side:澄華
極楽蓮華の夜会からひと月が経過した。
この斉明寺家に百華が居る風景もそれなりに見慣れてきた。ただ、周囲からのあの女に対する評価は日を追うごとに上がっていく。
「最近貴族の作法も身に付いたんじゃないか?百華は素直で呑み込みが早いな。強情な澄華とは大違いだ」
「嬉しいです、お父様。私、もっと頑張りますねっ!」
「ごきげんよう百華さん。本日もなんと可憐な事か!さあ、今日の宝石は百華を想って選んだ特注品ですよ」
「まあ、特注品だなんて……!夏生さんほど素敵な殿方は、私初めて見ました!」
夕食で一緒になればお父様は私を卑下しながら百華を褒めるし、夏生も夜会以降、更に足繫く斉明寺家に通い詰めている。
この屋敷全てが百華にじわじわと侵食されていく様な底知れない不快感は……何なの?
◇
そんな中、大広間に呼ばれた私は社交ダンス用の軽装のドレスを身に纏っている。ユヅルと共に縁側を進む最中、使用人達の会話が耳をくすぐる。
「百華様、この頃よく旦那様とお二人でディナーに行かれますのね」
「夏生さんも最近は百華様の元へ大量のアクセサリーを持って、足しげく通って居るそうじゃない」
「でも分かる気もするわ。愛嬌があるというか……守ってあげたくなってしまう様な魅力をお持ちなのよね、百華様。私達侍女にもアクセサリーを分け与えて下さるほどお優しくて……」
ずれ違う度にわざとらしくこんな話をされるのは、今や日常茶飯事。
庭園で仕事もせずに噂話に花を咲かせる侍女を視界から外すと、斜め後ろに控えたユヅルを盗み見た。
そういえば、あの女はユヅルにも興味を示していたわね。
私の視線に気づいたユヅルが伏せていた長い睫毛を上げた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「……聞きたいのだけれど、貴方は百華の事をどう思っているの?」
「百華様、ですか……?」
ユヅルが口元に人差し指を押し当てて、床に視線を送る。
ユヅルが回答に困るなんて珍しいわ。まさかユヅルも、あの女を気にかけているというの?
「貴方が答えに窮するなんて珍しいじゃない。……貴方も百華の様な女がお好みなのかしら?殿方は口を揃えて、ああいう子が良いって言うもの」
「それは、おいそれと手玉に取られる男の方が馬鹿なだけでございます」
「は……?」
あまりの直球過ぎる物言いに口元を手で押さえて、口角が上がりそうになるのを堪える。
ユヅルが口元に手を当てる。
「すみません、失言でした」
「……っ、許すわ」
「ありがとうございます」
一欠片も感情が籠っていない言葉に、私はふっと相好を崩す。
私が顔を上げると、ふっと微笑んだユヅルと目が合った。
「俺が百華様を特別視する事はあり得ません。俺は、澄華様の専属執事ですので」
「そうよね。貴方は私のものですもの」
「……ただ」
ユヅルが顔を伏せる。
さらりと流れた銀髪が、ユヅルの金色の瞳にわずかな影を落とした。
「百華様には、あまり近づかれない方がよろしいかと」
「ユヅル……?」
「きゃっ!?」
不意に後ろから来た茶髪の侍女がユヅルに肩からぶつかった。その拍子に、手に持っていた洗濯物の山を手から放った。
この女、百華の専属侍女じゃない。
「あっ、申し訳ございません!半妖の衣服など、触れるのが嫌で」
「……申し訳ありません」
「こちらは洗濯に出していたユヅルさんのお召し物でございます。あまり汚れが取れませんでしたけれど……汚らわしい半妖の肌着は、やはり尊き人間とは違うのかしら?」
「……」
「ちょっと貴女、無礼では無くて?」
生乾きでまともに洗った形跡も無いじゃない。なんなのこの半端な仕事は。
向き直って睨みつけると、茶髪の侍女は恭しく頭を下げた。
「あら澄華様、ご機嫌麗しゅう。……ああ、申し訳ございません。旦那様からも夏生様からも疎まれては、麗しくはありませんよね?」
「貴女、私にそんな口を利いて良いとでも思っているのかしら?」
「うふふっ。あいにく私は尊き百華様の専属ですので、澄華様を尊ぶ必要はありませんの」
