郎さんのその言葉に目頭が熱くなる。私は、こんなに涙脆かったかしら。
薫子が私との距離を縮める。そして、愛おし気に頬を撫でられた。
「ねえ澄華さん。貴女は貴女が思うよりずっと、西の人々に信を寄せられているのよ。遊郭の改善や、私達半妖にも分け隔てなく接して下さった貴女はあんな事なんてしないわ。そうでしょう?」
「ええ。誓って私は無実ですわ」
薫子がにっこりとほほ笑みを浮かべながら私の首筋に手を回し、優しく抱きしめられる。
緩やかに波打つ亜麻色の髪が私の頬をくすぐり、温かい声が耳朶を打つ。
「どうか帰ってきて頂戴ね。貴女が目指す人と半妖が共に過ごせる未来を、わたくしに見せて頂戴な」
「ええ、私は必ず成し遂げてみせるわ。……ありがとう。薫子さん」
薫子の背に腕を回す。上背はあるけれど存外華奢なその肩は、少しだけ不安そうに震えている。
だから私は、その背を宥めるようにさすって身を預けた。
◇
そして、薫子と別れて数刻後。
極楽蓮華で小綺麗な着物に着替えさせて貰った私と結一郎さんは、西の地を後にした。
ここは東の国、壬生領。
しっとりとした空気に爽やかな風が吹き込む田園に瓦屋根の屋敷が立ち並ぶのどかな風景を、私は馬車の車窓から眺めた。
窓の外には眩しいくらいの快晴が広がっている。あれから帝都を電車で通り過ぎた私達は、用意された馬車に向かい合って揺られている。
「結一郎さん。貴方は、その……壬生家のご当主なの?」
「いいえ、それは俺の弟が継いでおります」
「そうなの?」
「俺が居ない間実権を握っていたのは弟です。それを今更横取りするつもりはありません。……東が傾いた今、その実権は一時的に俺が握っていますが」
流水の様にさらりと告げるけれど、きっとそこに至った経緯はもっと深いはずだわ。
だって長男に冤罪を着せて、西の徒花楼まで投獄させたくらいですもの。
結一郎さんがすっと瞳を逸らす。そして、思案するように顎先に人差し指の第二関節を押し当てた。
「……正直な所、追放令とは別に俺自身の感情として、この地に戻るつもりは二度とありませんでした。……東の地で生を受けて良かったと思えた事は、一度もありませんでしたから」
結一郎さんが顔を上げる。今度はその顔に、優しい微笑みを称えて。
「なので、澄華様が壬生家に嫁入りする必要はありません」
「え……?」
その言葉に目を見開いた。
それは、密やかに私の心につかえていた事だった。
私は西の斉明寺領で当主となりたい。でも、東の壬生家嫡男と結ばれては嫁入りせざるを得ないのでは、と。
「俺が斉明寺に入ります。当主ではなく、貴女を支える者として」
「……ねえ結一郎さん。貴方はもしかして、その為にわざと当主にならなかったの?」
「さあ、どうでしょう?」
「貴方には慮られてばかりね。……本当にありがとう、結一郎さん」
「貴女の隣に居て、貴女の願いを叶える事が俺の望みですから」
この人は本当に、どこまで私の意思を尊重してくれるの?
