【悪女の勅命】

side:結一郎

使用人に通されて入室した執務室は、昔と何一つ変わらないが湿った空気に支配され、カビの様な匂いがに混じる。
それだけで、どれだけ長い間龍神様の機嫌を損ね続けていたのかが伺える。
浅葱色の着物に身を包んだ結次が、幽霊でも見たかの様に青ざめながら俺を凝視した。

「に、兄様がどうしてこの地に……!?徒花楼の刑は!?」
「出獄と相成った。尊きお方のおかげでな」
「そ、そんな馬鹿な!!」

俺は金色の双眸で、静かに結次を射抜く。

「結次。龍神様は、どうしてこんなに機嫌を損ねている?」
「は……っ!?」
「俺の礼装はどこだ?これから龍神様に舞を捧げる」
「そんな勝手がまかり通るとでも……ッ!?」

俺が舞を捧げると告げた瞬間、窓の外に光が走った。
背後の窓から一筋の光が室内に差し込むのを、着物越しの背で感じた。

「結次、案内を頼めるか?」
「っ……!?」

有無を言わせない口調で告げる。
俺が踵を返すと、結次は怒りに震えながらも付き従う様に部屋を後にした。



神祠御殿(しんしごてん)の石畳に足を踏み入れる。
浮世から隔絶された枯山水式庭園の中央で、藍色の長袴に白衣の礼服を身に纏うのはこれで二度目だ。

「龍神様。常より壬生領をお見守り下さり、ありがとうございます」

龍神様を祀る祠に膝を折って手を合わせる。

「どうか、怒りをお収めください」

庭園に咲き乱れる花々に手を翳せば、一斉に霊力の籠った花――霊花に姿を変えてゆく。色とりどりの花々が、月明かりを写し取ったような水色に変わった。
霊花と化した山百合を手折り、手に持つ神楽鈴に挿した。
静かな足さばきで舞い、指先まで霊力を込めて東の地に放つ。数年経って今でも、御神楽舞は俺の体に馴染んでいる。
動くたびに、シャン、と荘厳な神楽鈴の音が境内に広がる。
神楽鈴から伸びる五色絹(ごしきぎぬ)が俺の舞に合わせて広がっていく。
くるりと体を回転させれば雨が止み、空に手を伸ばして背を反らせば俺の周囲の雲が晴れ、舞う度に木漏れ日の様な日の光が東の地に降り注ぎ始める。

……澄華様。
俺は心の中で、今も牢で耐え忍んでいる愛しい人の名を呼んだ。
西の方角に幾ばくかの霊力を飛ばす。
願わくば、俺が最後にあの方に付けた花印がまだ消えていない事を。
俺の力が少しでも、あの方の支えになって欲しい。

仕上げに流れるような動作で神楽鈴を地面に置き、懐から投げ羽を取り出して霊力を籠める。俺の霊力に呼応する様に、投げ羽が翡翠色の弓矢に形を変えた。
俺は神楽鈴に付いていた山百合の霊花を矢尻に挿し、天に向けて弓を引き絞る。

「東の地に、永久(とこしえ)の繁栄を」

天に矢を放った瞬間、曇り空が完全に晴れて東全土を快晴が包んだ。太陽の光が温かく肌を包み、周囲に弾ける露を真白の光が満たした。
サアッと晴天に包まれた空から天気雨が降り注ぐ。天気雨は、龍神様からの祝福とされている。
澄み切った空に真珠のような艶やかな白い鱗を持った龍神様の輪郭がうっすらと滲み、瞬きの間にそれは見えなくなった。
俺は弓を下ろした。
そして晴天の空に輝く太陽を見つめ、ふっと口元を綻ばせた。



side:澄華

私は徒花楼の牢の小窓から空を見上た。牢に一筋の光が牢に差し込んで私を照らす。見るに堪えない、私の姿を。
俯いて荒縄が掛けられた自身の手を見る。手の平は煤け、爪はひび割れている。かつての華族の令嬢たる私の姿は、今は見る影もない。
鏡台を見ればそこには、すっかり生気を失った白い肌と艶を失って荒れた髪の女が映っていた。毎日ユヅルが梳いてくれたのに、これでは台無しだわ。

