ひと雫の魔法

 彼女は俺に気づいていない。
 それをいいことに俺は彼女を盗み見る。

 彼女はやはり今日も制服をきちんと着ていた。
 彼女は目を引くような美人ではないし、華やかさもない。けれど、清楚でおとなしそうな彼女が、痴漢の対象となるのは不思議ではないと思う。

 線路に何かがあるのか、彼女はずっと線路から視線をそらさない。

 俺は迷ったけれど、彼女のいるほうへゆっくりと歩き出した。俺の存在は痴漢にあった日を思い出させるかもしれないから、彼女に気づかれたくはない。だから、彼女から三メートルほど離れた場所で俺は立ち止まった。
 彼女は気づく様子もなく、まだ線路を見ている。真剣な目だ。俺も彼女を倣って線路を見てみたけれど、何も見つけられなかった。

 何を考えているんだろう。

 電車が来た。彼女が乗り込むのを見てから、俺は一つ前のドアから同じ車両に乗りこんだ。心配だったのだ。

 彼女はドア付近ではなく、この日は長椅子の前の吊革に掴まって立っていた。俺はドアの前でそれを確認してなんだかほっとした。この日彼女に痴漢を働く輩《やから》はいなかった。
 

***


 彼女を駅で見かけてから一か月ほどが経った。
 彼女はいつもほぼ決まった時間に駅のホームに上がってきて、決まった場所で電車を待つのがわかった。彼女は電車を待つ間、いつも線路を凝視していた。その瞳はもの憂げにも見えた。

 まさか自殺なんて考えてはいないよな。

 俺は不安になった。だが、彼女は俺のそんな心配をよそに、いつも通り電車に乗るのだった。 そのたびに俺は安堵した。自分の考えすぎだったと。

 彼女から一定の距離を保って気づかれないように観察する俺に、彼女が気づくことはなかった。自分がしている行動がストーカーじみていることに気づいてはいた。声をかけるほうが健全だとも思っていた。

 紗代に知られたら何て言われるやら。

 それでも俺は彼女に声をかけることができずにいた。彼女には痴漢の日のことを思い出してほしくなかった。

 彼女の視線はいつも線路にある。でも線路を見ているわけではないのかもしれない。

 彼女は何を考えているのだろう。

 始めは痴漢に合わないように見守ろうと思って、彼女を見ていた。それが自殺をしないか不安になって見るようになった。でもそんなのは理由づけに他ならないかもしれない。

 俺はだんだんと彼女自身に興味が湧くのを止められなかった。