私は緩やかに弧を描く蜂蜜色の瞳に胸がいっぱいになった。
その瞬間、キィっと馬車が静かに静止した。窓の外には、立派な藍色の瓦屋根に包まれた日本家屋が聳え立っている。
結一郎さんが馬車の扉を開け、私に手を差し出した。
「では壬生家に参りましょう。お手をどうぞ」
「ええ、ありがとう」
二人並んで馬車を降りる。
その先に広がる光景に目にした瞬間、思わず口元に手を当てた。左右に一列に並んだ使用人達が、私達に向かって恭しく頭を下げていたから。
「ようこそいらっしゃいました、奥方様。お話は伺っております」
「お部屋のご用意は済んでおります。さあ、こちらへどうぞ」
「東の地は変わりないか?」
「勿論でございます。結一郎様」
結一郎さんと共に壬生の屋敷に入った途端、澄んだ檜と畳のイグサの香りが鼻腔をくすぐった。
斉明寺家や極楽蓮華にも和室はあるけれど、ここまで上品な香りはしないわ。私は壬生家の放つ清廉さに、思わず立ち尽くしてしまった。
◇
それから。
壬生家に身を寄せた私は、使用人達からも丁重な扱いを受けた。
正絹の着物に身を包み、お膳から湯浴みに至るまで専属の使用人が恭しく世話を焼いてくれる。
お父様や夏生の様な頭が痛くなる様な人間も居ない。百華の様に私の地位を脅かす者も居ない。
空気が澄んでいてゆったりとした時間が流れる壬生家での生活は、西での社交パーティーと徒花楼で逆立っていた私の心を落ち着けてくれるのには充分過ぎて。
隣に居る結一郎さんの優しい笑顔を見ていれば、私はらしくもなくうっとりと目を細めてしまう。
そして、私達が壬生家に来てから数週間が経ったある日。
私は艶やかな紫紺の髪をゆるやかな風に遊ばせながら、瓦屋根の東屋で和紅茶を嗜んでいた。
「東の暮らしは慣れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
藍色の和装に身を包んだ結一郎さんが私の対面に腰を下ろし、私を見つめて微笑んだ。
「我が領を象徴する浅葱色のお着物が良くお似合いです」
「あら、ありがとう。夜会の時も思っていたけれど、結一郎さんも和装が似合うわ」
「俺は執事の洋装の方が性に合いますが……」
「ふふっ。今の貴方が執事服なんて着たら、使用人達がひっくり返ってしまうわよ」
穏やかな陽光の中で飲む和紅茶は、香り高くて清涼感がある。
結一郎さんが隣に並ぶ一口羊羹に黒文字の爪楊枝を挿し、私に向かって差し出す。
「澄華様。よろしければ、食べさせても?」
「……貴方まさか、また自分で作ったの?」
「はい」
二人でティータイムをする様になってから分かったのだけれど、結一郎さんは時折こうして茶菓子を作っては私に食べさせたがる。私の専属執事だった時も軽食を作ってくれた事は何度かあったけれど、ここまで好き好んでやるのは少し意外だった。
「もう。華族自ら給仕だなんて、使用人が卒倒するわよ?」
「俺の趣味のようなものですので。……どうぞ、澄華様」
「……」
少し気恥しいけれど、色とりどりの丸い一口羊羹は日の光に当たって艶めいて、端的に言うとすごく美味しそうだわ。
観念したように髪を耳にかけて口を開けると、結一郎さんが私に身を寄せて口の中に入れてくれる。
ゆっくりと咀嚼すれば、あんこの上品な甘さが口いっぱいに広がって思わず口元が緩んでしまう。
「やっぱり、結一郎さんの手料理は美味しいわ」
「嬉しいです。澄華様」
柔らかな昼光に照らされて微笑む結一郎さんに、私も微笑み返す。
この優しい光景は、なんだか夢の様だわ。
いわれのなき罪で投獄された私は、獄中で王子様に助けられて東の地で幸せに暮らす——だなんて、まるで和製シンデレラのような御伽噺だわ。そして、御伽噺ならきっとここでハッピーエンドを迎えるのでしょうね。
