ひと雫の魔法

「ごめん……」

 謝る俺に彼女は、

「いえ、そんな、謝らないでください!」 

と、慌てたように言った。

「私がおかしいんです。私、人よりルーティンが多いみたいで。特に朝は決まった時間に起きて、決まった時間に朝食を食べて、同じ時間に駅に行って、同じ電車に乗らないとなんだか気持ち悪いというか……」

 そこまで言うと、彼女は怯えたような顔になった。

「あの痴漢にあった日は、いつもの電車に乗り遅れて。それであんな目にあったから余計に」

 俺は先ほど「彼女の涙を見たい」と思った自分を恥じた。

 なんてことを考えたんだ。彼女はこんなにも怖い思いをして、トラウマにもなっているようなのに。

「痴漢については、君が悪いんじゃない。痴漢をするほうが悪いんだ。ルーティンのせいとかではないと俺は、思う。えっと、君のルーティンを否定するつもりはないけど」

 なんて言っていいかわからず、必死で紡いだ言葉がこれだった。

 彼女を傷つけたくはないし、失望もさせたくない。そして、できれば元気づけたいのにいい言葉が見つからない。

 俺、こんなにつまらない奴だったか?

「そう、ですよね。自分でもたまたまルーティンをしなかった日と痴漢をされた日が重なっただけって思ってはいるんですけれど。それでも、ルーティン通りできていたらあんな目に合わなかったかもって、思ってしまう自分がいて。だから今日も電車を遅らすのが怖くて……」

 自分をごまかすように笑おうとする彼女に、胸が痛んだ。

「そうだったんだ。だから電車に乗ろうと?」
「はい。すみません、心配も迷惑もかけて」

 具合が悪いはずなのに深く頭を下げる彼女に俺は、

「いや、君が元気になればそれでいいから」

 と言った。

 なんだか恥ずかしい発言をした気がする。

 俺は自分の前髪を直すように触ってそっと彼女から目を逸らした。