【悪女の勅命】

結次がバッと首を振って風の吹き抜ける自室を見渡した。気づいたな。俺が部屋の四方に設置した風の護符に。
俺は護符に霊力を流すのを止め、結次にだけ届く声を発する。

「壬生の屋敷内に、風の護符でお前の声を拡散させた。その証言こそが、お前が俺に冤罪をかけて徒花楼に投獄させた確固たる証拠だ」
「ち、ちが……っ!」
「まだ認めないというのなら、直ちにこの遺書を公開する」
「ヒ……ッ!?」
「異を唱えはしないだろう。使用人達も分家筋も——龍神様もな」

これこそが俺の目的だ。
俺の冤罪を晴らすのに最も効率的な方法は、俺に追放を命じた結次本人から撤回させる事だ。その為に、あの日の真実を屋敷の人間全てに周知させた。
結次が後退り、机に腰を打ち付ける。それでも口を引き結んで罪を認めない強情さに目を細める。

「俺が当主となれば、お前の一存は俺が決められる。結次。お前が今取るべき態度はそれで……本当に良いのか?」

俺はが遺書を眼前に持ち上げ、部屋の外へ向けて一歩下がる。
その瞬間、結次が限界まで目を見開き、俺の足元に膝を折って縋りついていた。
手汗の滲んだ手のひらで、俺の着物を力任せに握りしめる。

「待って!待って下さい兄様!!」
「何だ」

だから俺は、努めて冷淡な声を落とした。
結次の顔が恐怖で引きつる。振り乱した髪が、俺の着物に擦り付けられる。

「何でもします!何でもするからその遺書だけは公表しないで下さい!!」
「非を認めるのか?」
「今まで酷い言葉ばかり投げかけて申し訳ありません!木偶の坊だなんて、思い上がりも甚だしい物言いでした!貴方が……貴方が羨ましかったんです!嫉妬のあまり冤罪を擦り付けてしまいました!全て僕の責任です!!許して……っ許して下さい!!結一郎兄様!!」

結次がそこまで言い切った瞬間、俺はふっと口元を綻ばせた。……ああ今の俺は、ちゃんと笑顔を作れるものだな。
俺は縋りつく結次の肩に手を当て、息を含んだ柔和な声で告げた。

「分かった」
「……っ、え……?」
「そこまで言うなら、この遺書を公表するのは止めておこう」

頭を上げた結次の瞳は、御使いを見た様に頭上の照明の光を反射した。
だが、次いでどんどん空色の瞳からは輝きが失われていく。結次の瞳に反射する俺は完璧な笑みを浮かべている。その姿は、生気を感じない西洋人形(ビスクドール)の様にすら見える。
この金色の瞳は柔らかく弧を描けている筈なのに、差し込む光は一切反射しない。……やはり俺は、澄華様の前でないと上手く笑えないな。
それでも俺は、努めて優しい声音で告げた。

「ならば直ちに俺が冤罪だった事を認め、追放令を撤回しろ。出来るな?」
「もっ、勿論です!」
「そうしてくれるのなら、俺は先祖返りであることも公表しない。当主も、今まで通りお前で構わない」

露になっている結次の肌がじわじわと粟立ってゆく。
屈んだ俺の影が、結次の顔に落ちる。

「その代わり、今まで俺が領地改革に携わってきた成果を……壬生家の資産の半分を譲渡しろ」
「そ、それは……!」
「何を青ざめる?遺書を公表すれば壬生家の全財産は俺の物なのだから、払えない額では無いだろう」
「う……っ」

俺は結次の両肩に手を置いて、ゆっくりと立たされる。
一瞬金色と水色の瞳が重なるが、結次はバッと顔を逸らしてしまった。だが、今逃がすわけにはいかない。結次をそのまま放置しては、この東の地がどこまで傾くか分からない。

「お前の手腕が今の現状だというのなら、お前一人に当主の座はまだ早い。土地の改革案は可決する前に逐一俺に報告しろ。清春という名のサトリを通してくれても構わない」
「に、兄様は……このままこの地に残るのでは無いのですか……?」
「ああ。俺は用が済めばこの地を去る。お前だって、ここで俺と共に居続けるのはご免だろう」
「そ、そんな……事は……っ」

結次は足をがくがくと震わせ、再度カーペットに膝を付けて項垂れた。
……どうしてそんな顔をするのか、俺には分からない。
冤罪を被せて追放するほど毛嫌いしている俺とこの地で共同経営など、出来る筈も無いだろう。

「どうした?俺がここに居た時はずっとそうだったじゃないか。俺が知恵を貸すのはお前が立派な当主としての振る舞いと、東の民からの信頼を取り戻すまでの間だ。——俺は、東の当主の座に興味は無い」

黙り込んだ結次の額から滴った脂汗が、藍色のカーペットに吸い込まれていく。
……そうか、結次は俺が恐ろしいのか。
冤罪の晴れた俺が本物の遺書を持って東から出てしまえば、いつどこでそれが公表されるかも分からない。それは結次にとって、生涯当主の地位を脅かされ続けるに等しい。壬生家の使用人全てに事件の全容が知れ渡った今、一生俺に逆らえないに等しいとでも思っているのだろう。
俺はその様を見て、口元を歪めた。