――私が本当に、御伽噺のお姫様だったらね。
私は和紅茶の入ったティーカップを指先で持ち上げ、一口飲んでソーサーに戻した。
ここでの暮らしは申し分ないわ。でも……私はここで満足出来る性ではないの。
「ねえ結一郎さん。――あの文書、斉明寺家に届けて下さったかしら?」
すっと目を細める。私の意図を察した結一郎さんが甘い雰囲気を潜めて、すっと居住いを正した。
「勿論です。文車一族に、しかと運んで頂きました」
その言葉に、私の口角が自然と吊り上がる。
「あら、文車一族。……ふふっ、ふふふ……っ!そう、そうよね。あの一族なら嬉々として送るでしょうね。――不幸の文専門の、配達妖怪ですもの」
でもお生憎様。私は御伽噺のお姫様の様な、可憐なだけの女では無いの。
――だって私は”悪女”ですもの。
「私を陥れた事、どうぞ後悔なさって?私、キッチリ報復するまで気が済まない性ですの」
ああ、私の実家が慌てふためく姿が瞼の裏に映る様だわ――。
To Be Continued……
結一郎さんに手を引かれるまま玄関口までやってくると、天狐の守衛が待っていてくれた。
天狐の守衛が制帽越しに顔を上げる。
「お待ちしておりました。身請けが成立した事により、澄華様は出獄となります」
天狐の守衛が牢から出た私に出獄の木札を差し出す。それを受け取ると、出獄という事実が私の胸を満たす。
ああ本当に、私はここを出られるのね。
「……そうだわ」
私は花印の刻まれた手を顔の近くに持ってくると、霊力を込めて徒花楼内に放った。
楼内に涼やかな風が吹き抜け、澱んだ香水と臭気が浄化されてゆく。吸い込んだ空気は、朝露の様に澄み渡っていた。
「心ばかりですけれど、お送りするわ」
「澄華様、これは……」
「牢獄だから致し方無い部分はあるでしょうけれど、外から人を呼ぶのだから環境を整える事も大事よ。……貴方達が少しでも働きやすくなれる事を、私はいつでも願っているわ」
「澄華様……。貴女様はこんな扱いを受けても、この徒花楼を気にかけて頂けるのですか?」
「当たり前じゃない」
天狐の守衛が目に光を宿して私を見つめる。
そして制帽を取ると、半妖の証である狐の耳を晒しながら一礼した。無表情を崩して、私達にぎこちなくも温かい笑みを向けた。
「心より感謝申し上げます。……どうか、ご健勝で」
「ええ、ありがとう」
優雅な微笑みで返すと、私は結一郎さんと並び立って徒花楼を後にした。
外は快晴に包まれていた。抜けるような爽やかなそよ風が、私の紫紺の髪をくすぐった。
「澄華様っ!」
「……薫子さん?」
極楽蓮華の方から、花魁姿の薫子が駆けて来る。その手に、沢山の書類を抱えて。
近くに来た薫子が、私の首筋に刻まれた青百合の刻印を見て目を丸くした。
「まあ、その見事な刻印は……」
「お察しの通りよ」
「うふふっ、なんだか自分の事の様に嬉しいですわ。……お二人はこれから、東の地へ行ってしまわれるの?」
「はい。今の昭仁様や百華様が目を光らせる西の地に澄華様が残るのは危険です。これから俺と共に、東の地へ向かいます」
「そう。でしたら、間に合って良かったわ」
薫子が抱えていた書状を私に差し出す。受け取ったそれは、私の破門の撤回と情状酌量を求める署名用紙だった。
めくってもめくっても、何人ものサインがびっしりと敷き詰められている。
「か、薫子さん。これは……」
「澄華様、貴女様はまだ斉明寺家を正式に破門されてはいませんの。一時的な情状酌量となっております。それが、異を唱えてくれた皆々様の署名です」
「え……っ!?」
私が、破門されていない……?
