無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

竹林が鳴った。

社の古い木が、月の光を吸って白く浮かび上がる。手水鉢の水面では、月がかすかに揺れていた。清い香が細く立ちのぼり、私と朔夜さまの間を漂った。

朔夜さまは、私の手を取った。

その手は熱かった。

禍を抱える熱。生きている人の熱。

「俺は、もう一人で禍を抱え込まない」

朔夜さまの声が、社の中に低く響いた。

「斬った禍を隠さず、お前に診せる。弱ることも、苦しむことも、俺一人のものにしない」

私は息を止めそうになり、そっと吐いた。

朔夜さまが、私の名を呼ぶ。

「小夜」

「はい」

「お前がいるから戦える」

胸の奥が、熱くなった。

それは甘い告白の言葉ではなかった。

もっと重く、もっと静かで、傷口に布を当てるような言葉だった。最強の武将と呼ばれる人が、自分一人では戦い続けられないと認め、私の手を必要だと言ってくれた。

黒い禍は、まだそこにある。

でも、私はもう怖いだけではなかった。

「私は、朔夜さまの側薬師として、あなたの禍を診ます」

声は震えていた。

けれど、逃げてはいなかった。

「毒の流れとして視て、薬と湯と布で、脈と呼吸を合わせて、少しずつ払います。完全に消せない日もあると思います。迷う日も、怖い日もあります」

私は顔を上げた。

朔夜さまの目を、まっすぐ見た。

「それでも、私は側にいます」

月の光が、彼の黒い髪に降っている。

その黒は、禍の黒ではなかった。

夜そのものの、深く静かな色だった。

「あなたの孤独を癒す」

そう告げた瞬間、朔夜さまの手が、私の手を強く包んだ。
もう離さないと告げるような力だった。

水緒が、薄墨の印の入った布を二人の手の上へそっと掛けた。清い香が一筋、月へ昇る。手水鉢の月が揺れ、竹林が深く息をした。

何かが大きく変わったわけではなかった。
鐘が鳴るわけでも、花が降るわけでもない。
朔夜さまの黒い禍も、私の未熟さも、消えなかった。

けれど、ひとつだけ確かに変わった。

朔夜さまは、もう一人で禍を抱えない。
私は、もう無能と呼ばれたあの頃に戻らない。

斬る者と、癒やす者。

傷を抱えた二人が、月の下で、互いの弱さを隠さないと誓った。