「……ユヅル」

パーティー会場で捕らえられた彼は今どうしているかしら。私同様、破門されてしまったのかしら。
冷たい床に座り込んで顔を伏せる。
ああ本当に嫌になる。こんな形でユヅルの大切さを実感するなんて。
優しく微笑んでくれた顔が、極楽蓮華で抱き寄せられた時のぬくもりが忘れられない。会いたいなんて、どうして今になって思ってしまうの。
私は気づいた時には顔を上げて、窓から東を見ていた。その瞬間、急に東の空が明るくなった。

「壬生領は、今日が御神楽舞の日なのかしら?」

私も神祠御殿で舞を披露したかった。でも投獄された今、それは叶わない。

「天狐様、申し訳ございませ——……え?」

その瞬間、手の甲から温かい霊力を感じて視線を送る。手の甲にうっすらと残っていた青百合の花印が、月光の様に淑やかな輝きを放った。
その花印が、私の体に温かい霊力を送り込んで体を回復させてくれる。

「ユヅル……?ユヅルなの?」

何かに突き動かされるように、ふらつく足取りで立ち上がる。
……これならば、たとえこの獄中からでも天狐様に舞を捧げられるわ。

「そうね。天狐様に感謝を伝える事に、場所は関係ないわ」

私は軽く着物を整えて石の床の上で一礼し、手を組んで西の天狐様に祈りを捧げた。

「天狐様。常より斉明寺領をお見守り下さり、ありがとうございます」

素足のまま御神楽舞を踊り始める。
私の荒れた髪は、窓から差し込む光を反射しないけれど。
この手には、神楽鈴では無くて荒縄がかけられているけれど。

「西の地に、永久の栄華を」

私が舞い踊る度に、呼応するように手の甲の青百合が輝きを増す。
ねえユヅル。
もしかして貴方も今、誰かの為に舞を踊っているの?
それがなんとなく分かる。私の体には、貴方の花印があるから。

私の体が清張な青い光に包まれる。格子の窓から空に手を翳せば、蛍の様に暗雲立ち込める西の空へ流れていった。
霊力の光が空に昇った瞬間、ごうごうと音を立てていた西の空の風が和らいだ。まるで御神楽舞を披露した様な空の反応に、私は目を見開いた。

「私のどこにこんな力が……?」

手の甲には、青百合の花印が月の光を写し取ったように輝いている。

「まさかユヅル、貴方なの……?」

貴方が、私に力を与えてくれたの?
ユヅル。貴方は本当に、離れていても、私の事を……?
思わず目じりに涙が溜まる。私はそれを、きつく瞬きをすることで堪えた。
泣くのが嫌で顔を覆う。

「……天女、様……?」

呆然とした声に、指の隙間から牢の外を見る。
見回りに来た天狐の守衛が、私を見て目を見開いていた。

「止めて頂戴」

私は口から掠れた呟きを落とす。
何が天女よ。こんな肌も髪も艶の無い荒れ果てた、こんな女のどこが……っ!

「私はそんな高尚な存在では無いわ」

ギリ、と奥歯を噛み締める。
顔を覆った指先の、伸びた爪で皮膚に力を籠める。

「私はもう……っ。誇り高き斉明寺の嫡女では無いのよ……!」

私は冷たい牢の中で、反響するように嗄れた声を響かせた。



side:結一郎

「ああ、ああ……!日の光だ!!」
「結一郎様……!結一郎様こそ、真の壬生家の当主様です!」

神祠御殿で使用人が膝を付いて敬うのを、俺は微笑んでそれに応えた。
降り注ぐ日差しに照らされた使用人達の目元は濃い隈に覆われ、髪にも艶が反射しない。それだけで、結次が如何に苦労を掛け続けていたのかが手に取るように分かる。
俺使用人の奥で呆然と立ち尽くす結次に視線を投げる。