「なんですって?百華は随分と、使用人の躾がなっていないのね」
なんなのこの舐めた物言いは。
ユヅルが他の使用人から疎まれている空気は以前から感じ取っていた。それでも、ここまであからさまになったのは、誰かの差し金としか思えないわ。
「澄華様はどなたも手を付けない公務に精を出されるのがよろしいかと。……旦那様は百華様にお金を注ぎ込みたいそうなので、お金のやりくりが大変かもしれませんけどねえ?」
「……なんですって?今、何と言ったの?」
「あら怖いお顔!でもお、いくら澄華でも、斉明寺家の当主である旦那様の裁量に異は唱えられませんよねえ?」
「言えるに決まっているでしょう。公務の金を百華に流すなんて、正気の沙汰では無いわ!」
侍女に向かって一歩踏み出した私を、ユヅルが片手で制した。
私の肩にそっと手を置き、無表情のまま首を横に振った。
「ユヅル!これは流していい話ではなくってよ!?」
「……申し訳ございません」
「流石、”悪女”様は恐ろしゅうございますわぁ。では私はこれで」
茶髪の侍女は金色のブレスレットを私に見せつける様に一礼し、反対側の廊下へ歩き去って行った。
「お嬢様、自室に置きましたらすぐに大広間に向かいますので」
ユヅルも洗濯物を全て拾い上げると、恭しく一礼して宿舎へ戻って行く。
一人になった廊下には、静寂に小鳥のさえずりが混じる。
「……なんなの」
最近、神経を逆撫でする事が多い。
百華の専属になった使用人達が、解雇されないのを良い事に日増しにユヅルに舐めた態度を取ってくる。
あの金のブレスレットだって、大方夏生からのプレゼントを侍女に横流ししたのでしょう。
見せつける様にお父様にすり寄っている事は知っている。でもまさか、公務の金を横流しにさせるほど心酔させたの?
男には愛嬌、女には金品だなんて……なんて、抜け目のない女。
グッと眉根を寄せると、大広間まで足を進めた。
「あっ、すみませんっ!私ったら、また足を踏んでしまって……!」
「いえいえ、始めたてでこれだけ出来れば十分ですよ」
「ありがとうございます。先生はとってもお優しいのですね」
「いえそんな……。百華様こそ可憐であらせられる」
大広間では来月の社交パーティーに向けてダンスレッスンが行われていた。
若い男教師と練習用のワンピースに身を包んだ百華が未熟なステップを踏んでいる。……距離が近すぎるのではなくって?胸元が触れ合う程密着するようなダンスを踊る場では無いわ。
「おや澄華様、ご機嫌麗しゅう」
「まあお義姉様っ。最近お会い出来なくて寂しかったです」
「あら、そうだったかしら」
「その、私ずっとお義姉様にお詫びしたくて……」
「……何かしら?」
「お義姉様の専属の使用人はユヅルさん以外全員私の専属になってしまったから、お義姉様は大変なんじゃないかと思って。お父様も夏生さんも、私にはお優しくして下さるのに、お義姉様にだけあんな態度を取るのは良くないですよね。だから……ごめんなさいっ!」
ぺこりと頭だけを下げた浅いお辞儀は可憐な田舎娘そのもの。華族の態度としては零点だけれど。
「形だけの謝罪なんて結構よ。……帰ってよろしいかしら?私、その程度のダンスなら態々習い直すほどでもございませんの」
「おやおや、教養のある澄華様には簡単過ぎますね。……では百華様、また私と二人きりで」
「私は先生と二人っきりで嬉しいですけれど、またお義姉様が除け者みたいで……可哀そうではありませんか」
「お構いなく」
眉を下げて教師との距離を詰める百華に胃の奥から怒りがせり上がる。ああ、この物言いが侍女に伝播したのね。
私がくるりと踵を返すと、教師から信じられない言葉が飛んできた。
「この位出来れば、来週の西の名家が揃う社交パーティーに間に合いますね」
「——は?」
目を見開いて振り返る。
「貴方、今何と言ったのかしら?社交パーティーですって?」
「は、はい。その場を借りて百華様の社交界デビューと、百華様を斉明寺家の娘と正式に公表すると……旦那様より通達が来たのですが」
……何ですって?百華が社交界デビュー?