「……ふっ」

ああ、その通りだ。
罪を着せて追放したお前を、下らない見栄で東の地に不振を招いたお前を、俺は許すつもりなど毛頭無い。
俺は膝を折って恭しくカーペットに腰を落とし、口元に弧を描きながら至近距離で結次を見下ろした。

「結次。――何が、不満なんだ?」

不気味なほど優しく囁けば、結次はひゅっと息を吞む。

「ちが、有り得ない……っ。僕はどこで……まちがえ……っ」

”どこで”なんて決まっているだろう。――初めからだ。
追放令に逆らってまでこの地に戻って来たのも、御神楽舞で龍神様に許しを願ったのも、お前に自白させた上で正式に当主の座を譲ったのも全て、俺の思い描いた筋書(シナリオ)通りだ。

「どうした?結次」
「ヒッ……っ!」
「それが、返事で良いのか?」
「……っ、い……」

結次の顔から冷汗がぼたぼたと流れ落ち、カーペットに染みを作る。
結次はカーペットに両手を付き、ごつ、と頭をカーペットに押し付けて呻くように声を上げた。

「委細、承知致しました……!」

その言葉が聞ければ充分だ。
俺は立ち上がって、衣服を軽く整えた。踵を返した俺の背中に向かって、結次が唇を震わせた。

「……毒蛇だ」

その言葉に、俺は足を止めた。

「貴方は、狙った獲物を逃さず絡め捕る——毒蛇だ」

言い得て妙かもしれないな。
だが俺は、あの方を救えるのならば毒蛇でも大蛇でも喜んでなろう。
その言葉には聴こえぬ振りをして、背を向けたまま口を開いた。

「結次。準備が出来次第、俺はこの家を発つ」
「ど、どちらに……?」
「愛する人を迎えに、西に戻る」
「え……?」

結次はおずおずと顔を上げ、縋るように俺に震える手を伸ばした。

「兄様。まさか貴方は、自分の見初めた相手の為にここまで……?」
「ああ」
「そん、な……」
「先に言っておくが、俺の愛する方に触れる事は許さない。俺の時のように無体を働いたら……分かっているな?」
「ち、誓ってその様な事は致しません!どなたよりも、丁重に扱います!!」
「……ああ、頼んだぞ」

その言葉にだけは、振り返って僅かに微笑んだ。
俺は今度こそ踵を返して、呆然とする結次を尻目に執務室を後にした。
これで、この地で出来る事は終わった。
廊下に設置された窓の外には、澄んだ空に赤い夕日が光り輝いている。その輝きは、西で見た空に似ている。

「澄華様」

貴女の元へ——西の地へ戻ります。それまでどうか、ご無事でいて下さい。
想い人の顔を思い浮かべた俺は、足早に壬生の屋敷を後にした。



side:澄華

私が獄中で御神楽舞を踊ってから数日が経過した。
それまで一切の指名は掛からず、配給される些末な食事と水を無理やり喉に流し込んだ。
遊女の香水が幾重にも混ざり合った濃密な香りが、人と妖がまぐわう臭気と混ざり合うこの場所に、何度吐き気を催したか分からない。
手の甲にあった青百合の花印はもう掠れて消えかかっている。鏡に映る自分の姿は、日増しにみすぼらしく荒れ果てていく。

「……がう」

掠れた声が口を吐く。
目に映る光景が信じられない。こんなものが、私の姿だなんて認められない。

「違う、違う……っ!こんなものは、私では無い!!」
「ちょっと!うるさいわよ!」
「っ……!」

隣の牢から罵声が響く。
ビクリと肩を震わせ、二の句が継げなくなる。

「澄華様」

天狐の守衛が音も無く私の牢の前に現れると、スッと一礼をした。

「澄華様、お一人目のお客様です」
「……っ」
「直にこちらに参ります。身なりを整えてお待ち下さいませ」

元々色を失っていたのに、私の肌は海水のように青く染まった。
天狐の守衛は、話は終わったと言わんばかりにくるりと踵を返した。

「……そう、なのね……」

ああ、これはもう観念するしかないわ。
骨ばった震える手で、毒々しい色合いの粗末な着物の襟元を直す。
備え付けのひび割れた鏡を見ると、そこには精気の無い虚ろな藤色の瞳が映っていた。

「あ……」

その顔を見て、私は目を見開いた。
ああ、私は一体何をしているの。こんなか弱いだけの姿は私では無いわ。
荒れた唇を、ぐっと血が滲むほど噛み締める。自分自身への戒めの為に。

みすぼらしくとも誇りは捨てるな。
か弱いだけの女に成り下がるな。

「……私は”澄華”よ」

血の味のする唇から言葉を紡ぐ。

「斉明寺の名が無くとも、私は私であるだけ充分尊いわ」

この尊厳だけは譲れない。これこそが、私を私たらしめるものだ。

フッと息を吐いて強く瞬きをする。
手早く身なりを整え、柵の正面に正座する。背筋を伸ばして、木の柵をしっかりと見つめた。
震える手は、着物の袖に隠した。
コツコツと歩み寄る上質な靴音に、一度顔を伏せる。

「お待たせ致しました」
「……ええ、通して頂戴」

人間でも半妖でも妖でも、誰でも相手にしてやろうじゃない。
この私に堕ちない者などいないわ。
扉が解錠されると共に顔を上げると、目に映った男性に私は目を見開いた。

「お迎えに上がりました。――お嬢様」

To Be Continued……