無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

食後、女中が下がると、部屋は静かになった。

障子の外では庭の笹が擦れ、遠くで夜番の拍子木が鳴った。私は布団の端に座り、母の小袋を膝に置いた。中には残り少ない丸薬と、小さく畳まれた古い紙片がある。紙片には母の筆で、なにか印のようなものが描かれている。

それを見ると、胸が痛む。

母が生きていた頃、私は「見える」と口にしても叱られなかった。母はただ、少し寂しそうに私の髪を撫でた。

——小夜。見えるものを、嫌わないで。

そう言った気がする。

でも母が亡くなってから、その言葉は家の中で役に立たなかった。見えるものを嫌わなければ、生きていけなかった。

私は小袋を胸に当て、目を閉じた。

眠れるはずだった。体は疲れきり、湯で温まり、布団は柔らかい。けれど、瞼の裏に黒い糸が残っている。倒れた男の喉。死んだ人の唇。朔夜さまの腕に走った黒い筋。

そして、この屋敷そのものに澱む、黒い影。

気になって、私はそっと障子を開けた。

夜気が部屋へ入ってくる。冷たいが、どこか湿った土の匂いがした。庭には月が落ちていた。丸い池の水面が銀色に光り、石灯籠の影が長く伸びている。

その庭の端に、黒いものが沈んでいた。

最初は木の影かと思った。けれど違う。影にしては、ゆっくり脈を打っている。池のほとりの石にまとわりつき、苔の隙間へ染み込んでいる。

私は息をひそめた。

(ここにも……)

部屋を出てはいけないと言われたわけではない。けれど、花嫁候補として扱えと言われたばかりの私が夜中に歩き回れば、また何を言われるかわからない。

それでも足は、廊下へ向かっていた。