「結次」
「っ……!?」

結次の肩がビクリと跳ね上がる。その頬からは、動揺を表すように冷汗が一筋伝い落ちた。
俺は淡々と口を開いた。

「自室で二人きりになってくれないか?お前に、話がある」
「は……い」

そして、俺達は自室に戻って来た。
俺は入室した瞬間、懐に入っていた護符を投げて部屋の四方に張り付ける。これで、準備はすべて整った。
何食わぬ顔で扉を閉めて顔を上げると、結次が歯を食いしばって俺を睨み上げていた。俺はその視線を真っ向から受け、目を細めた。

「清春から聞いた。最近の東の統治はずいぶんと杜撰(ずさん)なようだな」
「な……っ」
「長雨による作物の生育不良、妖の活性化。高名な神社の裏取り引きなどの、犯罪率も軒並み上昇しているそうじゃないか」
「お父様を殺した犯罪者が、この僕に偉そうな口を利くな!!」

結次が拒絶するように手を真横に振り払って声を張り上げた。
お前はこの状況になっても、その姿勢を貫くつもりなんだな。——ならば、容赦は出来無い。

「結次。俺は、お前の気持ちも汲んだつもりだ」
「何の話です?」
「お前が俺を憎んでいるのは知っている。だから今まで黙認してきた。だが、状況が変わった」

俺は懐から一枚の書状を取り出して結次に見える様に掲げる。
それは俺が亡きお父様より渡された直筆の遺言書だ。それを見た瞬間、結次の顔がサッと青ざめる。

「これはお父様の正式な遺言書だ。これを公表すれば俺の追放令など撤回され、直ちに俺が当主の座に着くだろう」
「は、犯罪者が華族の当主になどなれるものか!!」
「犯罪者はお前だ」
「は……?」

俺は金色の瞳を眇められ、真正面から結次を鋭い視線で貫く。
結次が蛇に睨まれた蛙の様に額に脂汗を浮かせる。俺は声に怒りを滲ませ、はっきりと告げた。

「――お前、お父様を殺してその罪を俺に擦り付けたな?」
「な、何を……!?兄様の部屋からは、確かにお父様の薬瓶があったじゃないか!」
「ああ。だがその薬瓶からは、お前とお父様の指紋しか無かったそうだ」
「そ、そんなデタラメ……っ」
「お前が当主の命だともみ消したそうだが、壬生の警察はしっかりと証拠を保全してくれていたよ」

俺はこの壬生家に帰る前に、清春と共に警察に向かっていた。俺を見た瞬間、警視は当時の事件の証拠を差し出して俺に謝罪した。当主の命に逆らえない事情は理解出来る。だから俺は警察に怒りは抱かなかった。むしろ、危険を侵してまで証拠を保全してくれていた正義感に礼をした。
目の前の結次の手の指先が、カタカタと震え始める。

「お前……発作を起こしたお父様に薬を与えず、見殺にしてその罪を俺になすりつけたな?」
「ち、違……っ!」
「見損なったぞ、結次」

眇めた瞳に侮蔑の色を込める。結次の呼吸が浅くなり、カチカチと合わない歯の根からは動揺と焦りが感じ取れる。
……ああ、もう一押しだ。
俺は腕を組んで顎の先を上げる。震えながら冷や汗を流す結次を、俺は目を見開いて見下ろした。

「心の底から軽蔑する。何もかもが俺の足元にも及ばない――半端者が」

その言葉が執務室に落ちた瞬間、ザッと結次の血の気が引いた。
胸に手を当てて艶の無い銀髪を揺らし、結次が叫び声を上げた。

「違う!あれは本当に事故だ!!お父様は自身の発作で亡くなったんだ!僕が薬瓶を取って振り返った時には、お父様はすでに絶命していて……っ、あ」

その言葉を発した瞬間、俺は壁に設置した護符に霊力を込める。
ぶわっと風が四方に吹き——壬生の屋敷全てに流れるように吹き抜けた。
結次が目を見開く。
俺は風の中心で、声に霊力を乗せながら厳かに告げた。

「――聴いたか?壬生家の全員」

To Be Continued……