城門の向こう、広い中庭には、白い幕が張られていた。幕には藩の紋が染め抜かれ、風に揺れるたび、淡い影が地面に落ちる。左右には香炉が並び、まだ火の入っていない灰が静かに盛られている。奥の御殿へ続く階の前には、畳を敷いた高座が設けられ、そこに献薬の品を置く台が並んでいた。
華やかな始まりだった。
春の光は白幕を透かし、香木の箱の金具をきらめかせる。薬師たちはそれぞれに袴や小袖を整え、薬箱の紐を結び直し、手代たちは緊張した顔で控えている。御殿の奥からは、琴のように細い笛の音が聞こえた。儀の場に清めの音を添えるためだろう。
その光の中に、千景がいた。
桜色よりも、今日はさらに華やかな薄紅の小袖をまとっている。襟元は雪のように白く、帯には金糸で薬草の模様が刺されていた。髪は艶やかに結い上げられ、珊瑚の簪が春の実のように揺れている。手には小さな薬箱。袖口からは、ほのかに白檀と桂皮の香が漂っていた。
人々の目が、自然と千景へ集まる。
美しい薬師の娘。
朝霧堂の才ある後継ぎ。
藩主の御前で筆頭薬師に選ばれるかもしれない娘。
その期待が、花びらのように千景の周囲へ降り積もっていた。
父はその少し後ろに立ち、誇らしげに千景を見ていた。継母もまた、まるで自分の胸に勲を授かるかのように、満ち足りた目で千景を眺めていた。
そして、誠一郎さま。
彼は当然のように千景の横に立っていた。白い袴に淡い藍の羽織。穏やかな顔をしているが、その立ち位置は、誰が見ても千景を守るものだった。
私と目が合うと、誠一郎さまはわずかに眉を下げた。
憐れむような、諭すような顔。
その顔を、私は昔、何度も見た。
「小夜」
誠一郎さまは近づいてきた。
千景が、その隣で控えめに微笑んでいる。
「君まで来たのか」
「……朔夜さまの調査に、同行しております」
私が答えると、誠一郎さまは静かに息を吐いた。
「御前の儀だ。感情で場を乱すことは許されない。君が千景に何を思っているにせよ、今日は朝霧堂にとって大事な日だ。無能な姉が騒ぎを起こしたなどと噂になれば、千景まで傷つく」
無能な姉。
その言葉は、儀の笛の音よりはっきりと、私の耳へ入った。
千景が柔らかく言った。
「誠一郎さま、お姉さまも悪気はないのですわ。朔夜さまに頼られていると思って、少し張り切っていらっしゃるだけ。昔から、誰かに認められたいお気持ちは強かったもの」
その声は、春風のように優しかった。
けれど、その言葉の下に、黒い靄が揺れた。
千景の背後にいる影は、前に見た時より濃い。
私は喉を押さえそうになった。
「小夜」
朔夜さまが低く呼んだ。
短い声だけで、私の意識が今へ戻る。
朔夜さまは、私の横に立っていた。誠一郎さまとの間に、さりげなく半身を入れるように。
「何が見える」
私だけに聞こえる声だった。
私は小さく息を吸った。
「千景の袖口と薬箱に、黒い筋が見えます。香包みの赤い糸にも。背後の影は、前より濃いです」
朔夜さまの目が、千景の背後へ向く。
「俺には、敵の気配としてしか分からん。だが、確かにいる」
その言葉に、私の背筋が冷えた。
やはり、朔夜さまにも分かるのだ。
あれは、ただの嫉みや焦りの影ではない。
千景の感情を餌にする、禍に近いもの。
華やかな始まりだった。
春の光は白幕を透かし、香木の箱の金具をきらめかせる。薬師たちはそれぞれに袴や小袖を整え、薬箱の紐を結び直し、手代たちは緊張した顔で控えている。御殿の奥からは、琴のように細い笛の音が聞こえた。儀の場に清めの音を添えるためだろう。
その光の中に、千景がいた。
桜色よりも、今日はさらに華やかな薄紅の小袖をまとっている。襟元は雪のように白く、帯には金糸で薬草の模様が刺されていた。髪は艶やかに結い上げられ、珊瑚の簪が春の実のように揺れている。手には小さな薬箱。袖口からは、ほのかに白檀と桂皮の香が漂っていた。
人々の目が、自然と千景へ集まる。
美しい薬師の娘。
朝霧堂の才ある後継ぎ。
藩主の御前で筆頭薬師に選ばれるかもしれない娘。
その期待が、花びらのように千景の周囲へ降り積もっていた。
父はその少し後ろに立ち、誇らしげに千景を見ていた。継母もまた、まるで自分の胸に勲を授かるかのように、満ち足りた目で千景を眺めていた。
そして、誠一郎さま。
彼は当然のように千景の横に立っていた。白い袴に淡い藍の羽織。穏やかな顔をしているが、その立ち位置は、誰が見ても千景を守るものだった。
私と目が合うと、誠一郎さまはわずかに眉を下げた。
憐れむような、諭すような顔。
その顔を、私は昔、何度も見た。
「小夜」
誠一郎さまは近づいてきた。
千景が、その隣で控えめに微笑んでいる。
「君まで来たのか」
「……朔夜さまの調査に、同行しております」
私が答えると、誠一郎さまは静かに息を吐いた。
「御前の儀だ。感情で場を乱すことは許されない。君が千景に何を思っているにせよ、今日は朝霧堂にとって大事な日だ。無能な姉が騒ぎを起こしたなどと噂になれば、千景まで傷つく」
無能な姉。
その言葉は、儀の笛の音よりはっきりと、私の耳へ入った。
千景が柔らかく言った。
「誠一郎さま、お姉さまも悪気はないのですわ。朔夜さまに頼られていると思って、少し張り切っていらっしゃるだけ。昔から、誰かに認められたいお気持ちは強かったもの」
その声は、春風のように優しかった。
けれど、その言葉の下に、黒い靄が揺れた。
千景の背後にいる影は、前に見た時より濃い。
私は喉を押さえそうになった。
「小夜」
朔夜さまが低く呼んだ。
短い声だけで、私の意識が今へ戻る。
朔夜さまは、私の横に立っていた。誠一郎さまとの間に、さりげなく半身を入れるように。
「何が見える」
私だけに聞こえる声だった。
私は小さく息を吸った。
「千景の袖口と薬箱に、黒い筋が見えます。香包みの赤い糸にも。背後の影は、前より濃いです」
朔夜さまの目が、千景の背後へ向く。
「俺には、敵の気配としてしか分からん。だが、確かにいる」
その言葉に、私の背筋が冷えた。
やはり、朔夜さまにも分かるのだ。
あれは、ただの嫉みや焦りの影ではない。
千景の感情を餌にする、禍に近いもの。