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥がカッと沸き立った。私の顔を見た教師がヒュッと息を呑む。
「西の貴族達に、こんな女が斉明寺の娘だなんて正式に公表して良い訳が無いでしょう!?」
「す、澄華様……?」
「ひと月経っても礼儀作法もまるでなっていない、ダンスも素人!そんな女が斉明寺家の娘だなんて恥晒しも良い所よ!!」
「ひ、ひどいですお義姉様……っ!私は一生懸命頑張っています!」
傷ついた様に眦を下げる百華を、睨みつけて喝破する。
「頑張っただけで華族の娘が務まるものですか!!斉明寺家を何だと思っているの!?」
「私は華族を軽視なんてしていません!お父様も夏生さんも使用人の方も、皆さん私を認めて下さいます……!この家で私を邪険に扱うのは、お義姉様だけですっ!」
ああ、そう。そうよね。
薄々感づいていたわ。この家で、私の居場所がどんどん無くなっている事を。
この女が来てからのひと月で、この家は百華を中心に回り始めている。自分が孤立している事は自覚している。でも私は、誇りある斉明寺家の嫡女としてこの女を認める事は出来ない。
「皆が認めるから私も認めろと?冗談は大概になさい。――貴女はこの斉明寺家に、全くもって相応しく無いわ」
口から放たれた声は、氷柱の様な鋭さを孕む。
私の言葉に、百華は一粒の涙を流して小刻みに震え始めた。
「どうして……。どうしてそこまで、私を目の敵にするんですか?あんまりです……っ!」
「やめないか澄華っ!!」
その瞬間、バンッと扉が開く。
顔を真っ赤にしたお父様がやって来て、私と百華の間に強引に割って入った。
額に青筋を立てて憤慨したお父様が、私に向かって太い腕を振り上げた。
「お前はどこまで百華を苦しめるのだっ!この女狐がっ!!」
「ッ!?」
「お嬢様!!」
私の視界を黒い影が覆う。
それが遅れてやって来たユヅルだと認識した瞬間、お父様の拳がユヅルの頬に直撃した。
「ぐ……っ!」
「ユヅル!!」
ユヅルが木製の床に倒れ伏した。その頬は赤く腫れて、白い鱗にひびが走っている。
私が駆け寄って膝を折ろうとすると、ユヅルが片手でそれを制した。
「問題ありません。すぐに回復しますから」
ユヅルが手で押さえた頬の鱗が蠢く。見る間にひびが再生され、元の白色に戻る。
「ひっ!なんておぞましい!」
「これだから半妖は……!」
聴こえる様に声を上げてユヅルに嫌悪感を示す侍女達を睨みつける。
こいつら、こんな時ばかり寄って集って……!!
「よいのです、お嬢様」
「良い訳が無いでしょう!?貴方が嘲られているのを、また黙って見ていろと言うの!?」
ユヅルは銀髪を揺らしながら頭を振る。
私と相対するように立ったお父様が、私を見下ろして指さした。
「貴様が百華に無礼な態度を取った事は侍女から幾度も報告を受けている!いいか女狐!一週間後のパーティーでは必ず、百華こそが真の斉明寺の娘だと公表する!貴様のような性悪こそ、斉明寺の汚点だっ!!」
「元はと言えばお父様が、お母様を顧みないで外で百華なぞ作るからこんな事になっているのよ!!華族の公務もまともに行わないで、あまつさえ政治資金を百華に横流しするとはどういう事!?」
「儂は当主だぞ!?この家の金をどう使おうが、貴様に文句を言われる筋合いなぞ無いわ!!」
なんなのこの見下げ果てた愚図は。こんな男と同じ血が流れているだなんて、心の底から嫌悪するわ。
私はすっと居住まいを正した。食いしばっていた口を開き、喉の奥から呻くように低く呟いた。
「当主であるお父様のお言葉ですもの。甘んじてお受け致しますわ」
胃からせり上がる怒りを噛み殺しながら、洋装の裾を摘まんで会釈する。
「では私はこれで。ユヅル、戻りましょう」
「逃げるのか貴様っ!!」
「逃げる?とんでもない」
私はくるりと優雅にロングスカートを揺らし、見せつける様に華麗に一礼した。
「先ほども言いましたが、私はこの程度のダンスを教わる必要などありませんので」
「……っ……!」
百華が目を見開いて、カッと顔を赤く染める。あら、自分でも分かっているじゃない。人前に出せる様な完成度では無いと。
私は百華を一瞥して、踵を返して広間を後にした。
「この、女狐がァ……!」
ヒキガエルのように潰れたお父様の罵声を背に、私はユヅルを連れて大広間を後にした。
——一週間後の西の貴族が集まる社交パーティー。
きっと、只事では済まないわね。
To Be Continued……
極楽蓮華の夜会からひと月が経過した。
この斉明寺家に百華が居る風景もそれなりに見慣れてきた。ただ、周囲からのあの女に対する評価は日を追うごとに上がっていく。
「最近貴族の作法も身に付いたんじゃないか?百華は素直で呑み込みが早いな。強情な澄華とは大違いだ」
「嬉しいです、お父様。私、もっと頑張りますねっ!」
「ごきげんよう百華さん。本日もなんと可憐な事か!さあ、今日の宝石は百華を想って選んだ特注品ですよ」
「まあ、特注品だなんて……!夏生さんほど素敵な殿方は、私初めて見ました!」
夕食で一緒になればお父様は私を卑下しながら百華を褒めるし、夏生も夜会以降、更に足繫く斉明寺家に通い詰めている。
この屋敷全てが百華にじわじわと侵食されていく様な底知れない不快感は……何なの?