薫子の言葉が信じられなくて目を白黒させてしまう。だって、当主のお父様に言い渡されて、実際に投獄されたのですもの。
それを情状酌量に抑えるだなんて、それこそあのパーティーに居た大半の人間が署名に応じない限り不可能だもの。
「それ程、沢山の方が……?」
「ええ。がしゃどくろから皆様を守って下さったのに破門だなんてあんまりだと、皆様そう思っておりましたのよ。でもね澄華様、それを提案して誰よりも先に署名してくれたのは——ユヅルさんよ」
「結一郎さんが……?」
「あら、もうそちらのお名前でお呼びしてもいいのね」
結一郎さんの方を見ると、ふっと微笑み返してくれた。
握られた手が、私を優しく包み込む。
「澄華様が今まで西の領地の為に尽くしてくれた行いは、確かに皆様に伝わっております」
結一郎さんのその言葉に目頭が熱くなる。私は、こんなに涙脆かったかしら。
薫子が私との距離を縮める。そして、愛おし気に頬を撫でられた。
「ねえ澄華さん。貴女は貴女が思うよりずっと、西の人々に信を寄せられているのよ。遊郭の改善や、私達半妖にも分け隔てなく接して下さった貴女はあんな事なんてしないわ。そうでしょう?」
「ええ。誓って私は無実ですわ」
薫子がにっこりとほほ笑みを浮かべながら私の首筋に手を回し、優しく抱きしめられる。
緩やかに波打つ亜麻色の髪が私の頬をくすぐり、温かい声が耳朶を打つ。
「どうか帰ってきて頂戴ね。貴女が目指す人と半妖が共に過ごせる未来を、わたくしに見せて頂戴な」
「ええ、私は必ず成し遂げてみせるわ。……ありがとう。薫子さん」
薫子の背に腕を回す。上背はあるけれど存外華奢なその肩は、少しだけ不安そうに震えている。
だから私は、その背を宥めるようにさすって身を預けた。
◇
そして、薫子と別れて数刻後。
極楽蓮華で小綺麗な着物に着替えさせて貰った私と結一郎さんは、西の地を後にした。
ここは東の国、壬生領。
しっとりとした空気に爽やかな風が吹き込む田園に瓦屋根の屋敷が立ち並ぶのどかな風景を、私は馬車の車窓から眺めた。
窓の外には眩しいくらいの快晴が広がっている。あれから帝都を電車で通り過ぎた私達は、用意された馬車に向かい合って揺られている。
「結一郎さん。貴方は、その……壬生家のご当主なの?」
「いいえ、それは俺の弟が継いでおります」
「そうなの?」
「俺が居ない間実権を握っていたのは弟です。それを今更横取りするつもりはありません。……東が傾いた今、その実権は一時的に俺が握っていますが」
流水の様にさらりと告げるけれど、きっとそこに至った経緯はもっと深いはずだわ。
だって長男に冤罪を着せて、西の徒花楼まで投獄させたくらいですもの。
結一郎さんがすっと瞳を逸らす。そして、思案するように顎先に人差し指の第二関節を押し当てた。
「……正直な所、追放令とは別に俺自身の感情として、この地に戻るつもりは二度とありませんでした。……東の地で生を受けて良かったと思えた事は、一度もありませんでしたから」
結一郎さんが顔を上げる。今度はその顔に、優しい微笑みを称えて。
「なので、澄華様が壬生家に嫁入りする必要はありません」
「え……?」
その言葉に目を見開いた。
それは、密やかに私の心につかえていた事だった。
私は西の斉明寺領で当主となりたい。でも、東の壬生家嫡男と結ばれては嫁入りせざるを得ないのでは、と。
「俺が斉明寺に入ります。当主ではなく、貴女を支える者として」
「……ねえ結一郎さん。貴方はもしかして、その為にわざと当主にならなかったの?」
「さあ、どうでしょう?」
「貴方には慮られてばかりね。……本当にありがとう、結一郎さん」
「貴女の隣に居て、貴女の願いを叶える事が俺の望みですから」
この人は本当に、どこまで私の意思を尊重してくれるの?
