門が開く音が、重く響いた。
内側には、すでに何人もの家臣と使用人が集まっていた。報せが先に走ったのだろう。男たちは袴姿で、女たちは控えめな色の小袖を着ている。皆、頭を下げていたが、その目だけが私を見ていた。
冷たい目だった。
朝の井戸水より冷たく、刃より静かに痛い。
「……あれが」
誰かが、ほんの小さく囁いた。
「朝霧堂の」
「死人を出した娘だとか……」
「罪を逃れるために、朔夜さまへ取り入ったのか?」
声は薄絹の向こうの針のように、はっきりとは聞こえないのに、確かに皮膚へ刺さった。
私は顔を伏せた。
違う、と叫びたかった。私は毒を見た。止めようとした。けれど、千景も父も誠一郎さまも、誰も信じてくれなかった。
でも、ここで言い訳をすれば、また同じになる。
私の言葉はいつも、誰かの都合の悪いものを掘り起こしてしまう。だから踏み潰される。私は唇を噛み、鞍の縁を握った。
朔夜さまが先に馬を下りた。
ざり、と砂利が鳴る。
それだけで、囁きが止まった。
「聞け」
感情のこもらない声だった。怒鳴ったわけでもない。けれど屋敷の空気が、その声に合わせて背筋を伸ばした。
朔夜さまは私を馬から下ろした。手は先ほどと同じく硬かったが、乱暴ではなかった。地面に立った瞬間、膝が少し震えた。すると、朔夜さまは私の肩に落ちていた乱れた髪を、視線だけで確かめるようにしてから、皆へ向き直った。
「この娘は俺が預かる。以後、花嫁候補として扱え」
花嫁候補。
その言葉は、夜に落ちた鈴のように響いた。
屋敷中の目が、一斉に揺れた。門番が息を呑み、女中の一人が袖で口元を押さえる。家臣たちの間に、風にあおられた火のような動揺が広がった。
私だけが、言葉の意味を掴めずにいた。
「朔夜、さま……?」
思わず小さく呼ぶと、朔夜さまは私を見ずに言った。
「異を唱える者は、俺に言え」
それ以上、誰も口を開かなかった。
短い言葉だった。
私を慰めもしない。噂を否定もしない。罪がないと説明もしない。
けれどその一言で、私を石つぶてから守る壁が立った。黒く、重く、誰にも押し倒せない壁だった。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
朝霧堂で、私はいつも誰かの後ろに立っていた。千景の支度を整えるために。父の指示を待つために。継母の叱責を受けるために。誠一郎さまが妹を守る姿を、見ないふりをするために。
けれど今、朔夜さまは私を隠さなかった。
皆の前に置き、立場を与えた。
それがあまりに信じがたくて、私は震える声で何も言えなかった。
「部屋を用意しろ。湯と着替えもだ。食事は温かいものを」
年配の女中が深く頭を下げた。けれど彼女の目の奥にも、まだ硬いものが残っている。
それでも命じられれば、誰も私を突き飛ばさなかった。誰も「出て行け」と言わなかった。
そのことが、かえって恐ろしかった。
内側には、すでに何人もの家臣と使用人が集まっていた。報せが先に走ったのだろう。男たちは袴姿で、女たちは控えめな色の小袖を着ている。皆、頭を下げていたが、その目だけが私を見ていた。
冷たい目だった。
朝の井戸水より冷たく、刃より静かに痛い。
「……あれが」
誰かが、ほんの小さく囁いた。
「朝霧堂の」
「死人を出した娘だとか……」
「罪を逃れるために、朔夜さまへ取り入ったのか?」
声は薄絹の向こうの針のように、はっきりとは聞こえないのに、確かに皮膚へ刺さった。
私は顔を伏せた。
違う、と叫びたかった。私は毒を見た。止めようとした。けれど、千景も父も誠一郎さまも、誰も信じてくれなかった。
でも、ここで言い訳をすれば、また同じになる。
私の言葉はいつも、誰かの都合の悪いものを掘り起こしてしまう。だから踏み潰される。私は唇を噛み、鞍の縁を握った。
朔夜さまが先に馬を下りた。
ざり、と砂利が鳴る。
それだけで、囁きが止まった。
「聞け」
感情のこもらない声だった。怒鳴ったわけでもない。けれど屋敷の空気が、その声に合わせて背筋を伸ばした。
朔夜さまは私を馬から下ろした。手は先ほどと同じく硬かったが、乱暴ではなかった。地面に立った瞬間、膝が少し震えた。すると、朔夜さまは私の肩に落ちていた乱れた髪を、視線だけで確かめるようにしてから、皆へ向き直った。
「この娘は俺が預かる。以後、花嫁候補として扱え」
花嫁候補。
その言葉は、夜に落ちた鈴のように響いた。
屋敷中の目が、一斉に揺れた。門番が息を呑み、女中の一人が袖で口元を押さえる。家臣たちの間に、風にあおられた火のような動揺が広がった。
私だけが、言葉の意味を掴めずにいた。
「朔夜、さま……?」
思わず小さく呼ぶと、朔夜さまは私を見ずに言った。
「異を唱える者は、俺に言え」
それ以上、誰も口を開かなかった。
短い言葉だった。
私を慰めもしない。噂を否定もしない。罪がないと説明もしない。
けれどその一言で、私を石つぶてから守る壁が立った。黒く、重く、誰にも押し倒せない壁だった。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
朝霧堂で、私はいつも誰かの後ろに立っていた。千景の支度を整えるために。父の指示を待つために。継母の叱責を受けるために。誠一郎さまが妹を守る姿を、見ないふりをするために。
けれど今、朔夜さまは私を隠さなかった。
皆の前に置き、立場を与えた。
それがあまりに信じがたくて、私は震える声で何も言えなかった。
「部屋を用意しろ。湯と着替えもだ。食事は温かいものを」
年配の女中が深く頭を下げた。けれど彼女の目の奥にも、まだ硬いものが残っている。
それでも命じられれば、誰も私を突き飛ばさなかった。誰も「出て行け」と言わなかった。
そのことが、かえって恐ろしかった。