◇
そんな中、大広間に呼ばれた私は社交ダンス用の軽装のドレスを身に纏っている。ユヅルと共に縁側を進む最中、使用人達の会話が耳をくすぐる。
「百華様、この頃よく旦那様とお二人でディナーに行かれますのね」
「夏生さんも最近は百華様の元へ大量のアクセサリーを持って、足しげく通って居るそうじゃない」
「でも分かる気もするわ。愛嬌があるというか……守ってあげたくなってしまう様な魅力をお持ちなのよね、百華様。私達侍女にもアクセサリーを分け与えて下さるほどお優しくて……」
ずれ違う度にわざとらしくこんな話をされるのは、今や日常茶飯事。
庭園で仕事もせずに噂話に花を咲かせる侍女を視界から外すと、斜め後ろに控えたユヅルを盗み見た。
そういえば、あの女はユヅルにも興味を示していたわね。
私の視線に気づいたユヅルが伏せていた長い睫毛を上げた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「……聞きたいのだけれど、貴方は百華の事をどう思っているの?」
「百華様、ですか……?」
ユヅルが口元に人差し指を押し当てて、床に視線を送る。
ユヅルが回答に困るなんて珍しいわ。まさかユヅルも、あの女を気にかけているというの?
「貴方が答えに窮するなんて珍しいじゃない。……貴方も百華の様な女がお好みなのかしら?殿方は口を揃えて、ああいう子が良いって言うもの」
「それは、おいそれと手玉に取られる男の方が馬鹿なだけでございます」
「は……?」
あまりの直球過ぎる物言いに口元を手で押さえて、口角が上がりそうになるのを堪える。
ユヅルが口元に手を当てる。
「すみません、失言でした」
「……っ、許すわ」
「ありがとうございます」
一欠片も感情が籠っていない言葉に、私はふっと相好を崩す。
私が顔を上げると、ふっと微笑んだユヅルと目が合った。
「俺が百華様を特別視する事はあり得ません。俺は、澄華様の専属執事ですので」
「そうよね。貴方は私のものですもの」
「……ただ」
ユヅルが顔を伏せる。
さらりと流れた銀髪が、ユヅルの金色の瞳にわずかな影を落とした。
「百華様には、あまり近づかれない方がよろしいかと」
「ユヅル……?」
「きゃっ!?」
不意に後ろから来た茶髪の侍女がユヅルに肩からぶつかった。その拍子に、手に持っていた洗濯物の山を手から放った。
この女、百華の専属侍女じゃない。
「あっ、申し訳ございません!半妖の衣服など、触れるのが嫌で」
「……申し訳ありません」
「こちらは洗濯に出していたユヅルさんのお召し物でございます。あまり汚れが取れませんでしたけれど……汚らわしい半妖の肌着は、やはり尊き人間とは違うのかしら?」
「……」
「ちょっと貴女、無礼では無くて?」
生乾きでまともに洗った形跡も無いじゃない。なんなのこの半端な仕事は。
向き直って睨みつけると、茶髪の侍女は恭しく頭を下げた。
「あら澄華様、ご機嫌麗しゅう。……ああ、申し訳ございません。旦那様からも夏生様からも疎まれては、麗しくはありませんよね?」
「貴女、私にそんな口を利いて良いとでも思っているのかしら?」
「うふふっ。あいにく私は尊き百華様の専属ですので、澄華様を尊ぶ必要はありませんの」
「なんですって?百華は随分と、使用人の躾がなっていないのね」
なんなのこの舐めた物言いは。
ユヅルが他の使用人から疎まれている空気は以前から感じ取っていた。それでも、ここまであからさまになったのは、誰かの差し金としか思えないわ。
「澄華様はどなたも手を付けない公務に精を出されるのがよろしいかと。……旦那様は百華様にお金を注ぎ込みたいそうなので、お金のやりくりが大変かもしれませんけどねえ?」
