無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

私は朔夜さまの手首に指を当てた。

脈が乱れている。

強いのに、途中で千切れる。黒い縄が脈へ絡みつき、鼓動のたびに締めあげている。どの筋が脈を乱し、どの筋が息を塞いでいるのか、完全には分からない。見えるのに、あまりにも複雑で、目が眩みそうだった。

「……ここじゃない」

私は自分に言い聞かせた。

手首の黒は濃い。けれど、根はもっと奥にある。肩から胸元。鎖骨の下。息の道へ絡む結び目。

湯と布が運ばれてきた。

私は布を湯に浸し、固く絞った。熱すぎない。冷たすぎない。掌で温度を確かめ、朔夜さまの手首へ巻く。別の布を肩口に当て、さらにもう一枚を胸元へ。

「苦しいと思います。でも、吸おうとしすぎないでください。吐くほうを長く」

「……命じる、気か」

いつかと同じ言葉。

けれど、その声はひどく掠れていた。

私は泣きそうになりながら、首を振った。

「お願いです。私に合わせてください」

自分の息を整える。

吸って。
吐く。

白湯の湯気。濡れ布の清い匂い。汗と鉄の匂い。血を含んだ鎧のような黒い禍の匂い。そこに、母の小袋からかすかに滲む薬草の匂いが混ざっている。

私は母の小袋を開いた。

中には、残り少ない丸薬があった。母が遺してくれた、苦く、土のような匂いのする丸薬。

これを使う。

私は丸薬をほんの少しだけ削り、白湯に溶かした。湯は薄く濁り、薬草の苦みが立つ。

「飲めますか」

朔夜さまは答えなかった。

けれど、私が湯呑みを唇へ近づけると、わずかに口を開いた。

一滴。
もう一滴。

喉が動く。

その瞬間、胸元の黒い筋のうち、細い一本がぴくりと揺れた。

薬湯が入った道を嫌がるように、黒が逃げようとする。私はそこを見逃さず、温布越しに手の圧を置いた。

「そこ……息を塞いでいるのは、この筋」

脈に絡む筋は、手首から腕へ斜めに走り、冷たい鼓動のように跳ねている。息を塞ぐ筋は、鎖骨の下で輪を作り、喉へ向かっている。胸の奥で縄のように結ばれた黒は、千景の焦りや人々の恐怖を含んだ重い塊だ。そこを無理にほどけば、私も朔夜さまも呑まれる。

今できるのは、端だけ。

絡んだ黒の端を、少し浮かせること。

私は濡れ布を胸元へ当て、ゆっくり押した。吸う息には触れず、吐く息に合わせて少しだけ圧をかける。脈の上に置いた指は、飛びそうになる鼓動を追い、乱れたところでそっと支える。

黒い筋が、私の指へ絡む。

冷たい。

指先から手首へ、黒い水が入り込もうとする。耳元で妖の声がする。

——無能のくせに。
——救えなければ、また捨てられる。
——朔夜も、いつかお前を不要と言う。

胸が痛い。

でも、その黒い声の奥で、朔夜さまの手が私の手首を掴んだ。

苦しんでいるはずなのに、その手は強かった。

「小夜……呑まれるな」

私を禍から引き戻す手だった。

「離せ。お前のほうへ行く」

「いいえ」

私は震える声で答えた。

温めた白い布の上に、黒い筋がほんの細く滲んでいた。墨を落としたような、しかし水では洗えない黒。禍そのものを消したわけではない。けれど、朔夜さまの胸の結び目から浮いた端が、布の湿りに移っている。

「……動いた」

私は息を呑んだ。

私は震える手で布を替えた。黒が滲んだ布はすぐに別の器へ沈める。そこには薄い薬湯を張ってあった。黒い筋は水面でしばらく蠢き、やがて墨のように薄く広がって沈んだ。

消えたわけではない。
ただ、朔夜さまの息の道から、少し離れた。

「朔夜さま、吐いてください。長く……そうです」

朔夜さまの胸が、かすかに上下する。

先ほどまで吸えずに止まっていた息が、少しずつ戻っていく。喉で詰まっていた音が、深いところへ落ちる。黒い筋はまだある。首筋にも、腕にも、胸元にも深く絡んでいる。

でも、息が入った。