私は緩やかに弧を描く蜂蜜色の瞳に胸がいっぱいになった。
その瞬間、キィっと馬車が静かに静止した。窓の外には、立派な藍色の瓦屋根に包まれた日本家屋が聳え立っている。
結一郎さんが馬車の扉を開け、私に手を差し出した。
「では壬生家に参りましょう。お手をどうぞ」
「ええ、ありがとう」
二人並んで馬車を降りる。
その先に広がる光景に目にした瞬間、思わず口元に手を当てた。左右に一列に並んだ使用人達が、私達に向かって恭しく頭を下げていたから。
「ようこそいらっしゃいました、奥方様。お話は伺っております」
「お部屋のご用意は済んでおります。さあ、こちらへどうぞ」
「東の地は変わりないか?」
「勿論でございます。結一郎様」
結一郎さんと共に壬生の屋敷に入った途端、澄んだ檜と畳のイグサの香りが鼻腔をくすぐった。
斉明寺家や極楽蓮華にも和室はあるけれど、ここまで上品な香りはしないわ。私は壬生家の放つ清廉さに、思わず立ち尽くしてしまった。
◇
それから。
壬生家に身を寄せた私は、使用人達からも丁重な扱いを受けた。
正絹の着物に身を包み、お膳から湯浴みに至るまで専属の使用人が恭しく世話を焼いてくれる。
お父様や夏生の様な頭が痛くなる様な人間も居ない。百華の様に私の地位を脅かす者も居ない。
空気が澄んでいてゆったりとした時間が流れる壬生家での生活は、西での社交パーティーと徒花楼で逆立っていた私の心を落ち着けてくれるのには充分過ぎて。
隣に居る結一郎さんの優しい笑顔を見ていれば、私はらしくもなくうっとりと目を細めてしまう。
そして、私達が壬生家に来てから数週間が経ったある日。
私は艶やかな紫紺の髪をゆるやかな風に遊ばせながら、瓦屋根の東屋で和紅茶を嗜んでいた。
「東の暮らしは慣れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
藍色の和装に身を包んだ結一郎さんが私の対面に腰を下ろし、私を見つめて微笑んだ。
「我が領を象徴する浅葱色のお着物が良くお似合いです」
「あら、ありがとう。夜会の時も思っていたけれど、結一郎さんも和装が似合うわ」
「俺は執事の洋装の方が性に合いますが……」
「ふふっ。今の貴方が執事服なんて着たら、使用人達がひっくり返ってしまうわよ」
穏やかな陽光の中で飲む和紅茶は、香り高くて清涼感がある。
結一郎さんが隣に並ぶ一口羊羹に黒文字の爪楊枝を挿し、私に向かって差し出す。
「澄華様。よろしければ、食べさせても?」
「……貴方まさか、また自分で作ったの?」
「はい」
二人でティータイムをする様になってから分かったのだけれど、結一郎さんは時折こうして茶菓子を作っては私に食べさせたがる。私の専属執事だった時も軽食を作ってくれた事は何度かあったけれど、ここまで好き好んでやるのは少し意外だった。
「もう。華族自ら給仕だなんて、使用人が卒倒するわよ?」
「俺の趣味のようなものですので。……どうぞ、澄華様」
「……」
少し気恥しいけれど、色とりどりの丸い一口羊羹は日の光に当たって艶めいて、端的に言うとすごく美味しそうだわ。
観念したように髪を耳にかけて口を開けると、結一郎さんが私に身を寄せて口の中に入れてくれる。
ゆっくりと咀嚼すれば、あんこの上品な甘さが口いっぱいに広がって思わず口元が緩んでしまう。
「やっぱり、結一郎さんの手料理は美味しいわ」
「嬉しいです。澄華様」
柔らかな昼光に照らされて微笑む結一郎さんに、私も微笑み返す。
この優しい光景は、なんだか夢の様だわ。
いわれのなき罪で投獄された私は、獄中で王子様に助けられて東の地で幸せに暮らす——だなんて、まるで和製シンデレラのような御伽噺だわ。そして、御伽噺ならきっとここでハッピーエンドを迎えるのでしょうね。
――私が本当に、御伽噺のお姫様だったらね。
私は和紅茶の入ったティーカップを指先で持ち上げ、一口飲んでソーサーに戻した。
ここでの暮らしは申し分ないわ。でも……私はここで満足出来る性ではないの。
「ねえ結一郎さん。――あの文書、斉明寺家に届けて下さったかしら?」
すっと目を細める。私の意図を察した結一郎さんが甘い雰囲気を潜めて、すっと居住いを正した。
「勿論です。文車一族に、しかと運んで頂きました」
その言葉に、私の口角が自然と吊り上がる。
「あら、文車一族。……ふふっ、ふふふ……っ!そう、そうよね。あの一族なら嬉々として送るでしょうね。――不幸の文専門の、配達妖怪ですもの」
でもお生憎様。私は御伽噺のお姫様の様な、可憐なだけの女では無いの。
――だって私は”悪女”ですもの。
「私を陥れた事、どうぞ後悔なさって?私、キッチリ報復するまで気が済まない性ですの」
ああ、私の実家が慌てふためく姿が瞼の裏に映る様だわ――。
To Be Continued……