「……なんですって?今、何と言ったの?」
「あら怖いお顔!でもお、いくら澄華でも、斉明寺家の当主である旦那様の裁量に異は唱えられませんよねえ?」
「言えるに決まっているでしょう。公務の金を百華に流すなんて、正気の沙汰では無いわ!」
侍女に向かって一歩踏み出した私を、ユヅルが片手で制した。
私の肩にそっと手を置き、無表情のまま首を横に振った。
「ユヅル!これは流していい話ではなくってよ!?」
「……申し訳ございません」
「流石、”悪女”様は恐ろしゅうございますわぁ。では私はこれで」
茶髪の侍女は金色のブレスレットを私に見せつける様に一礼し、反対側の廊下へ歩き去って行った。
「お嬢様、自室に置きましたらすぐに大広間に向かいますので」
ユヅルも洗濯物を全て拾い上げると、恭しく一礼して宿舎へ戻って行く。
一人になった廊下には、静寂に小鳥のさえずりが混じる。
「……なんなの」
最近、神経を逆撫でする事が多い。
百華の専属になった使用人達が、解雇されないのを良い事に日増しにユヅルに舐めた態度を取ってくる。
あの金のブレスレットだって、大方夏生からのプレゼントを侍女に横流ししたのでしょう。
見せつける様にお父様にすり寄っている事は知っている。でもまさか、公務の金を横流しにさせるほど心酔させたの?
男には愛嬌、女には金品だなんて……なんて、抜け目のない女。
グッと眉根を寄せると、大広間まで足を進めた。
「あっ、すみませんっ!私ったら、また足を踏んでしまって……!」
「いえいえ、始めたてでこれだけ出来れば十分ですよ」
「ありがとうございます。先生はとってもお優しいのですね」
「いえそんな……。百華様こそ可憐であらせられる」
大広間では来月の社交パーティーに向けてダンスレッスンが行われていた。
若い男教師と練習用のワンピースに身を包んだ百華が未熟なステップを踏んでいる。……距離が近すぎるのではなくって?胸元が触れ合う程密着するようなダンスを踊る場では無いわ。
「おや澄華様、ご機嫌麗しゅう」
「まあお義姉様っ。最近お会い出来なくて寂しかったです」
「あら、そうだったかしら」
「その、私ずっとお義姉様にお詫びしたくて……」
「……何かしら?」
「お義姉様の専属の使用人はユヅルさん以外全員私の専属になってしまったから、お義姉様は大変なんじゃないかと思って。お父様も夏生さんも、私にはお優しくして下さるのに、お義姉様にだけあんな態度を取るのは良くないですよね。だから……ごめんなさいっ!」
ぺこりと頭だけを下げた浅いお辞儀は可憐な田舎娘そのもの。華族の態度としては零点だけれど。
「形だけの謝罪なんて結構よ。……帰ってよろしいかしら?私、その程度のダンスなら態々習い直すほどでもございませんの」
「おやおや、教養のある澄華様には簡単過ぎますね。……では百華様、また私と二人きりで」
「私は先生と二人っきりで嬉しいですけれど、またお義姉様が除け者みたいで……可哀そうではありませんか」
「お構いなく」
眉を下げて教師との距離を詰める百華に胃の奥から怒りがせり上がる。ああ、この物言いが侍女に伝播したのね。
私がくるりと踵を返すと、教師から信じられない言葉が飛んできた。
「この位出来れば、来週の西の名家が揃う社交パーティーに間に合いますね」
「——は?」
目を見開いて振り返る。
「貴方、今何と言ったのかしら?社交パーティーですって?」
「は、はい。その場を借りて百華様の社交界デビューと、百華様を斉明寺家の娘と正式に公表すると……旦那様より通達が来たのですが」
……何ですって?百華が社交界デビュー?
