ひと雫の魔法


 さて、これからだ。

 俺は立ち上がって、彼女にそっと近づいていく。

 彼女はまだ気づかない。まさか俺がこんな時間に張っているとは思っていないのだろう。

 そんな彼女の肩を、俺は遠慮がちに叩いた。 
 彼女が驚いたように俺を振り返る。俺を映した彼女の瞳が大きく見開かれた。

「か、笠原君?!」
「どうも」

 俺はにっこり笑ってみせた。自分でも嫌味だったかなと思うくらい。

「あ……う……」

 彼女は口をぱくぱくさせた後、その場から逃げようとした。その腕を軽く俺は掴んだ。

 意外と往生際が悪いんだな。

「こらこら、どこに行くんだ? 言い逃げはずるいんじゃないの?」

 俺の言葉に彼女は観念したように力を抜いた。そして、俺のほうに向き直ったものの、困ったように視線をうろうろさせている。

「あの……私……ごめんなさい」

 そこまで言って、彼女は次の言葉を探せないようだった。

「何が? 電車を変えたこと?」

 彼女は気まずそうに黙ったまま頷いた。

「時間を変えるって、君にとってはかなりリスキーだっただろう? そんなに俺に会いたくなかった?」
「それは……! ほんとはっ! 会いたかった、です。でも……」

 彼女は俺を見上げて力いっぱい否定した。

 俺はそんな彼女の必死な顔を可愛いなと思いつつ、

「うん?」

 と先を促す。

「私、本当は渡すつもりなかったんです。同じ時間に同じ場所にいる。それで満足なはずだったんです」

 彼女の顔が朱に染まっていく。耳まで赤くなった彼女に、俺も自分の顔が熱を持っていくのが分かった。

 やばい。なんか、可愛いやら照れるやら。

「マフラーも、手作りチョコも、自己満足にしようって。でも、駅で笠原君を見たら、やっぱり渡したくなって。でもっ! でも、その後どんな顔して会えばいいか分からなくて! 自分でも予定外過ぎて! 怖くなって! 笠原君はモテるし、私なんか釣り合わないのも分かっているのに!」

 彼女は痛々しいほど懸命に言って、ぽろりとまたダイヤのような涙を溢した。そして、

「ごめんなさい! こんな、泣くなんて狡いですよね! 見ないで!」

 と言って、両腕で顔を隠すようにして後ろを向こうとした。