ひと雫の魔法


 駆け込むようにして駅へ入ると、彼女はいつもの場所にいた。
 肩で息をしている俺に一度視線を向けて、彼女は小さくお辞儀をした。俺もそれを真似る。

 彼女はその後、いつものように線路に視線を落とした。

 俺はほっとすると同時にがっかりとしていた。

 いや、待て待て。

 別に彼女とは友だちでも何でもないのだ。これが当然だろう。

 もう彼女に関わる必要はない。同じ電車にこだわる必要もない。逆にストーカーと思われるようじゃマズい。

 わかっている。わかっている。

 それなのに、俺はその後も彼女の乗る電車に合わせて、毎日駅へ行った。
 彼女に話しかけるでもなく、かといって無視もできず、俺たちは駅で目が合うと小さくお辞儀をし合った。そして、何事もなかったかのように電車を待つふりをした。

 俺はいけないことをしているような罪悪感を抱きながら、彼女をときおり盗み見る。彼女は変わらず線路を見続けている。
 その視線がたまにこちらを向くようになった。そんなとき俺は慌てて目を逸らす。しばらく彼女がこちらを見ている気配がする。

 一分? いや、数秒かもしれない。

 けれど彼女の視線を感じる。
 見られて気づく。視線とはこんなに緊張するものなのだと。

 気のせいかもしれない。俺の自意識過剰で彼女は俺を見てるんじゃないかもしれない。
 それなのに、彼女が俺を見ている気がするだけでこんなにも心臓が煩い。  
 耐えきれずに、俺は彼女のほうを見る。すると彼女は慌てたように視線を線路に戻す。

 電車が来るまでの十分ほど。俺と彼女はそんなやりとりを毎日繰り返した。

 何やってるんだ俺。
 次の日は話しかけてみよう。

 そう思うだけで、実行できずに日々は過ぎた。