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥がカッと沸き立った。私の顔を見た教師がヒュッと息を呑む。
「西の貴族達に、こんな女が斉明寺の娘だなんて正式に公表して良い訳が無いでしょう!?」
「す、澄華様……?」
「ひと月経っても礼儀作法もまるでなっていない、ダンスも素人!そんな女が斉明寺家の娘だなんて恥晒しも良い所よ!!」
「ひ、ひどいですお義姉様……っ!私は一生懸命頑張っています!」
傷ついた様に眦を下げる百華を、睨みつけて喝破する。
「頑張っただけで華族の娘が務まるものですか!!斉明寺家を何だと思っているの!?」
「私は華族を軽視なんてしていません!お父様も夏生さんも使用人の方も、皆さん私を認めて下さいます……!この家で私を邪険に扱うのは、お義姉様だけですっ!」
ああ、そう。そうよね。
薄々感づいていたわ。この家で、私の居場所がどんどん無くなっている事を。
この女が来てからのひと月で、この家は百華を中心に回り始めている。自分が孤立している事は自覚している。でも私は、誇りある斉明寺家の嫡女としてこの女を認める事は出来ない。
「皆が認めるから私も認めろと?冗談は大概になさい。――貴女はこの斉明寺家に、全くもって相応しく無いわ」
口から放たれた声は、氷柱の様な鋭さを孕む。
私の言葉に、百華は一粒の涙を流して小刻みに震え始めた。
「どうして……。どうしてそこまで、私を目の敵にするんですか?あんまりです……っ!」
「やめないか澄華っ!!」
その瞬間、バンッと扉が開く。
顔を真っ赤にしたお父様がやって来て、私と百華の間に強引に割って入った。
額に青筋を立てて憤慨したお父様が、私に向かって太い腕を振り上げた。
「お前はどこまで百華を苦しめるのだっ!この女狐がっ!!」
「ッ!?」
「お嬢様!!」
私の視界を黒い影が覆う。
それが遅れてやって来たユヅルだと認識した瞬間、お父様の拳がユヅルの頬に直撃した。
「ぐ……っ!」
「ユヅル!!」
ユヅルが木製の床に倒れ伏した。その頬は赤く腫れて、白い鱗にひびが走っている。
私が駆け寄って膝を折ろうとすると、ユヅルが片手でそれを制した。
「問題ありません。すぐに回復しますから」
ユヅルが手で押さえた頬の鱗が蠢く。見る間にひびが再生され、元の白色に戻る。
「ひっ!なんておぞましい!」
「これだから半妖は……!」
聴こえる様に声を上げてユヅルに嫌悪感を示す侍女達を睨みつける。
こいつら、こんな時ばかり寄って集って……!!
「よいのです、お嬢様」
「良い訳が無いでしょう!?貴方が嘲られているのを、また黙って見ていろと言うの!?」
ユヅルは銀髪を揺らしながら頭を振る。
私と相対するように立ったお父様が、私を見下ろして指さした。
「貴様が百華に無礼な態度を取った事は侍女から幾度も報告を受けている!いいか女狐!一週間後のパーティーでは必ず、百華こそが真の斉明寺の娘だと公表する!貴様のような性悪こそ、斉明寺の汚点だっ!!」
「元はと言えばお父様が、お母様を顧みないで外で百華なぞ作るからこんな事になっているのよ!!華族の公務もまともに行わないで、あまつさえ政治資金を百華に横流しするとはどういう事!?」
「儂は当主だぞ!?この家の金をどう使おうが、貴様に文句を言われる筋合いなぞ無いわ!!」
なんなのこの見下げ果てた愚図は。こんな男と同じ血が流れているだなんて、心の底から嫌悪するわ。
私はすっと居住まいを正した。食いしばっていた口を開き、喉の奥から呻くように低く呟いた。
「当主であるお父様のお言葉ですもの。甘んじてお受け致しますわ」
胃からせり上がる怒りを噛み殺しながら、洋装の裾を摘まんで会釈する。
「では私はこれで。ユヅル、戻りましょう」
「逃げるのか貴様っ!!」
「逃げる?とんでもない」
私はくるりと優雅にロングスカートを揺らし、見せつける様に華麗に一礼した。
「先ほども言いましたが、私はこの程度のダンスを教わる必要などありませんので」
「……っ……!」
百華が目を見開いて、カッと顔を赤く染める。あら、自分でも分かっているじゃない。人前に出せる様な完成度では無いと。
私は百華を一瞥して、踵を返して広間を後にした。
「この、女狐がァ……!」
ヒキガエルのように潰れたお父様の罵声を背に、私はユヅルを連れて大広間を後にした。
——一週間後の西の貴族が集まる社交パーティー。
きっと、只事では済まないわね。
To Be Continued……



